家族や友人に囲まれながら息を引き取ったというアレクシス・アークエットさん(2012年撮影) - Paul Archuleta / FilmMagic / Getty Images 映画『ウェディング・シンガー』『ブルックリン最終出口』などで知られるトランスジェンダーの女優アレクシス・アークエットさんが亡くなったと、兄のリッチモンド・アークエットがFacebookで明かした。47歳だった。 アレクシスさんが出演した映画『ウェディング・シンガー』フォトギャラリー アレクシスさんは、オスカー女優パトリシア・アークエット、ロザンナ・アークエットの弟ロバートとして生まれ、性転換をし名前をアレクシスに変えていた。映画『スクリーム』のデヴィッド・アークエットは弟にあたる。 ADVERTISEMENT アークエット姉弟はPeopleなどに声明を出し、アレクシスは素晴らしい芸術家だったが、そのキャリアは短命
イランの映画監督アッバス・キアロスタミ氏(2014年3月16日撮影、資料写真)。(c)AFP/Joaquin SARMIENTO 【7月5日 AFP】『桜桃の味(Taste of Cherry)』などで知られるイランの映画監督、アッバス・キアロスタミ(Abbas Kiarostami)氏が滞在先のフランスで死去した。76歳。がんとの闘病を続けていた。イランメディアが報じた。 イラン学生通信(ISNA)によると、キアロスタミ氏は先週、治療を受けるため渡仏していた。イランの映画製作者でつくる団体も同氏の死去を確認した。 キアロスタミ氏は1940年テヘラン(Tehran)生まれ。1960年代にイラン映画のニューウエーブの旗手として頭角を現した。1979年のイラン革命後も国内にとどまったが、過去10年は世界に活動の場を広げていた。 代表作の一つ『桜桃の味』は1997年にカンヌ国際映画祭(Canne
ヤクザから俳優に転身し、作家、プロデューサーとしても活動した安藤昇さんが16日午後6時50分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。89歳だった。1週間ほど前に体調を崩して入院。家族にみとられて亡くなった。 俳優業から遠ざかっていた安藤さんは今年8月、家相などの鑑定や開運を研究する「九門社」を立ち上げる一方、執筆活動も続けていた。死去翌日17日に最後の著書となった「男の品位」が出版された。 異色の経歴を持つ映画スターだった。少年時代は少年院に収容されるなど荒れた生活を送った。海軍予科練で特攻隊の訓練を受けたが、終戦を迎えて復員。法大を中退後、東京・渋谷を本拠地にした愚連(ぐれんん)隊を結成。1952年(昭27)に不動産の売買や飲食店の用心棒、賭博なども手掛ける東興業を設立。後に「安藤組」と呼ばれる一大組織となり、組長として1000人を超える組員を率いた。その中には作家安部譲二氏らもいた。 58
日活ロマンポルノを代表する映画監督の曽根中生(そね・ちゅうせい)氏が26日、76歳で亡くなった。夕刊フジ読者ならお世話になった人も多いだろう。だが、ただのエロ映画を撮っていただけではない。ドラマ重視の作品でロマンポルノというジャンルを確立しただけでなく、その枠を飛び越えたヒット作も生み出した“鬼才”だった。 東北大学を卒業後、1962年に日活に入社し、ロマンポルノで監督デビュー。代表作は「天使のはらわた 赤い教室」(79年)や「実録白川和子 裸の履歴書」(73年)などのポルノに加え、「嗚呼!!花の応援団」シリーズ(76~77年)や「博多っ子純情」(78年)などのヒット作も多い。 映画評論家の望月苑巳氏は「これまでとは違うフィクションを超えた撮り方で、ドラマを作り込むタイプ。日活ロマンポルノというジャンルを確立した人」と話す。 その作風は「無機質な質感」「アバンギャルド」とよく表現される。「
5月13日、映画『エイリアン』のクリエイターとして知られるスイス人のデザイナー/イラストレーター、H.R.ギーガーが亡くなったことが報道された。享年74歳。 ギーガーは1940年生まれ。1973年にジャケットを手掛けたエマーソン・レイク&パーマーの『恐怖の頭脳改革』が世界的にヒット。続いて1975年、当時46歳のアレハンドロ・ホドロフスキー監督が着手したSF映画『DUNE』に参加するも製作が頓挫。その後、リドリー・スコット監督の『エイリアン』(1979年)でクリーチャーのデザインを手がけた。 6月14日(土)から日本で公開されるドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』では、ギーガー本人がインタビューに答え、『DUNE』製作の顛末を語っている。 【SWISSINFO】‘Alien’ creator H.R. Giger is dead http://www.swissinfo.ch/en
朝日新聞デジタル - 梅本洋一さん死去 「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」(2013年3月12日23時7分) http://www.asahi.com/obituaries/update/0312/TKY201303120511.html <梅本洋一さん(うめもと・よういち=映画評論家、横浜国立大教授)が12日、虚血性心不全で死去、60歳。通夜は18日午後6時、葬儀は19日午前11時30分から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻安美さん>。 <映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」の編集長を創刊時から務めた。主な著書に「映画は判ってくれない」「映画旅日記 パリ―東京」など>。 梅本洋一さんが亡くなったとのこと。60歳なんて、早すぎる。 ここにもあるように、梅本さんは1990年代、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』という映画雑誌を立ち上げ、その編集長だった。私はこの雑
「愛のコリーダ」や「戦場のメリークリスマス」などの作品で、国際的にも知られた映画監督の大島渚さんが、15日、肺炎のため神奈川県内の病院で亡くなりました。 80歳でした。
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