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CritiqueとOtakuに関するrAdioのブックマーク (7)

  • 令和版『うる星』をアマプラで再生して、2秒以上、直視できなかった

    令和『うる星』をアマプラで再生したけど、2秒以上、直視できなかった。 これは原作コミック、押井版テレビシリーズ、劇場版をひととおり見たうえでの話。完全に拒絶反応が出てる。 なぜなら、あれは時代の産み落とした作品で、あの空気感をそのままアニメにするのは、もういくらなんでも無茶だと思ったから。懐古趣味にしても中途半端だし。それだけに『ビューティフル・ドリーマー』は、とても重い作品だった。あれは原作のモラトリアムを完全に拒否したから。それで押井守がシリーズ途中で降りてからも、建前としては「るーみっく的モラトリアム」が続くわけだけど、その呪縛の中でドタバタもがくキャラは見るに堪えず、痛々しく思えた。 だから、自分は、やまざきかずお版『うる星やつら』をあまり見る気にはなれなかった。もちろん、その延長線にある令和版『うる星』も。絵はきれいだけど、すごい違和感、不快感が出てくる。 手垢にまみれたことを言

    令和版『うる星』をアマプラで再生して、2秒以上、直視できなかった
  • 『たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語』のボケと勘違いの笑いの現代性とは(飯田一史) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    2021年1月4日からTVアニメの放送が始まった『たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語』は、いかにも小説投稿サイト「小説家になろう」にありそうな(?)長文タイトルのファンタジーだが「なろう」発ではない。SBクリエイティブのGA文庫大賞・優秀賞を受賞して17年9月から刊行が始まった文庫ラノベが原作だ。この作品の2020年代らしさはどんなところにあるのか。 ■『ラスダン』あらすじ この作品ではタイトル通り、英雄の末裔たちが暮らす猛者揃いの村では最弱の少年ロイド・ベラドンナが、軍人になる試験を受けるべく城下イーストサイドの魔女マリー――ロイドの村の村長が彼女の師匠なのだ――の元へ向かう。 そこでモンスターに襲われた“ベルト姫”こと解除不可能な呪われたベルトを身に付けた少女セレンを助け、解呪の力を持つロイドの持ち物によって拭かれたことで偶然ベルトが外れ、結果、一発で惚れ

    『たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語』のボケと勘違いの笑いの現代性とは(飯田一史) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • [酷評ネタバレあり感想]映画『ヲタクに恋は難しい』オタクへの偏見を助長しかねない愚作

    [酷評ネタバレあり感想]映画『ヲタクに恋は難しい』オタクへの偏見を助長しかねない愚作 folderコメディ schedule2020年2月9日 hinataka chat_bubble(6) 今日の映画感想は『ヲタクに恋は難しい』です(記事の終盤までネタバレはありません)。 (※記事初出時より色々と追記しています。この映画には悪い意味で言いたいことがありすぎる…) 個人的お気に入り度:1/10 一言感想:氷結地獄(サムさ的な意味で) もう最悪です(ゲッソリした表情で)。 監督・脚は『銀魂』や『斉木楠雄のΨ難』などの福田雄一です。 映画ファンのアンチが多い福田雄一監督ですが、個人的には今までの作品は「コントみたいだけどこれはこれで笑えるからいいんじゃない」と思うことも多かったんです。 でも、この映画はどうしても擁護できないんですよ。 何より全方位的につまらないんですよ。 タイトルに書いた通

    [酷評ネタバレあり感想]映画『ヲタクに恋は難しい』オタクへの偏見を助長しかねない愚作
    rAdio
    rAdio 2020/02/10
    寒いライトノベルと同じような雰囲気なんだな…。
  • 好き嫌いの問題にダブスタもなかろう - 最終防衛ライン3

    「手塚キャラ美少女化がダメでクッパ姫がOKな人なんなの?」な反応に批判 - Togetter] クッパ姫で散々遊んだくせに、手塚治虫キャラクターの萌え化に文句を垂れるのは矛盾している、ダブスタだとおっしゃられても困るのだ。 好き嫌いの問題にダブスタもへったくれもない。カニは好きなのにエビが嫌いなのは同じ甲殻類なのにダブスタってのは難癖だろう。ならば同じ節足動物である昆虫もべようって話に広がってしまう。あるいは、じゃがいもでもフライドポテトは好きだがマッシュポテトは苦手だって人もいるだろう。好き嫌いの表明にダブスタを求めても仕方ない。FGOはOKだけどクッパ姫とか女体化がダメって人も観測されたが、好みの問題である。 もちろん、好き嫌いの理由を言語化することもできるし、その方が理解も得やすい。カニは好きだがエビの感が嫌いだと分析することはできる。また、クッパ姫と手塚キャラの場合は好き嫌いの

    好き嫌いの問題にダブスタもなかろう - 最終防衛ライン3
  • 「萌え絵」と呼ばれるスタイルがジャポニズムを超える日 - 狐の王国

    なにやら近年、「萌え絵」をポルノだと認識してるおかしな弁護士だの社会学者だの大学教授だのが跳梁跋扈している。司法試験に受かったり学者になるだけの知力がありながら、たかだかこの40〜50年程度のオタク文化について調べもしないという態度は褒められたものではない。とはいえまとまった書籍があるかというと、特に「萌え」に関してはちょっと思い当たらないので、夜中にツイートしたものを下地にちょっと書き残しておく。 クィアとしてのオタク そもそもオタクというのはある種のクィアであった。クィアというのはセクシャルマイノリティに代表される、標準的な異性愛規範から外れた人たちのことである。「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」たち、それがオタクであった。彼らは中高生や大学生、あるいは社会人となっても、子供向けの漫画を読み、アニメを見続けていた。それも男性は女児向けの、女性は男児向けの作品に夢中になっていた。当時

    「萌え絵」と呼ばれるスタイルがジャポニズムを超える日 - 狐の王国
  • オタクの表現様式と、「オタク左翼」の不可能性(1/2)

    初期のオタク文化の時代は、まだ世の中に、一般人も社会問題に関心を持つべきだという左翼的な(保守主義者達は、人がその分限、職務を超えて政治的であることを好まないという点で)考えが世間に残っていたので、オタクとしても、そういう態度をとる傾向にあったのである。なまじオタク文化をいつかは世間に認められるものにしたいという野心のあるオタクほど、その必要を感じていた。「ゴジラのテーマは反核」「ガンダムは反戦」などという解釈、主張は、そういう空気を背景としたものであった。しかしこれは今日からみるとやはり滑稽に見える。これらの作品の一番力が入っていて、見どころとなる部分が、取ってつけたような政治的言及には無いことは明白だった。この問題は、作家がどういう意図でそれを作ったかということではなく、実際の作品がどうなっているかという話である。別の言い方をすれば、作家が言葉の上だけで考えたことではなく、芸術家として

  • オリジナリティ・イズ・デッド。オタク第一世代による現代ファンタジー批判を考察する。:弱いなら弱いままで。

    いや、ぼく、声優さんについてはくわしくないから見てもしかたないのだけれど、下種な好奇心がうずくんですよねえ。

    オリジナリティ・イズ・デッド。オタク第一世代による現代ファンタジー批判を考察する。:弱いなら弱いままで。
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