マクラーレンは、今月下旬に発表される予定の2017年用マシンの名が、MCL32と名付けられたことを明らかにした。 【写真】アイルトン・セナが駆るMP4/4。長年親しまれてきた”MP4”の使用が終わる チームはTwitterで、次のようなメッセージを発信している。 「2017年には全てが変わる。そして、我々のクルマの名前も変わる。我々は、マクラーレン・ホンダMCL32を用意する」 この動きは、長年チームを率いてきたロン・デニスがチームを去ったこと、そして新たなエクゼクティブ・チェアマンにザク・ブラウンが就任したことに起因している。 デニスが在籍していた間、マクラーレンのマシンには「マールボロ・プロジェクト4」の略号である”MP4”という3文字が必ず冠されていた。 デニスはマクラーレンに加わるまで、”プロジェクト4・レーシング”を率いていた。しかしマクラーレンと合併、メインスポンサー
オリックスの育成ドラフト5位・中道勝士捕手(22)=明大=が厚生労働省指定の難病「潰瘍性大腸炎」を患っていることが7日、分かった。この日、球団が発表し、予定していた入寮も見送りに。現在は自宅で療養しているという。 球団によると、中道が症状を訴えたのは昨年12月18日の新入団選手発表会見後で同21日に西宮市内の病院で検査。同26日に診断結果が出たという。中道の症状は約8週間の治療を要し2月1日からスタートする春季キャンプも参加しない方向。 同じオリックスの安達も昨年1月下旬に潰瘍性大腸炎の診断を受け入院。同年4月2日の2軍・ソフトバンク戦で実戦に戻り、同13日の日本ハム戦で1軍復帰している。安倍晋三首相も第一次内閣の際、この病気が原因の健康問題に悩まされた。
元サッカー日本代表MF中田英寿氏(39)が、国際サッカー連盟(FIFA)の諮問機関で競技規則などを決める「国際サッカー評議会(IFAB)」の諮問委員にアジア代表として任命され、既に活動していることが6日、分かった。FIFAからオファーを受けて快諾したもの。また、10日のFIFA理事会で討議される2026年大会(場所は未定)のW杯出場国枠拡大について、中田氏が賛成の立場であることも判明。世界が熱狂するW杯に影響力を及ぼしそうだ。 日本、そしてアジアの代表として、世界のサッカーを“改革”する。中田氏が、FIFAの諮問機関「IFAB」の諮問委員に任命されていたことが明らかになった。 「日本の選手では初めてだと思います。FIFAの新会長が、選手経験者の意見を積極的に取り入れていこうという立場であることから、オファーが届いたようです」 日本協会関係者が説明した。前FIFA会長のゼップ・ブラッタ
3日にあった第93回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)のコースになっていた東京都内の国道1号交差点で、車の規制ができておらず、神奈川大学の選手が車にはねられそうになっていたことがわかった。規制にあたった警察官の連携ミスが原因といい、警視庁は「再発防止に努める」としている。 トラブルは3日午後1時半ごろ発生。主催者の関東学生陸上競技連盟や目撃者によると、復路10区で神奈川大の選手が日比谷交差点(千代田区)を通過しようとした際、左から横断する車列が途切れず、選手とワゴン車が衝突しそうになった。直前で選手が速度を緩め、レースは続行した。 警視庁交通規制課によると、同交差点では選手の通過に合わせて断続的に車を止める規制を実施。手前の地点で通過を確認した警察官が、交差点にいる警察官に無線で連絡し、規制する手順だった。神奈川大の選手の時は、通過の連絡はしたが連携がうまくいかず、東進する3車線が規制
2016年のF1ワールドチャンピンを獲得したニコ・ロズベルグが、今シーズン限りでF1から引退することを発表した。 ニコ・ロズベルグは、F1ワールドチャンピオンは夢だったとし、F1アブダビGPでタイトルを獲得した翌日にF1引退を決断したと述べた。 「25年間レースをしてきて、それは夢だったし、F1ワールドチャンピオンになることが“唯一のこと”だった。ワードワーク、痛み、犠牲を払ってきた。それが僕の夢だったし、今、僕はそれを達成した」 「僕は自分の山を登ってきたし、その頂点にいるので、これは正しいと感じている。今の僕の最も強い感情は、その夢を実現するためにサポートしてくれたみんなへの心からの誠意だ」 「今シーズンは本当にタフだった。過去2年間の失望の後、全てのエリアを物凄い勢いでプッシュした。僕のモチベーションはこれまで経験したことのないレベルに高まった。そして、もちろん、それは僕が愛していた
2016年F1ブラジルGP決勝は悪天候でアクシデントが相次ぎ、セーフティカーと赤旗をはさみながら長時間かけて71周が行われた。マクラーレン・ホンダのフェルナンド・アロンソは10位、ジェンソン・バトンは16位だった。 ■マクラーレン・ホンダ・フォーミュラ1チーム レーシングディレクター エリック・ブーリエ マクラーレン・ホンダにとって今回のレースはほとんどの面において忘れてしまいたいレースになった。F1というスポーツにとっては、今後のウエットレースでのショー的要素を改善するため、今日のレースから学べることがあるだろう。 残念ながら我々のチームのドライバーはふたりともチャンスをつかむことができなかった。フェルナンドはレースの大部分で果敢にトップ10内を走行していたが、56周目にターン13でスピンを喫して最後尾までポジションを落とした。しかし15周の間に7台を抜いて10位まで挽回したのは素晴らし
2016年F1アメリカGPの土曜予選で、マクラーレン・ホンダのフェルナンド・アロンソは12位だった。 ■マクラーレン・ホンダ・フォーミュラ1チーム フェルナンド・アロンソ 予選=12位 今日の僕らにはQ3に進めるだけの速さがなかった。さらにリズムもあまりよくなかったね。 ただし、Q3に進んで9位か10位を獲得し、ユーズドのスーパーソフトタイヤでスタートするというのは有利ではないかもしれない。デグラデーションがひどいから、4、5周で後ろのクルマが簡単に追いついてくるだろうからね。そう考えると、僕らにとっては11位がポールポジションのようなものだった。つまり12位は2番手ということになる。新品タイヤでスタートするから、アタックできるよ。 ここではメルセデスのパワーユニットを積んでいるチームが、より一層強く、競争力が高く見える。そのために僕らはより一層苦労しているんだ。 明日の決勝でポイントを獲
ホンダの長谷川祐介F1総責任者にとって、鈴鹿のパドックを歩くのは、あの決勝16万1000人という大興奮に包まれた2006年以来、10年ぶりのことだった――。昨年は「一観客として」グランドスタンドで見ていたが、今年はレースをする当事者としてこの地に帰ってきてみて、その感慨はひとしおだった。 マクラーレン・ホンダにとって凱旋レースとなった日本GP「鈴鹿のことを聞かれると、当然ながら『一番大事なレースです』とお答えしてきましたけど、今日久しぶりにパドックを歩いてきて、その言葉では全然足りないくらい感慨深いものがありました。もちろん、成績とかパフォーマンスをもっとという気持ちはありますけど、『ここに帰ってきたんだな』という気持ちはすごく強かったですね」 応援してくれる日本のファンの人たちに、すばらしいレースを見てもらいたい。長谷川は一貫してそう言い続けてきた。 「レースは結果がすべて」 それが長谷
F1日本グランプリの主催者は9日、三重・鈴鹿サーキットで行われた決勝の観客数が7万2000人だったと発表した。2014年と並び過去最少。大会3日間の合計は14万5000人で、14年の15万人を下回り、過去最少となった。
アロンソ“鈴鹿スペシャル”に手応え 大好きニッポンで好スタート決める 拡大 「F1日本GP」(7日開幕、鈴鹿サーキット) F1第17戦、日本GPは7~9日に三重県鈴鹿サーキットで開催される。6日は開幕前日会見が行われ、フェルナンド・アロンソ(35、スペイン)=マクラーレン・ホンダ=が“鈴鹿スペシャルエンジン”に手応え。マクラーレン・ホンダとしては、ゲルハルト・ベルガー(オーストリア)が2位に入った92年以来、24年ぶり鈴鹿での表彰台が視界に入った。 地元凱旋に照準はピタリだ。前戦のマレーシアGPフリー走行でアップグレード版エンジンを使用。グリッド降格という罰則と引き換えに、満を持して鈴鹿で“最終兵器”投入の態勢を整えた。 同GPでアロンソは最後尾の22番グリッドからごぼう抜きの7位。2戦連続7位入賞の好調さで、大好きな日本に乗り込んできた。スタートが好調な要因を問われると「プレイステーショ
ホンダがベルギーGPに向けて開発トークンを使用したパワーユニットのアップデートを行った。残っていた10トークンのうち7トークンを投入したものとみられる。
「頼むからレスリングを実況してくれ」「なんで一人でずっとポエム語ってんの」――。 2016年8月19日早朝(日本時間)に行われた、リオ五輪レスリング女子53キロ級決勝。「絶対女王」吉田沙保里選手の「まさかの敗戦」に驚きが広がる一方で、テレビ中継を見ていたネットユーザーからは「実況がひどすぎる」とのバッシングが相次いでいた。 「私にとって3歳から磨いてきたレスリング」 「今!目の前で!!起こっている事を!!!実況しろよ!!!!」。こんな怒りの声が視聴者から出るほどの「迷実況」とは、いったいどんな内容だったのか。 吉田選手の試合を実況していたのは、日本テレビの河村亮アナウンサー(49)。女子レスリング決勝は日テレとNHK BS1の2局が放送していたが、試合の実況は日テレの制作で、どちらでも河村アナの実況が流れた。 実際の中継を見ると、14年に亡くなるまで吉田選手のコーチをつとめていた父・栄勝さ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く