こんにちは、かんどーです。 先日アップしたこの記事に高評価をいただいて、ありがとうございました。「僕ちゃんお歌が好きだからお歌を歌ってみたよ!」というだけの記事なのですが。 www.kandosaori.com さて、このあいだ出先で1時間半ほど時間が空いたので、カラオケボックスに行ってきました。楽しかったのでその雰囲気をおすそわけします。 カラオケに行くと、一曲目はいつもSINGER SONGERの「初花凛々」を歌います。歌いやすい音域なのと、発声練習になるのでオススメです。すぐに覚えられるメロディなので、練習用にいかがでしょう。 こんな曲です。 www.youtube.com 2曲目は、orange pekoeの「やわらかな夜」を歌うことが多いです。ファルセット(裏声)を出す練習にもなりますし、メロディとリズムに酔いしれるには良い曲です。 こちら。 www.youtube.com 歌い
司会者「イヤー、(_´Д`)ノ~~オツカレ様デシター。シャンパンポーン」 kenzee「どうも。ホントに10枚もいけるか、ってファーストの時から言ってたワケだけど、いつかはたどり着けるもんだね」 司会者「もう3曲目ぐらいで言ってたよ」 kenzee「ザーっと読み返すとヒドイことばっかり言ってるけど、どれも思い出深いCDばかりですよ。特にウチ、「夏服」を親の仇みたいにボロカス言ってるけどいい曲もあるからね。「心日和」とか「アスパラ」とか「ボーイフレンド」とか。今読み返すと「時のシルエット」みたいな良盤はコメントが面白くないんだよね。「秋 そばにいるよ」のような、半分ムカつきながら書いてるヤツの方が面白いという。「ギター、ウルせえなあ」とかボヤいてるところに「あなたと握手」がでてきてガーンと涙でてくる、みたいな起伏があるヤツ。辛かったのはaiko必殺の「壮大なバラード」だな。「えりあし」とか「
※タイトルは中原昌也の『あらゆる場所に花束が…』と、フロイトのS - M論をひっつけたものです。 まーたフロイトかよ。いや、今回はほんのちょこっとしか出てきませんので、嫌がらないで読んで下さい(誰に向かって)。 前の記事に、id:simplemindさんから質問も含めて丁寧なコメントを頂きました。コメント欄に置いておくのは惜しい気がするのと、前記事で説明不足で終わっているところを今一度整理してみたいので、レスを兼ねて新たにエントリを立てることにした次第。 最初にsimplemindさんのコメント二つ。 セックスが含んでいる「暴力的なもの」とは何でしょうか。それは「野性的」「動物的」「本能的」なセックスとは、おそらく別ですよね。そして「愛と相互の了承の上に成される」セックスであっても「暴力的な何かを含んでる」のだから、「相手の意思を無視する」というようなニュアンスでもない。「相手から奪い取る
小熊俊哉🧸 @kitikuma3 非営利目的でやっているネットラジオで影響力のある人間が音楽をかける。最高の宣伝でしょうに。「こういうルールだから出来ない」で釘をさして終わりって音楽ライターのすることなのか、それ。 2010-01-21 21:20:28 kentarotakahashi @kentarotakahash 最高の宣伝かどうかは、誰が判断するんでしょう? QT @kitikuma3 非営利目的でやっているネットラジオで影響力のある人間が音楽をかける。最高の宣伝でしょうに。「こういうルールだから出来ない」で釘をさして終わりって音楽ライターのすることなのか、それ。 2010-02-22 01:30:54 小熊俊哉🧸 @kitikuma3 @kentarotakahash ずいぶん前のツイートなのにレスをわざわざありがとうございます。そのとき感情に任せて書いた文章なので、失礼な
以前、幼稚園に入ってまもなく、お弁当のことで嘘をついた話を書いたことがあるが(「晩ご飯、何食べた?」)、家ではもっと小さい頃から嘘をよくついていた。そのことで母にもずいぶん怒られたし、自分でも恥ずかしいことだと思っていたのだ。それでも、失敗したら怒られる、となると、その失敗を隠したくなるし、幼稚園の友だちが、新しいお人形を買ってもらった自慢を聞けば、「わたしだってこんど買ってもらうの」と、つまらない見栄をはったこともある。何のためか自分でもよくわからないのだが、ただ作り話をするのが楽しくて、そういう話をしたこともあった。いつだって後味は悪かったし、人をだまして楽しかったことはない。にもかかわらず、つい、嘘をついてしまう。もしかしたら「虚言症」という病気かもしれない、と思ったこともあった。 後年、倫理学の勉強をしているとき、カントの「殺人者の問いかけ」という例題を知った。 殺人者に追われてい
マルチン・ニーメラー牧師曰く、 『ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。後日、ナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と 次々に弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増したが それでも私は行動しなかった。 ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がったが、その時はすべてがあまりにも遅かった』 先日、毎日新聞から「希望格差社会ってどうよ」というお題が来たとき、真っ先に思い浮かんだ台詞である。いまの社会を眺めるたび、マーケティングが発達し個人が組織や家庭から切り離されていく過程で起きている諸現象をこれほどうまく言い表している言葉はないんじゃないかと思うわけだ。「構造改革
岸博幸氏のコラムが、あちこちのブログなどで激しい批判を浴びている。私が彼に「レコード会社のロビイスト」というレッテルを貼ったのが彼の代名詞のようになってしまったのはちょっと気の毒なので、少しフォローしておきたい。 先日のICPFシンポジウムでわかったのは、岸氏は三田誠広氏のように嘘を承知で権利強化を主張しているのではなく、本気でそれが日本の「産業振興策」だと信じているということだ。しかし、これはある意味では三田氏よりも始末が悪い。本人がそう信じ、善意で主張しているので、コンテンツ産業の実態を知らない官僚や政治家には説得力をもってしまうからだ。 残念ながら、彼の信念は事実に裏づけられていない。岸氏は「デジタルとネットの普及でクリエーターは所得機会の損失という深刻な被害を受けている」というが、具体的にどれだけ深刻な被害を受けているのか、その根拠となるデータを示したことはない。学問的には、O
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