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「20代の頃は、“魂売ったな”とも言われました」 「やりがいとか、何難しいこと言ってんだよ!」西川貴教にキャリアを相談したら最強に励まされた このページには広告が含まれています 新R25が掲載するサービスや商品の一部には、アフィリエイトプログラムを利用した商品の紹介が含まれます。本記事を経由し、サービスや商品の登録・購入などをすると、サービスや商品の提供元の企業様より報酬を受け取る場合がございます。ただし、新R25が提供する情報については、読者の利益を第一として新R25が独自に決定しており、企業様からの報酬の有無がランキングや商品の評価に関して影響を及ぼすことはございません。 将来のキャリアのこと、どこまで考えてますか? 「なりたい未来から逆算して、キャリアを考えよう」。そんな言葉も耳にしたりしながら、僕たちはそれなりに将来のことも考えつつ、会社を選んだり仕事をしたりしてますよね。 しかし
今週末の日曜日、私はユニクロで泣く。 いつも行く、イオンの4階に入っているユニクロで。きっと、震えながら白のエアリズムコットンオーバーサイズTシャツ(5分袖)を手に取って、泣く。 何の話か全くわからないと思うけど、今、たった今3時間前に起きたことを、心臓をばくばくさせながら、今日は書く。 私の家は、奈良にある。近鉄電車の快速急行が止まる駅。そして、家の94%を、地元の20代以下に開放している。(6%は私の寝室)(その話はまたいつか…) その中で、最近よく遊びにくる18歳の青年がいる。以下「R君」とする。 3日前の夜。 R君が、アーバンリサーチの黒いリュックをごそごそしながら、私に言った。「僕、あさってバイトの面接受けるんです」 そして、リュックからノートパソコンを取り出して、小さな声で「志望動機とか、おかしいところないか見てもらえないですかね…」と言った。いいよと言うと、中くらいの声で「や
タイトルの通りである。 私は理系大学院の修士過程を卒業し、IT企業(所謂SIer)に勤めて3年、タイトル通りの仕事を続けていたら、鬱病になった。 現在は医師の診断書を会社に提出し、休職期間をいただいている。 そして休む中で気分が上を向いたスキを狙ってこの記事を書いている次第である。 ・伝えておきたいこと 就活を控えた大学生や大学院生(特に後者)には注意してほしいことは、「残業時間がヘビーでなくても精神をやられることは有り得る」ということ。 具体的には、残業時間はピークで50時間/月、平常時は10時間/月 未満といった具合であった。 そして、タイトルが「ブラックな働き方で~」とか「上司のパワハラが~」となっていない辺りでお察しかと思うが、弊社は多分ブラック企業ではない(多分というのは1社しか勤めたことがないため)。 となると、やはり、仕事内容が私に合わなかったのだろう。 考えてみれば、本当に
入った会社はWebサービスをやっていた。アクセスカウンターとかレンタル掲示板みたいな、そういうプリミティブな感じのウェッブ。今でも化石みたいに残っているとこがあるよね。teacupとか。もうないか。 当時はそういうことをしている会社をASP(Application Service Provider)と呼んでいて、「うちはASP事業やってるんです」と言うと通りが良かった。 名刺代わりっていうのかな、何が出来るのか、うちはこんなに技術力あります、ってのをさ、運営しているWebサービスで表現するわけ。同業者が集まったらさ、世間話している風で、自分とこのサービス自慢しまくるんだよね。なんかこう、いやあ負荷高くて、この前もサーバー落ちてぇとか、うちのユーザーは中学生が多いんでぇとか、今で言うマウントの取り合いだよね。どこも流行ってないからさ、意味のわからないとこで競ってるんだよ。 プログラマ的にはA
当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分のプログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。 9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分の退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。 1984年に大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカーに就職するのがほとんどで、大手家電メーカー、自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。 その中で、日本ディジタルイクイップメント(DEC
「リスクをとれ」「実名で発信しろ」とか… 若者を追いつめる「強者のアドバイス」…けんすうさん、もっとやさしく擁護して! SNSで目立つのは、強者たちの意見。「顔出し実名で発信しろ、自分をメディアにしろ」「若いうちは失敗しろ。リスクをとってチャレンジしろ」「キャリアプランを設計しろ」…かっこいい。まぶしい。 が、そんなことばかり言われても無理です! 誰かほっこりした人に、「別にそんなこと必要ない」って擁護してほしい…。 と思い、取材を申し込んだのがけんすうさん。華やかな経歴を持つ実業家なのに、どんな相手にも偉ぶることなく低姿勢。彼なら、若手ビジネスマンたちが悩まされる「こうすべき!」に対して「そんなことやらなくていいです」と擁護してくれるのでは? けんすうさん、お願いします! 〈聞き手:ライター・小沢あや〉
2018年6月末で、約6年在籍した株式会社ビズリーチを退職しました。カバー写真は昨日の送別会でいただいたたくさんの寄せ書き。 最終出社日は5/29で、6月3週目まで海外一人旅に。noteを書き始めたのは、海外一人旅は大量に時間があって何か書きたくなったというのもあるが、もう一つ理由がある。興味はあるけど怖くて出来なかった「世の中への発信」をやってみようと思った。そのほうが自分の世界が広がるはずだと。 6年お世話になる中でまあまあ社内評価をいただいていたが、マーケットに晒されずに生きてきた。周りから何か言われるのが怖くて、発信するのを避けてきたのだと思う。安全地帯にいる事をずっと選んでいたが、その事が自分の世界を狭いものにしていた。他の方が書いた退職エントリがバズってるのを見て、書くか否か相当迷ったが、書くことにした。自分も会社も実名を出すので、どんな反響があるか読めなくて怖い。が、30代前
どうも、さっそ (@satorusasozaki) です。 ぼくは「シリコンバレーで世界を変えるプロダクト作る!」という目標を掲げ、3年前に渡米しました。最初の2年間はエンジニアとして活動し、3年目に現地で出会った4人の仲間とスタートアップを始めました。1年少し続けたのですが解散することになったので、今日は以下の3点を中心に、振り返りを書いてみたいと思います。 ・シリコンバレーで現地の人とスタートアップを創業するまで ・スタートアップな生活 ・スタートアップが解散する理由 シリコンバレーで現地の人とスタートアップをするのはどんな感じなのか、できるだけ具体的に想像していただけるように、私生活など、仕事以外のことも織り交ぜながら書いていきたいと思います。これからサンフランシスコ・シリコンバレーに来て何かやってみたいという人のお役に立てれば嬉しいです。 ・・・ スタートアップを始めるまで最初に、
スマートニュースの社員になりました 皆様、お久しぶりです!約 7 年振りにこのブログを書いています。 元気にしてましたか?僕は元気です。 実はこの 6 年間 id:mizzusano とカクテル株式会社という会社をやっておりまして、先日のプレスリリースにもあったようにこの度会社ごとスマートニュースにジョインすることになりました。 UUUM に遊びに(?)行ってはしゃぐ僕と id:mizzusano そこで今日は振り返りも兼ねて、以下の 3 点について、この 6 年間考えていたことを書いて見たいと思います。 事業アイデアより大切なこと 起業家が健康的に働く方法 プログラマーが起業するということ 少しでもこれから起業したい人のお役に立てればと思っております。 事業アイデアより大切なこと 6 年間の事業を振り返えると失敗の連続でした。その中で、事業そのもののアイデアより共に起業するメンバーが大切
この私も子供のころは、夢がありました。 何って、電車の運転手になりたいとか。歌手になろうとか。 年が経ち中学生になって、会社を経営していた親父に「エンジニアになりたい」と言ったら、あっさり「馬鹿野郎。エンジニアなんてものはな、金を払って雇えばいいんだ」と怒られました。そこから、長い長い反抗期と屈折した学生時代を送ることになった割に、結局は親父と同じような物事を金で解決する価値観になってしまったのは皮肉と言いましょうか。 「できることリスト」よりも「諦めることリスト」になっている いつ頃からでしょう、自分自身のことで夢を見なくなったのは。バブル全盛の高校生時代を過ぎると就職氷河期で社会に出され、証券投資をやりながらとりあえず就職、とりあえず起業……。思い返すと、自分で何かを成し遂げようというよりも、目の前のことをとりあえず乗り越えて前に何とか進んできた、そんな人生だったと思います。 大会社の
前口上 アメリカで就職できなかった。華々しい成功譚は見かけるが、夢と散った話はあまり表に出てこない。 なんというか「三振したバッターが相手ピッチャーのことを語る」みたいでまるっきり時間の無駄かもしれないが、もしかしたら参考になる人もいるかも知れないし、実際に就職した人に「お前のアプローチはまったく的外れだ」と言われるかも知れない。僕も何が悪かったのか教えてもらいたい気持ちもあるし、迷ったがこのエントリを公開する。 ちなみにめっっっっちゃ長いので、要点だけ知りたい人は、アメリカで就職するにはとにかく 就労ビザ>技術力>学歴>>>>>>>>>>>>(越えられない壁)>英語力 だというのだけお伝えできればと思う。 アメリカで働くために英語を頑張るぐらいなら、それより大学(院)に入り直してコンピュータサイエンスの学位をとり*1、同時に技術力を磨くほうがよほど近道だと感じた。 それから、現職の同僚は
「自分の『好き』を極めれば、それで生活できるようになります」 って言う人は、たいてい、「好き」と「稼げる」の積集合が大きい。 (これを「一致タイプ」と呼ぶことにする) 一致タイプの人には、 「なんで、みんな、やりたくもない仕事をやってるの? 好きなことを仕事にすればいいじゃないか!」 って、思ってる人が多い。 太古の昔から、一致タイプの成功者は、佃煮にするほど生息数が多い。 それほどまでに、一致タイプは、成功しやすい。 けれど、「好き」と「稼げる」の積集合が、空集合になってる人もたくさんいる。 (これを不一致タイプと呼ぶことにする) 不一致タイプの人たちにとっては、 「自分の『好き』を極めれば、それで生活できるようになります」 という一致タイプの人たちが唱える言説は、人生を蝕む呪いとなる。 経営者や上司が一致タイプで、部下が不一致タイプだと、悲惨だ。 経営者や上司は、仕事が好きなのは当然だ
Photo by Isseki 本日は単なるエッセイです。 昨日に公開したnoteが最近では記憶にないくらいのヒット。 2017年第43号 10/25発行 永江一石の「何でも質問&回答」note版 わたしの「人生変わった」エピソード 内容ですが・・・ 1 働いている会社の経営が心配。いま取るべき行動は? 2 自分に向いている仕事・向いていない仕事 3 キャズムの向こう側の方は全て切るべき? 4 民泊仲介業を成功させるには 5 なぜわたしは灘中を中退したか 6 わたしの「人生変わった」エピソード なんと・・・・今見たら、3と4以外は全部人生の進路的な話だったのに後から気づく・・・・。 自分は人生相談の人じゃないし、波瀾万丈に過ごしてきたけど取り立てて人生に成功したわけでもないので、コンサルタントに必要な「成功事例」ってやつが数少ない。超人ロックじゃないので人生は1回しか経験できない。これが1
僕は2007年の春にツイッターをはじめた。はじめたきっかけは忘れてしまった。たぶん女の子にモテるためとかそういう類のどうしようもないことだろう。それから2017年までの10年間タイムラインを眺めてきて学んだことはほとんどないけれど、強いて挙げるとするならば「世の中に反対している人は世の中が変わってもずっと反対し続けていること」、「好きなことで生きていこう」「すばらしい!」的なやり取りは見た目を変えながら繰り返されていること、以上二点くらいのものだ。実際、好きなことが仕事に出来たらそれはとても素晴らしいことだ。ベストな生き方のひとつであるのは間違いない。僕だって好きなことで生きてみたい。たとえば、唾を遠くへ飛ばしたり、昼も夜もバットを振り回したりすることでお金を稼いでみたかった。残念ながら現在ではそんなことは仕事になりえない。生まれるのが早すぎた。だが、裏返してみれば、好きなことを仕事にする
ご報告が遅れましたが、6月30日付で新卒の2003年から14年あまり勤務したNECを退職しました。 また、本日、東京法務局品川出張所においてヘテロDB株式会社の登記申請を行い、また、併せて新会社のチーフアーキテクト兼代表取締役社長に就任しました。 今後は、前職では実現できなかった、GPUやSSDなどヘテロジニアスな計算機資源を活用する事で、高性能、低価格、使いやすさを両立するデータベース製品の事業化を目指していく事になります。 どうぞよろしくお願いいたします。 web: http://heterodb.com/ 弊社が入居する西大井創業支援センター(品川区) 10年以上も勤務した会社を辞めてスタートアップを立ち上げるというのは、おそらく人生の中でも上位に食い込むビッグイベントの一つだと思うので、今の決意や創業に至る一連の流れについて記録を残しておこうと思います。 (書き下してみたら意外と長
あるときは社会問題に舌鋒鋭く切り込み、またあるときは標的に徹底してネット的なブラックユーモアをぶつける……そんな山本一郎さんへの評価は人によってさまざまだ。投資家として成功しながら、ブログ、雑誌、テレビ、SNSなど様々なメディアで発信し、「炎上上等」と言い切り、ネットでケンカをさせたら、おそらく右に出る者はいない。しかし、いまいち判然としないのは、山本さんが「何のために、それをしているのか」だ。 2013年の参画以来、Yahoo!ニュース 個人のオーサーとして、すでに669本(2016年8月31日現在)の記事を執筆している山本一郎さん。90分間、一貫して論理立った説明と、圧倒的な情報量の受け答え、時折差し込まれる「知らないほうが幸せだった」と筆者が感じるほどの際どいネタに翻弄されたインタビュー。しつこく粘った結果、最後に何気なくこぼれたのは、驚くほど真摯な発信の原点だった。 ■ネットの30
Joel Spolsky ジョエル・スポルスキ 翻訳: Yasushi Aoki 青木靖 2002/1/6 ときどき何もできないことがある。 確かにオフィスにやってきて、だらだらとし、emailを10秒ごとにチェックし、Webをながめ、アメックスの請求書を支払うというような頭を使わない作業をしたりもする。しかしコードを書くフローの状態に戻ろうとしても、それができない。 このような非生産的な期間は通常1日か2日続く。しかし私の開発者としてのキャリアには何週間もの間何もできずにいたということが何度かあった。言うならば、私はフロー状態になかった。私はゾーンの中にいなかったのだ。私はどこにもいなかった。 誰でも気分のむらはある。ある人々にはそれは穏やかなものだが、他の人々には、それはもっとはっきりしていて、ときには機能不全でさえある。そして非生産的な期間は塞いだ気分と何か関係しているようだ。 それ
anond.hatelabo.jp 僕には僕自身の経験からしか語れないのだけれど、それでもこの増田さん(「はてな匿名ダイアリー」の著者は、「増田」と呼ぶのが慣例なのです)の選択に、少しでも役に立てればと願いつつ書きます。 僕自身、あまり医者になりたくなかったのに、結果的になってしまった人間なので、増田さんの気持ちはわかる。 僕の父親は医者で、普段は「お前は医者にならなくても、好きなことをやってもいいよ」と言ってくれていたのですが、高校時代の模試で一度法学部希望にしたら、あからさまに機嫌が悪くなったのを覚えています。 僕の人生の「職業選択における希望」は、弁護士か文系の学者(できれば歴史学者、「ヤン・ウェンリー症候群」ですね)、もしくは「ものを書いて食べられる人」だったんですよね。 あと、ゲームをつくる人や、ゲーム雑誌の編集者にも憧れたなあ。 ただ、そういう親の「暗黙の期待」みたいなものを裏
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