◇伊勢神宮所蔵の国宝・重文など展示 日本で最初の私立博物館、神宮徴古館(伊勢市神田久志本町)が29日、開館100周年を迎える。伊勢神宮の歴史を紹介する資料や、有名作家が奉納した絵画、工芸品を所蔵、展示しており、同日から記念展が始まる。 同館は財団法人「神苑会」が1909年9月29日に創設した。ルネサンス様式を取り入れた鉄筋コンクリート平屋建てで、赤坂離宮(現在の迎賓館)や京都、奈良などの国立博物館を手がけた宮廷建築の第一人者、片山東熊氏が設計した。 11年に神宮へ奉納されたが、45年7月に戦火で外壁を残して建物と収蔵品の大部分が焼失した。53年の第59回式年遷宮に合わせて再建。外部の花崗煉瓦石積(テラコッタ)の壁面はそのまま、2階建てに生まれ変わった。98年に国の登録有形文化財に指定された。 館内には、平安中期の藤原秀郷が所用した太刀「毛抜形太刀」や、古墳時代の金銅透彫金具(いずれも国の重
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トップ > 三重 > 3月17日の記事一覧 > 記事 【三重】 新県立博物館の設立に向け協定 県と三重大 2009年3月17日 協定書を手に握手を交わす豊田学長(左)と野呂知事=県庁で 新県立博物館の設立に向けて県と三重大は16日、互いに連携して博物館の有効な活用方法などを検討し、実行していくことを約束する協定を結んだ。 県が昨年12月に策定した新博物館の基本計画に基づき、双方が持つ知的資源や県内外の自然、文化資産の活用方法を協議。調査研究や収集保存など博物館運営の課題も検討し、整備計画の実現に向けた取り組みを協力して進めていく。 県庁であった調印式で、野呂昭彦知事は「連携事業が有意義に展開できれば、地域への貢献をさらに高めることができる」と期待。 三重大の豊田長康学長は「持っている能力を最大限活用し、県民にとって素晴らしい博物館ができるように協力したい」と述べた。 (平
考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 「一周忌 果たせぬ息子 床にあり」 昨日から急激に体調がおかしくなり、今日は歩くのもやっとという状態。藪医者はインフルエンザじゃないというのですが、発熱、悪寒、関節の痛み、体のだるさ、嘔吐の繰り返し、どう見てもインフルエンザ。朝からずっと寝てました。お蔭で少し楽になりました。というより、ずっと寝ているととても足腰が痛くて、寝てられないので、姿勢の変換も兼ねて少しパソコンを眺めてます。 実は昨日は母の1周忌でした。親戚の皆さんにお集まり頂いたのに肝心の施主がダウン。久しぶりに会える従姉妹もいて、とても楽しみにしていたのですが、津からの移動の電車の中で吐くばかり。といっても出るものがないので、胃液ばかり。そのまま医者に直行してドクターストップ。情けない、相変わらずの不肖の息子
トップ > 三重 > 2月15日の記事一覧 > 記事 【三重】 鈴鹿関の西城壁は全長700メートル以上 亀山市教委が発掘調査 2009年2月15日 新たに見つかった鈴鹿関西城壁の遺構。塀の屋根に使われたとみられる大量の瓦も出土した=亀山市関町新所で 古代の関所「律令(りつりょう)三関」の一つで、亀山市にある鈴鹿関(すずかのせき)の西城壁は全長700メートル以上の規模だったことが市教委の発掘調査で分かった。調査を監修する山中章・三重大教授(考古学)は「鈴鹿関が日本最大の関である可能性が高まった」と話している。(井波和夫) 西城壁の遺構はこれまで、同市関町新所の「観音山」のすそで確認されていた。市教委が新たに先月から、観音山の南約500メートルにある「城山」西側の約170平方メートルを調べたところ、同様に土塁状になっている遺構が見つかった。 山中教授によると、観音山の遺構の北端と
斎宮歴史博物館(明和町)は、国史跡「斎宮跡」の第159回発掘調査(柳原地区)で、平安時代前期(9世紀)~末期(12世紀)のものとみられる建物13棟の跡を確認したと発表した。過去の調査結果とあわせて、同地区に高級官僚が仕事をした「斎宮寮」があったと推測されるという。現地説明会が14日午前11時から開かれる。 斎宮跡の東部には、平安時代の都市計画ともいえる碁盤目状の地割り(「方格(ほうかく)地割り」)が28あったことが、過去の調査で判明しているが、今回はほぼ中央の柳原地区で発掘調査した。 同地区は、斎王の住居「内院」があったと推測される地割りの北側に隣接しており、過去の調査でも大型の建物跡や青磁が出土していた。これまでも「斎宮寮」があったと考えられていたが、今回の調査で推測がさらに補強された。 今回は昨年9月から、同地区南東部488平方メートルを調査。建物の柱跡とみられる穴の直径は0・3~1メ
県埋蔵文化財センターは、明和町池村の小金3号墳で、埋葬当時の原型をよくとどめた横穴式石室(棺を納める石積みの部屋)を発見したと発表した。出土した土器から、6世紀後半に造られた古墳と考えられるという。19日午前10時半から、1時間の予定で現地説明会を開催。出土した土師器(はじき)、須恵器など遺物も公開する。 石室の規模は全長8・2メートル、高さ1・7メートル、幅1・1メートル。天井、両側、奥のすべての石材が残っており、石室の造り方や盛り土の積み方がよくわかる。県内では貴重な発掘例という。 また、両袖式(平面の形が羽子板形)で全体にやや細長く、県南部の古墳にみられる特徴をよく示しているという。 国営宮川用水第二期土地改良事業に伴い、事前調査として6月から丘陵地約2100を発掘、調査していた。 説明会は小雨でも中止で、現地の足場が悪いため、当日晴れていても前日の天候状況次第で中止もあり得るという
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