たとえばはてな界隈でも、同じ話が何度もホッテントリ(人気エントリー)入りする。 ある種のノウハウについて、或いは、ある種の社会問題や心理や性について。それだけ話題として需要が高く、同時代性に縛られないということだろう。ノウハウについてはその都度新しい読者に伝播するのだから、何度繰り返されてもいい。知っている人にとっても既に知っていることが分かりやすいからスルーすれば済む。けれども「貧困」だとか「才能」だとか「モテ」だとか「コミュニケーション」だとかいった話題になると、なかなかそうもいかない。新しい見解でもあるのかと読んでは、「またか」「何度めだ」という気持ちになる。クダラナイものを読まされたと思ってしまう。 書き手は、それを「新しい視点」とか「自分なりの発見」とか思って書いていたりする。一方、同じ話題を追ってきた先人にとってそれは、あまりに周回遅れで陳腐な見解にすぎない。で、「何度めだ」と
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081210/1228904816 こちらを読んで。id:aurelianoさんとは一回ずつトラックバックを送りあった程度の縁ですが、同じような時期にブログをはじめたこと、年代的な近さ、常にエンターテイメントを意識する姿勢等、少なからずシンパシーを感じる部分があったりもします。しかしこの記事はちょっと、うーん、と唸ってしまった。これは、ネタなんだろうか、マジなんだろうか、と。 その記事は誰に届けたいのか ブログでも何でも、表現というのは自分が誰かに伝えたいことを、文字や絵に落とし込んで、枝葉を切りそろえる必要があります。多くの情報を切り落とせばメッセージはシンプルにわかりやすくなり、届くべき人のところにちゃんと届く代わりに、意図しない解釈をされてしまう可能性が高くなる。かといって誤解のないよう念入りに定義付けをして書き進め
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