タグ

共感能力と孤高女子に関するmaicouのブックマーク (9)

  • モテる友人を持ったわたしのあまりに単純なミス(古賀及子)|シカク(大阪のインディーズ書店)

    古賀及子さんのエッセイ連載、今回はおためし版で無料でお読みいただけます! とにかくモテる人だった。 知り合ったのは当時全盛期だったミクシィの、コミュニティのオフ会でだ。昭和50年代の1月から3月に生まれた人たちだけが参加できる集まりで、参加者に誕生日を聞くとだれもかれもが早生まれなのが、そういうものだとわかっていても可笑しかった。私は1月生まれで、彼女は3月生まれだ。 なんだかもう当にモテた。会う男性がみんな彼女を、驚くほど簡単に好きになる。 さらさらでまっすぐの栗色のロングヘア、茶色い瞳のよく動く丸い目、長いまつげが印象的だけれど濃い化粧はせず、服装は気取らずカジュアル、いつも笑顔で、ふるまいは一生懸命、恋人はおらず、地方から東京に出てきてひとり暮らしで仕事を頑張るようすにひかれる気持ちは理解できたが、それにしてもという釣れ具合だった。 彼女と私は同い年で、偶然自宅が近所だったこともあ

    モテる友人を持ったわたしのあまりに単純なミス(古賀及子)|シカク(大阪のインディーズ書店)
    maicou
    maicou 2024/01/11
    めっちゃ叩かれてるからどれどれと読んだら何処が不快なのかまったくわからず困ってしまいました。普通に面白かったです。
  • 6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカートを履いていた。みんなは可愛いねと言ったけど私は変だと思ったから、変だねと言った。マホちゃんは怒って泣いた。 8歳のとき、父親が知らない女の人といるのを見た。私はそれを浮気だと思ったから、晩御飯のとき二人にそれを伝えたら、数カ月後、両親は離婚した。母親は一言私に、アンタのせいよとだけ言って、それ以来父親の話をしなくなった。 14歳のとき、マホちゃんが好きだと言っていた先輩に告白された。マホちゃんがあなたの事好きらしいので、と断った。それを伝えたら、マホちゃんは怒って泣いた。 16歳のとき、初めてのバイト先で品出しをしていたらパートの人からバックヤードに呼び出された。私の品出しの仕方が間違っていると話し始めた。私は慌てて商品のところに行って、直してから退勤した。それ以来パートの人から無視されるようになった。 18歳のとき、美

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..
    maicou
    maicou 2023/09/27
    なんかすごいいい話を読んだ気がした。
  • 卒業生インタビューvol.25 – 和光学園

    maicou
    maicou 2018/11/12
    よい内容だと思うが、どうも校長の「釈迦に説法」感が気になる。
  • 2018年8月18日 パノラマ街道まっしぐら(地下アイドル卒業と記念公演のお知らせ)|姫乃たま

    2018年8月18日 パノラマ街道まっしぐら 2019年4月30日、初めて舞台に立った日からちょうど10年となるこの日に、姫乃たまは地下アイドルの看板を下ろすことにしました。卒業です。奇しくも平成最後の日であり、地下アイドル最後の日になる当日は、渋谷区文化総合センター大和田さくらホールにて、ワンマンライブを開催します。735席という業界的には取るに足らない、しかし私にとっては過去最大規模の公演です。 昨夜そのことを、私の活動拠点であるRRRにて、一番にファンの人たちに伝えました。この日記も最初から、最後の日に向けて急激に変わりゆくであろう私の日々を残すために書き始めたものです。改めて、地下アイドルを辞める理由と、これからについて、話をさせてください。 最大の理由は、私自身がこれまで自分で定義してきた地下アイドルに当てはまらなくなってしまったことです。地下アイドルの世界は、自分が何者なのか、

    2018年8月18日 パノラマ街道まっしぐら(地下アイドル卒業と記念公演のお知らせ)|姫乃たま
  • エモい男は死んだ|ユカリ

    私は2年くらい前までエモい男が大好きだった。 エモいというと陳腐だが、時を遡れば芥川龍之介や太宰治のような憂いを帯びた叙情的な男はいつの時代にもいて、そして一定数の女からは根強い人気がある。 その一定数の女たちの中に、私もいた。いつも何か悩んでいて生きづらそうな男の姿を見ると放っておけなくなるのは私の人間性の底にわずかに残った母性能がなせる業なのか、多くを語らず頼りなくて幾つになっても子供のようだった父親の影響なのか。 「エモい」という言葉はおそらく2016年くらいが一番流行っていたと認識している。私もTwitterでこんなシリーズを書いていた。 【東京エモシリーズ】 このシリーズはほぼ、ばっちり実体験に基づいている。 東京における男と思い出の地を結び付けてツイートしていた。 別れなよと、なにもラーメン屋で口説くことないじゃないとすら言えなかった東池袋。 「東京に来て10年以上経つけどこ

    エモい男は死んだ|ユカリ
    maicou
    maicou 2018/06/07
    とてもよい話。こうしてみんなオトナになっていく。/ この男子みたいなまま40くらいになってるのがサブカル拗らせ系になってるのではないかと思ったな。
  • http://twitter.com/i/web/status/992406009409748992

    maicou
    maicou 2018/05/06
    こういうの自分は内田春菊のマンガでいろいろ読んだのが最初だった気がする。変な人ではあるがこの分野での初期の貢献は意外にデカイと思うよ。
  • 中脇初枝 - Wikipedia

    中脇 初枝(なかわき はつえ、1974年1月1日[1] - )は日小説家、児童文学作家。 経歴[編集] 徳島県の山間部の祖谷(現・三好市)に生まれ[2][3]、2歳の時から高知県中村市(現・四万十市)で育つ[4][5]。 高知県立中村高等学校[5]在学中の1991年に高知新聞紙上でたまたま募集記事を見かけて応募した第2回坊っちゃん文学賞にて『魚のように』により大賞を受賞[6]、17歳で小説家としてデビューした[7]。同作は1993年3月に新潮社より刊行され、あわせてNHKによりテレビドラマ化された。 小学6年生の時に柳田國男『遠野物語』を読んで民俗学者を強く志し[8]、高校卒業後は筑波大学第二学群比較文化学類へ進学[1][7]。日民俗学を専攻し[9]、1996年に卒業。在学中もフィールドワークの傍らで創作活動を行い、大学卒業後に『稲荷の家』(1997年)、『祈祷師の娘』(2004年)

  • ひとつくさってふたつ芽吹いて

    東京都写真美術館の一件から、半年以上が過ぎました。 担当者の方から複数回お返事をいただけましたが、当時わたしは疲れ果てており、改めて報告のような形をとりませんでした。当はそうするべきでしたが、お返事を受け取ったということ以上にはもう何も言えませんでした。 それよりも少し前に、今までは批判する人さえほとんどいなかったことを問題視する契機を作り出したことであなたはもう十分役割を果たしています、と松沢呉一さんに声をかけていただいたのをきっかけに、ああもう何もできないけどそれでいい、今やるべきことは自分の心身を守ることだ、と思うに至っていたのです。 (松沢さんからは個人的なねぎらいの言葉としても、また連載されているウェブマガジンで当時の記事内容からもたくさんの得がたい視点や導き、また励ましをいただき感謝しています) 時間が経ってしまいましたが、いただいたお返事は主にこのようなものでした。 来は

    ひとつくさってふたつ芽吹いて
    maicou
    maicou 2015/08/13
    >わたしの書いたものたちは感情のかたまりであったはずです
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
    maicou
    maicou 2015/01/28
    映画で見た当時、ホントに心をえぐられる想いだった。しかし、不安定だった僕らの関係もある意味正しいという「確信」をくれた素晴らしい作品でもあった。
  • 1