http://www.tvlife.jp/news/090912_02.php どうも、一つ前の日記では、きついことを書きすぎてしまったかもしれないと、ちょっと反省している。 阿久悠が、日本人の「含羞」と「節度」を丁寧に歌い込んだ「時代おくれ」を、ショーケンが自身の復帰と、世間向けの安易な衣替えのために、随分安っぽく利用しているように僕には見えて、正直カチンときていた。 いくらなんでもずうずうしいし、心無さ過ぎるんじゃないかと、この曲が大好きなだけに腹が立った。 ただ、ショーケンにこうした心無さを感じるのは、本当は今にはじまったことじゃない。 感情移入したものに対しては、他のものが一切目に入らなくなるくらいに一途に思い込むけれど、そうした不器用な無邪気さというのは、気が乗らないことには平気でそっけなく冷酷にもなる。だけど根は繊細で古風でもあるから、そういう自分を取り繕おうともするし、建前で