「感動を与える」の謎 どうでもいいけれど気になることがある。 近頃、スポーツ選手がひどく頻繁に「感動を与えたい」と発言している。 それがどうしたと思われただろうか。私が気になるのは以下のような点である。 何かというと「上から目線だ」とかとバッシングされがちな世の中だというのに、「感動」を、「与える」って、かなりレベルの高い「上から目線」ではないだろうか。 私自身、この発言が「上から目線で気に食わない」とは別に思わない。こういう発言をするのは大抵若いアスリート、スポーツにただただ打ち込む若者で、言葉を生業とする人たちではないのだし、かつて名選手のプレーに感動して憧れて自分も同じ道を選んだ、の延長線上の発言くらいに感じる。「感動させてあげますけど、いかがですか?」と直接言われたら「結構です」だが(これは「要らない」を意味する方の「結構です」であり、現代風には「大丈夫です」か)、発言自体にそこま