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20年ぶりくらいで「小説版」砂の器を読み返してみた。 なんで今さら読み返したのかというと、最近の再ドラマ化やハンセン病の件などで話題になっていたので、自分も懐かしさから映画小説ひっくるめてネット上のレビューや感想などを読み漁ってみたら、意外に「若い世代」の感想が多く、またそれらが「先入観のない」フラットな感想になっていることが、新鮮で妙に面白かったからなのよね。 確かに若い世代は、当然「ハンセン病の歴史」もあまり知らないし、映画や小説の時代背景も知らない。そっかー何も知らないと、普通にこういう感想になったりするんだなあ。へーーと思ったわけですね。また、先入観や前提知識がないせいで「え?そこ??」みたいな疑問を持ってたりもする。そういう若者の感想を読むと、また自分の気持もフラットになり受ける感覚も違ってくる。 そういった流れから、リセットされた感覚というか新鮮な気分で読み返してみたら、以前読
関西〜長崎「横断大ツアー」から戻って。 なんか人恋しいというか「積極的に外に出ていくのは大事だな」と思って、とりあえずは毎日のウォーキングがてら、近隣の町や人脈でも開拓しようなどと思って交流を求めてみたのですが、あえなく全て玉砕し、なんつか自分はそういう「チマチマした世界は向かんのだなあ」と改めて思ったところです*1。 私以前から、どこに住んでも「近隣の名店やら名所などを開拓」などということをやってみるのだけど、なんつか「地元商店街の中の名店!」とか「東京近郊中都市の名店!」とか言っても、あくまで、その小さな範囲で「ココは歴史ある名店です。」みたいなことなんだなあって、いつも寂しい感じになるのですね。 これに最初に気付いたのは、都落ちして千葉に行ったときです。せっかくプチ地方感ある土地に越したのだから、「地元民的な生活」を楽しんでみようと思って、ちょうど今回みたいに「近隣の名店とされるとこ
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