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セルフと業界ミソジニーに関するmaicouのブックマーク (2)

  • キラキラしている私 - 恋する段差ダンサー

    むかし後輩女子からいきなり「きらきらしい人は苦手です」と言われたことがあります。どうやら私は「きらきら」してるらしいのです。 先輩女子からは「かわいいー」としょっちゅう言われていました。同年代とかからは「悩みなさそうでいいよね」が、もう当然のデフォルト表現として喰らいます。 そんな自分の様子を見て、部活の先輩男子とかが絶対に絡んでくる。「お前いい気になんなよ」「可愛がられてるからって調子にのんなよ」攻撃を喰らいます。「いい気」にもなってないし「調子に乗って」もいませんが、そう見られます。 こうして私は「ホモ・ソーシャルから常に排除」されていました。排除されてたら居場所がないですから、可愛がられてる女子の集団と親しくなりますわ。そうするとますます「あいつは女とデレデレしやがって」と来る。まあ何をやっても気にわないらしいです。 私はココでずっと「業界ミソジニー」のことを書いてました。そして業

    キラキラしている私 - 恋する段差ダンサー
    maicou
    maicou 2018/12/11
    先日のブクマからの流れで書き下ろし。
  • 圧迫から逃れるための表現活動は「肉体的反射」でなければならない。という話 - 恋する段差ダンサー

    今の僕の信条として「肉体的反射を最優先する」というのがあります。以前も長々と書いた覚えがありますが、もう一度、そこの考えに至った経緯を、ろくでなし子さんの事件と合わせながら振り返ってみたいと思います。 常々、90年代が僕にとっての青春だった、と言っているけども、いろんな理由やきっかけがあってそうなったんだけど、一番の大きな理由は、引越しで環境や人間関係が変わったことじゃないかって思ってる。考え方や見方も変わるし、話す相手が変われば(いなくなれば)、思考のパターンが変わるんだよね。街の外れに一人で一軒家住まい、というのは、思考を邪魔する相手がいないから、ゆっくり熟成できる。ということ。そんなときに出会ったのが、この。 「快の打ち出の小槌 〜日人の精神分析講義〜」佐々木孝次+伊丹十三・著(1980年) いまではトンデモ科学な感じもするけど、当時はこういうことを「ちゃんと」言う人が居なかった

    圧迫から逃れるための表現活動は「肉体的反射」でなければならない。という話 - 恋する段差ダンサー
    maicou
    maicou 2015/09/06
    久々に読み返したら、すごくいいこと言ってるうえ、こないだの業界ミソジニーの話をココで既にしていることにびっくりしている。ブレてないなあw
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