この時期、肌の露出がコケットリーだと勘違いする女のガキが増殖するのが鬱陶しい。俺はガキに欲情できるほどヤワなセクシャリティの持ち主ではないので、ガキの未成熟な肌の露出など、単純に見ていて不快なのだ。何より大人のそれと違い、露出すれば異性の歓心を買えると思い込んでいる動物的な下心がよりストレートに下品である。そうした見た目の不快さだけの問題ではない、錯覚したコケットリーの無差別放射が、自爆テロの巻き添えを食うように迷惑なのだ。 昆虫や動物が、夏場活発に生の喜びのエネルギーを発し、生殖に走るのは、死が目前に控えているので理解できるし、それゆえの切実さが愛おしくもある。まして昆虫や動物はそれらを教えられたわけでもないところが感動的なのだが、人間のガキは教育を受け、自ら考えることができるだけでなく、死が目前に控えてもいないので、死に想いを巡らせる特権を持っているのだ。そのくせ、そうした貴重な特権を