公園の滑り台で遊ぶ小さな女の子。 この写真が撮られた半年後の夏休み、女の子は同じ公園のジャングルジムの下で倒れているのが見つかりました。 わずか6歳で奪われた命。 逮捕されたのは、17歳の兄でした。 「私があのとき、家にいれば」と、母親は後悔を口にします。 事件に至る経緯を取材すると、妹も、兄も、そして母親も、それぞれが追い詰められていたことがわかりました。 (大津放送局 記者 松本弦)
別名「死の鉄道」 ビルマ(現ミャンマー)南部のシッタン川木造橋架設(全長2キロ)。[木下幹夫さん提供]【時事通信社】 太平洋戦争中、旧日本軍が軍事物資の輸送などを目的に、タイとビルマ(現ミャンマー)の間に建設した泰緬(たいめん)鉄道。1942(昭和17)年に工事が始まり、翌年10月、全長415キロ(ノンプラドック―タンビザヤ)に及ぶ全線が開通した。 作業には日本軍のほか、連合国軍捕虜や現地のアジア人労働者ら延べ10万人以上が従事。十分な栄養補給や休息もなく、雨期のジャングルを切り開く過酷な労働環境と熱帯病などが原因で、数万人もの犠牲者が出たとされ、別名「死の鉄道」とも呼ばれた。 大阪府吹田市に住む木下幹夫さん(95)は陸軍鉄道兵として、泰緬鉄道の建設に従事し、日本軍が大敗したインパール作戦の出発地となった鉄道駅の駅長も務めた。 資器材が乏しい中、軌道の敷設作業はいかに困難を伴ったか、作戦が
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