世界をどういう方向に導こうとしているのか。米トランプ政権のシリア攻撃からは包括的な戦略が見えてこない。ロシアと連携して中東を安定させる、という従来の方針とは正反対の動きである。超大国の急旋回は世界の混乱に拍車をかけかねない。シリアのアサド政権が罪もない市民を化学兵器で殺りくしたのをみて、方針を変えた。トランプ大統領はそう強調した。シリアは化学兵器禁止条約の加盟国であり、本当に使用したのならば非
フリーライター、陸上自衛隊予備自衛官の岡田真理です。 大事なことからどうでもいいことまで、雑多にほじくって書いてます。毎週金曜日更新……でしたがただ今不定期更新中。 「もしどこかの国が攻めてきても、戦うべきではない。武力を行使するべきではない」 「もし日本がどこかの国に侵略されたとしても、戦うくらいなら占領を受け入れる」 このようなご意見をちょくちょく耳にします。 なんらかの政治的意図を持って敢えてこういう発言をするならいいんですが(良くないですが)、「反戦のために」「平和のために」本気でこう考えている方がまだたまにいらっしゃいます。 これまでもいろんなところで何度か書いてることですが、今回は改めてこのご意見について。 「なにをされても戦わない」。 これ、一見とてもカッコ良いです。 非暴力っぽくて、とてもカッコ良く見えます。 反戦、平和に直結してそうな気がします。 でもこれ、逆効果なんです
政府が南スーダン国連平和維持活動(PKO)に従事している陸上自衛隊の撤収を決めた。施設部隊の派遣から5年を過ぎ、昨年7月には近隣で大規模な武力衝突も起きた。現地での経験を踏まえて部隊の派遣や撤収の基準をより明確にし、次の国際貢献につなげていく必要がある。安倍晋三首相は10日、現地でのPKOについて記者団に「幹線道路の整備など独立間もない南スーダンの国づくりに大きな貢献を果たしてきた。施設整備は
有村悠@C97 12/29(日) 西P-08b @lp_announce "一般兵士たちに、「おまえたちが体験したことは銃後の国民に語ってはならない」という暗黙の強要が、とくに戦友会を通じて行われていたといってもよかった" 保阪正康『戦場体験者 沈黙の記録』 紙屋研究所 @kamiyakousetsu d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo… 2017-01-30 14:31:44 有村悠@C97 12/29(日) 西P-08b @lp_announce "一般兵士が「大本営参謀が書いているわれわれの体験した戦闘内容は事実と違いますよね」と言ったときに、かつて連隊長だった将校が、声を荒げて「おい、一兵士風情が大本営の戦史に口を挟むな」と叱りつけた。その兵士は居ずまいを正して「はい」といって俯いた。私はこのときに、戦友会の役割を実見 2017-01-30 14:35:31
太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、日本外務省が意図的に電報発信を遅らせたことが原因とする説が浮上している。九州大学記録資料館の三輪宗弘教授が、通告の訂正電報を外務省が13~14時間遅らせて発信していた記録を、米国公文書館(メリーランド州)で発見した。開戦から75年。安倍晋三首相がハワイ・真珠湾を訪問するが、通告の遅れに関する真相究明が進んでいる。 【画像】入手した米軍資料。訂正電報を傍受した記録が暗号で記されている 日本が日米交渉の打ち切りを米国に伝えた「対米覚書」が、開戦通告と位置付けられている。 三輪教授が発見したのは、覚書の一部である二つの電報の発信記録。外務省が大使館に発信し、米海軍が傍受したもので、1941年12月7日の「午前0時20分」と「午前1時32分」(いずれも米東部時間)とある。この電報の存在と時刻が何を意味する
本日のTLから選りすぐりの逸品。 古来よりの日本人の美徳を、ほのぼのした絵本でご覧ください↓ pic.twitter.com/AN4tgHgFni — どじんくんtype-R (@feedback515) 2016年12月15日 上海戦、それもあの呉淞ウースンクリークでの戦いで、中国兵が投げてくる手榴弾を爆発直前に拾っては投げ返し、拾っては投げ返して、さんざん敵をやっつけたという、勇ましくも麗しい軍国美談である。 そんなに手榴弾を投げるのがうまいのなら、敵が投げてくる前にこっちからどんどん投げればいいじゃないか、と思ってしまうわけだが、実はそういうわけにはいかない事情があったのだ。 実際にこの呉淞クリークでの戦いに参加した三好捷三氏の手記『上海敵前上陸』から、手榴弾の話を抜き出してみよう[1]。 (略)私はいよいよ出発かと思い、集合場所にいってみると、分隊長たちが集まってガヤガヤといってい
Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you. 戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場戦争から生き残り、日本へ帰国しても精神病を患ったとなると一家の恥とされ、故郷に帰れず入院したまま戦後の日本を過ごす兵士たちも多くいました。自身も元復員兵の父を持つ埼玉大名誉教授の清水寛さんに、戦時中の経験によりトラウマを抱え苦しんだ兵士たちの話を聞きました。
特攻。「十死零生」の作戦はなぜ生まれたのかを探る本連載。最終回は、次第に「成功率の低い作戦」と判明していく中で、それでもなぜこの作戦を止めることができなかったのか。その「謎」を紐解く。毎日新聞・栗原俊雄記者のスペシャルレポート。 (前・中篇はこちらから http://gendai.ismedia.jp/list/author/toshiokurihara) 「お前ら、覚悟しろ」 「特攻隊を志願しましたか?」 筆者がそう問うと、江名武彦さん(1923年生まれ)は答えてくれた。 「いえ。意思を聞かれることはありませんでした」 早稻田大学在学中の1943年12月、江名さんは学徒出陣で海軍に入った。航空機の偵察員となり、茨城県の百里原航空隊に配属された。前任地の静岡県・大井海軍航空隊から百里原に到着したとき、上官が言った。 「お前たちは特攻要員で来たんだ。覚悟しろ」 特攻隊員になるかどうか、聞かれ
一応、この記事の続きです。 peoplesstorm.hatenablog.com 1.はじめに 2.ドイツ軍における覚醒剤の概要 3.具体的覚醒剤製品 a.Panzerschokolade b.Stuka-Tabletten 4.終わりに おまけ:覚醒剤の作用と副作用 1.はじめに 前回の記事では1950年代にまで市販されていた麻薬含有商品を紹介したが、今回の記事では戦争中に多用された覚醒剤*1を取り扱いたい。現在の軍隊でも「痛み止め」としてモルヒネは一部使用されるが、この他に覚醒剤(主にメタンフェタミンとアンフェタミン)は士気高揚やその他の目的で各国で乱用されていた。それらを断片的にであるが紹介していきたい。 2.ドイツ軍における覚醒剤の概要 ドイツにおける覚醒剤の代表例がペルビチンである。 1930年代末、ベルリンのTemmler製薬会社によって開発されたメタンフェタミン*2薬「ペル
2016年09月24日09:00 カテゴリ軍事ネトウヨ 【悲報】報ステに現役自衛官が登場し、アンコン暴露と安保批判→ネトウヨ大発狂 [無断転載禁止]c2ch.net 1 : [Φ|(|´|Д|`|)|🌀] BBxed!!番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウ Sa9f-QvkZ)2016/09/20(火) 11:46:02.18 ID:9yzkIdr4a● BE:498132711-PLT(13001) ポイント特典 http://i.imgur.com/Sv53yZP.jpg http://i.imgur.com/7vKjr2e.jpg http://i.imgur.com/Dgdnyq5.jpg http://i.imgur.com/76tnvWY.jpg http://i.imgur.com/MmaQvMH.jpg http://i.imgur.com/onHi
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