社会と後でに関するtaro-rのブックマーク (2)

  • 裁判員制度は生ぬるい:山形浩生(評論家兼業サラリーマン)(Voice) - goo ニュース

    裁判員制度は生ぬるい:山形浩生(評論家兼業サラリーマン) 2009年7月17日(金)18:00 浅はか極まる反対論 いつの間にか、というべきか、裁判員制度が気で導入されるようだ。そして屋に行くと、いまさらながらに反対論を述べたがかなり登場している。が、その多くは、浅はか極まるもので、民主主義社会における市民の責任というものをまったくはき違えていると思う。 たとえばアマゾンで見ると、そうした1冊の内容紹介は、こんな具合だ。「ある日、突然、我々にやってくる『裁判員を命ず』という恐怖の召集令状。嫌々参加させられたら最後、一般市民が凄惨な現場写真を見せられ、被告人に睨まれ、死刑判決にまで関与しなくてはならない」。一般市民が嫌なことをさせられている、だから裁判員制度はよろしくない、というわけ。 が……社会ってのは、みんなが好きなことだけやっていれば済む仲良しクラブじゃない。みんなが少しず

    taro-r
    taro-r 2009/07/20
    この方向の極論はメディアではあまり見かけない
  • コミュニティにおける祭事というもの - レジデント初期研修用資料

    コミュニティにおける正義には、「成果が最大」、「面子の損失が最小」、「嫉妬が最小」の、 3つのレイヤがあって、上位レイヤで正しいことは、必ずしも下位レイヤでの正しさを保証しないし、 上位レイヤで決定されたことは、しばしば下位レイヤでひっくり返される。 「経済」が政治と祭事を上書きした 「リスク」だとか「経済」といった考えかたがなかった昔、それこそ平安時代ぐらいの 大昔は、たぶん「政治」と「祭事」というものが、コミュニティの判断を左右した。 時代のどこかでたぶん、「成果」という考えかたが入ってきて、経済は、数字で測定可能なものだから、 説得の道具として便利な「経済」という武器は、「政治」という、従来の実務レイヤを上書きする形で、 コミュニティの行く末を判断するための道具として、便利に使われるようになったのだと思う。 お祭りというものは、野蛮で非科学的なものだから、「経済」という考えかたが導入

    taro-r
    taro-r 2009/06/18
    嫉妬の話が載って無い気がするが祭りのところなんだろうか?/根回しが面子の可視化というのはうまい表現だと思った。/政治家は祭りを制御する技術を持ってるはずだけど,最近はうまく機能して無い気がする。
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