歴史と経済に関するmamezou_plus2のブックマーク (5)

  • ここがヘンだよ農業チート - 「中世ヨーロッパでは播いた量の3倍しか収穫がなかった」

    はじめに言っておきますが、「中世ヨーロッパの収穫率(播種量→収穫量の倍率)が3倍程度だった」というのは資料上確かな事実であり、これ自体を否定する気は一切ありません。 しかしながらここから「ヨーロッパの農民は常に少ない収穫に苦しんでいた」だとか、「30倍にもなる稲は麦より優れた作物だ」なんて話に進んでいくのを見ると、それはちょっとおかしいぞと思います。 今回はそうした状況を生じる要因について見ていきながら、この数字のトリックを暴いていきたいと思います。 ■灌漑に関する話 農業の大きな区分として「天水農業」と「灌漑農業」があります。 これらは作物に対する水の供給方法の違いであり、前者は基的に降雨からのみ、後者は河川等から人為的に引き込む方法をとります。 日がどちらかといえば完全に後者が多く、代表的なのは言うまでもなく水田稲作でしょう。 また学校教育の世界史なんかでも、文明成立=灌漑農業とし

    ここがヘンだよ農業チート - 「中世ヨーロッパでは播いた量の3倍しか収穫がなかった」
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    mamezou_plus2 2021/04/06
    一神教と多神教の違いも生産余力や扶養力の違いから来るのかな?
  • リニア工事で静岡VS愛知 駅もできず「メリットない」:朝日新聞デジタル

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    リニア工事で静岡VS愛知 駅もできず「メリットない」:朝日新聞デジタル
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    mamezou_plus2 2019/09/06
    要求(駅等)と懸念(大井川の利水)の二枚看板。要求の方は取り下げも出来ようが懸念は取り返しがつかないので下ろしようが無い。外堀(利水問題)を埋めれば活路有るのに、ケチるから。原発被害と同じ構図。
  • 実は「温暖化の産物」だったモンゴル巨大帝国 

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    実は「温暖化の産物」だったモンゴル巨大帝国 
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    mamezou_plus2 2019/05/18
    環境、地勢による生活史、文化史には興味有る。停滞に対する攪拌・試練としての異文化接触、気候変動。安定性は進歩の阻害?
  • 釧路市の発展の要因をさぐる

    稿では、下記ブログで軽妙に紹介される釧路市の停滞について歴史的経緯から振り返ってみようと思う。 https://www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838 漁業と築港近世期には、釧路は「クスリ場所」という漁場が設定され、松前藩から委託された業者がそこからの利益を独占していた。 そこでは鮭や昆布、鰊などの海産物のほか、内陸やその他獣の毛皮が収集されていた。 釧路には港がある。というか、大きな港を構築できた。これが大きかった。 函館から太平洋側に航路をとると、日高の小さな諸港を数えるばかりで、大きな築港ができない地形が続く。 例えば十勝国は広尾港の小港を除けばずっと遠浅の地形が続く。内陸に続く十勝川河口も例

    釧路市の発展の要因をさぐる
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    mamezou_plus2 2018/10/20
    そうよね、地方の衰退って結局は産業の衰退だから。1次+2次+3次の6次産業の萌芽でも芽生えると良いんだけどね。炭鉱あるからコールベッド・メタンでエネルギー系とか、チャンスは?
  • 戦間期の日本経済の構造変化 - 経済を良くするって、どうすれば

    経済は、昔も今も、成長と平等が目標だ。どうやって実現するかと言うと、まず、輸出を増やすことで設備投資を引き出し、高投資の経済構造にして成長率を高める。これが進行し、労働需給が締まって、賃金と物価が上がるようになると、所得は広く行き渡るようになる。「輸出増で高成長」は幾つも例があるが、平等化まで到達できたのは、高度成長期の日のみである。日人であれば、せっかくなら、そうした観点で経済を眺めたい。 ……… 深尾京司、中村尚文、中林真幸の各先生が編集する岩波講座『日経済の歴史4 近代2』には、巻末付表4「名目国内総支出の構成 1913~40年」が掲載されている。その変遷は、経済構造を観察するのに極めて有用であり、もったいないのでグラフ化してみた。これを眺めつつ、戦間期の経済政策がどういうものだったかを評価するとともに、そこから現代に活かせる教訓を探ることにしよう。 第一次大戦時の日経済は勃

    戦間期の日本経済の構造変化 - 経済を良くするって、どうすれば
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    mamezou_plus2 2018/01/22
    後で読んでみる。多分
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