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言語に関するryokujyaのブックマーク (1)

  • 自由律俳句は俳句じゃないと思っている人へ - 僕の詩を返せ

    自由律俳句、特に無季自由律俳句は、「ただの文じゃん」「俺でも書ける」という批判にさらされることが多い。 韻文をかじった人の中には自由律に対しても理解がある人が多いが、それは詩の文脈に自らを置いているからいわば「詩をかぎ分ける嗅覚」のようなものが育っているためで、その手の文芸に触れる機会の少ない大多数の人にとっては自由律俳句がただの短文だと勘違いされるのも無理からぬ話である。 しかし、はっきりと言っておきたいのだが、自由律俳句俳句である。 ◇ 俳句俳句たらしめているものは何だろうか。 ・5/7/5のリズム ・季語 ほとんどの人はこの2つを挙げるだろう。 ところで、もともと俳句は"連歌"という七五調の言葉をつなげていく遊びの"発句"つまりしりとり遊びで言うところの「俺からいくよ! じゃあ、しりとりの"り"!」という口火を切るための気軽な韻文詩が独立したものだ。 5/7/5の定型は、いわばそ

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