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2011年10月14日12:06 武田教授って、本当に科学者なのか? カテゴリ kinkiboy Comment(13)Trackback(0) 世田谷での高線量の放射線検出に関しては、原因が空き家になっている家屋の床下にあった、がん治療などに使われるラジウム226と推定されるビンが原因で、やはり福島原発とは関係がないことが判明しました。住民の方も一安心されたのではないでしょうか。 原因は、「やはり」なのです。たまたま小倉さんの朝の報道番組で現場にいた専門家のかたが、周辺は極めて放射線量が低く、つまり自然なレベルにもかかわらず、その場所だけが高線量が検出されてことは不自然であり、原因を調査しなければなんともいえないと疑ったように、必ずしも福島原発事故とは関係があるとは思えないと感じた人も多かったはずです。しかし、その件に関しての武田教授の昨日のブログは、この方がいかに科学的でないかを示した
なんで皆が皆揃いも揃って「むしゃくしゃ」するんだ? なぜ皆が皆「むしゃくしゃ」するのか: H-Yamaguchi.net むしゃくしゃって単体の感情を指すんじゃなくて、不満と怒りがない交ぜになった何かを指すんじゃないかなあって思って辞書を引いてみる。 (副)スル (1)腹立たしくて心が晴れないさま。 「仕事がうまくいかなくて、―(と)する」 (2)髪などがもつれ乱れているさま。もじゃもじゃ。 「―した髪」「髯(ひげ)―の口を開いて/社会百面相(魯庵)」 の意味 - goo国語辞書 ええっ!もじゃもじゃ!もじゃもじゃ! そうか、あのマンガで良く吹きだしにあるこれだな うーん、これだと「腹立たしくて」が表現できていないな。でもまあそんなところが語源なのかな。 「心が晴れないさま」ってのはなんだか便利そうな感じですね。
島本和彦はひとのこといえるのか問題。 - Something Orange 既に、ブクマコメ(はてなブックマーク - 島本和彦はひとのこといえるのか問題。 - Something Orange) とか、 島本和彦氏は自作のパロディ性を自覚していないか? - ARTIFACT@ハテナ系 とかでも、いろいろ書かれているが、俺も書いておく。 というか、ここ二、三日、このことが頭を離れなくて、書かないと落ち着かないと気付いた。 とりあえず、俺は島本信者だから、その辺は差し引いてね。 まず、ブクマコメや、ARTIFACT@ハテナ系さんでも、指摘されていた部分。 海燕氏は、 こういうふうにいうからには、島本さんは自分の作品は「全部自分で考え」ていると思っているのだろう。しかし、かれの作品の大半は熱血青春もののパロディである。 と書いておられる。 これは、ARTIFACT@ハテナ系さんが書かれている通り
先日宮崎県知事に当選したそのまんま東(東国原)氏の活動がメディアから注目されていますが、東国原知事のイメージメディアリレーションの力量(地方政治、地方自治の力量ではないです)の一端が宮崎県がホームページで公開している知事記者会見の動画から垣間見えます。 YouTubeにもアップされていますが、やりとりの一部を抜粋するとこのような感じ。 知事:アンケートもなくあなたはいま反対が多いとおっしゃっている。何を根拠におっしゃっている? 記者:先ほど言いましたよね、わが社に少なからず電話がかかってきています。 知事:賛成の電話はかかってないでしょ。 記者:賛成かかってきますよ、比率が極めて少ないというだけで。賛成する人はわざわざ電話かけてこないですから。 知事:ですね。公平、公正、中立なアンケートに基づいて発言をお願いします。 宮崎県のHPでも確認しましたが、このやり取りは副知事の選任問題についての
俺は哲学史を勉強することばっかり考えてこれまで哲学書を無心に読むことをしてこなかった。なんてもったいことをしていたんだろう。深夜に目が覚めてから三時間、さっきまでデカルトの「方法序説」と「省察」を読み耽ってた。すぎょかった。こんだけすぎょいものを読んだ上で反発しようと思って、一定の批判を行えた批判者のみなさんもすぎょい。哲学ってすぎょい。というよりも西洋の知すぎょい。安易に西洋中心主義的思考ファック!とかいうの禁止する。俺脳内で。俺は歴史として整理されたものばかりに目を向けることですぎょさから目を逸らしてしまっていた。我が身の不明を恥じまくる。恥じまくりたい。恥じまくるとき。恥じれば。そして、哲学に限らずみんなちゃんと原典にあたろうずぇい、ということをなんとなく増田に書いておきたい気持ちになったのだった。
妻と買い物をしている時のことです。 コンビニなどのお店で私がお会計しているときに、 店員と私のやりとりでうまくかみ合わないことがあります。 そんな時、私の横から妻が出てきて、店員に一言言うと、 会話が成立することがよくあります。 「会話がかみあってないな~」と意識できます。 横から口出されるのはかまいません。 ただ、私を無視するかのように前にすっと入ってきて割り込まれる感じは好感が持てません。 コミュニケーション能力が低いと毎回態度で示されているようで、非常に腹が立ちます。 能力の低さを自覚していることもあり、余計腹がたちます。 妻は居酒屋で働いていたため店員と私のやりとりで不備があることを嫌います。 「店員を困らせるな」ということのようです。スムーズな会話をしないと口を出します。 私はうまくいかない会話も含めて買い物だと思っております。 普段、急いでいる人やせわしない人を 見ると「もっと
アンカテ(Uncategorizable Blog) - いじめ問題の解決を見て傍観者が不安になるような解決方法が正しいアプローチであるを一読してそう感じた。 二度読んでやはりそう思った。 このいじめ対策案はぬるいどころか最悪である。 まず、その基本コンセプトには十分同意する。 「濃縮された毒を再度社会に投げ返すようなアプローチ」とはこういう意味で、いじめ問題が解決した時に、我々が納得して安心してしまうような解決は本当の解決ではない。解決によって当事者は安心しても、それを見ている無関係な我々の間に言いようのない漠然とした不安感が湧き上がってくるような解決が本当の解決だ。 だが、そのための手段として提示されたものがあまりにもひどすぎる。 私はいじめ被害の経験者であり、その被害は学校においても、社会においても受けてきた。 対して、私がブックマークでよく使う[これはひどい][死ねばいいのに]とい
これは、ネタじゃないです。 ワーキングプアのNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いました。 明後日、あのテレビで映っていた田舎に帰省するそうです。 あの特集では、見慣れた近所の風景がたくさん写されたそうです。 また、知り合いがたくさんテレビに映ったそうです。 で、典型的ワーキングプアとして紹介された田舎でテイラーをやってるおじいちゃんですが、もともと、田舎の人は、あんな店では、あまりお金を使わないそうです。 なんでも、あそこらへんは、田沢湖あたりの観光地の商売で、観光地としての田沢湖から、客足が遠のいたので、店が苦しくなったんだそうです。 田沢湖は、周辺のスキー場なんかも客足が遠のいており、観光地全体の集客力が落ちていますが、それは、単に一つの観光地の商品的魅力がなくなったり、バブルがはじけたりという話であって、「田舎が貧乏になった」ということとは、別の話だろ、とい
コーヒーブレイク:烏賀陽弘道の朝日新聞的ジャーナリズム ■ 烏賀陽弘道 1996/04/29 無法パソコンネットの卑劣 http://ugaya.com/private/repo_5.html http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1958/nifty/aera.htm 昔、「地上の楽園」というパソコン通信のBBS(今で言う掲示板)があった。 そこに、実名と電話番号とともに、ある女性をレイプしてくれという依頼が書き込まれていた。 そのことを烏賀陽弘道が週刊AERAで記事にした。 問題は、その女性の実名が削除されないうちに、全国紙の記事にしたことである。 「地上の楽園」の電話番号は、すこし調べればわかる。 この記事のおかげで、せいぜい何百人かしか知らなかったA子さんの氏名、住所、電話番号を、さらに知らしめることになった。 A子さんだけでなく、B
私にとって倫理とは、フェアな形での自己の素材化のことだ。そこでおのずと生じてくる創発的分析の特異性、そのできる限りの尊重*1をこそ倫理的な営みと呼びたいのだが いわゆる左翼リベラルにとっては、「当事者のために」というような絶対擁護を口実にする卑劣さを倫理と呼んでいるらしい。 こんな根本的勘違いに気づかないまま左派を信用していたとは。 【エビデンス軽視で話題の村上靖彦】【関連𝕏ポスト】 【村上靖彦の新著を論じる斎藤環】 彼らにとっては自己検証ではなく「当事者擁護」が倫理なので*2、それを意味するスローガンさえ立てれば自己の権力を絶対化できる*3。ここには自己検証の契機はない、つまり倫理はない。(おのれが絶対化した当事者のニーズ通りに振る舞えているかどうかだけが "倫理的" 検証のテーマというわけだ。) 左派がなぜ《ウソ・隠蔽・印象操作》ばかりの集団となっているか――その根本的メカニズムがこ
有力ブロガーがオウム真理教の信者だとわかった。 その人物への4時間にわたるインタヴューが、 ネットに掲載されて、話題を呼んでいる。 ●暴かれたオウム信者のブログ 松永英明氏は、オウム真理教内で編集の仕事にかかわり、オウムの出版社の社長を務めたりしながら、その事実を秘して精力的にブログを書き、有力なブロガーの一人と見られていた。一般の出版社からも何冊も本を出している。 そのうちの一冊は私も読んでいた。きちんとした本で、有能なライターのように感じられた。 それだけに、フリージャーナリストの野田敬生氏の追及で、オウム真理教の信者だったとわかったときにはびっくりした。 暴かれたその素性は、ネットのディープな情報に通じている人々にはさらに驚くべきものだった。 松永氏は、96年から2000年まで「河上イチロー」という名前で、公安や内外の政府の諜報活動について異様に詳しいサイトを作っていた伝説的な人物だ
『新潮45』に中島義道がまた「武勇談」を書いている。留学生たちと一緒に浅草のレストランへ行ったら、近くの二組のカップルがやたらうるさく、猥褻物さえ見せびらかしたのでウェイターに注意させ、遂に自ら出向いて「静かにしなさい!」と言ったら「なにおう、てめえ!」と殴りかかってきそうになったが、留学生たちが間に立ちはだかってくれた、という自慢話。そして彼らを「多国籍軍」などと呼んでいる。 『僕は偏食人間』でも中島はこの手の自慢話を書いている。電車内で携帯電話で話している女子高生に注意して、駅員がやってくる騒ぎになり、女子高生が「あなたは誰にでもそうやって注意するんですか」と訊くと「そうです」と答え、最後は女子高生が「おじさん、面白い人なので連絡先教えてください」と言うという実に嫌味な自慢である。この本を読んで、私は中島のインチキぶりに気づいたのだが、読んだのは書評を頼まれて『文藝春秋』に書いたからで
テキサス州オースティン発--その規模と熱狂振りの大きさを多くの人が語ったSouth by Southwest(SXSW)Interactiveカンファレンスだが、変わらなかったことを誰もが喜んでいるように見えたことが1つだけあった。それは、SF作家のBruce Sterling氏が閉会の言葉を述べたことだ。 およそ45分間のスピーチの間、Sterling氏はWeb 2.0技術に関する疑問点から、海外で米国および米国民がどのように見られているか、さらに、現在同氏が住んでいるセルビア・モンテネグロの都市ベオグラードの政治問題や日常生活にいたるまで、多くの問題に言及した。 Sterling氏のスピーチは全般的に反抗的かつ叙情的で、同氏のスタイルを貫いていた。それは、現代技術への賛歌であり、また、今の世の中、その気になればどこででも生きられるにも関わらず、1カ所に留まっているように見え、それでいて
以下、議論のしかたより引用: 討論では勝ち負けがはっきりしますが、議決や対話では発言者に勝ち負けはありません。相手を言い負かすのが目的ではなく相手の意見を聞いて考えるのが目的なのです。 たしかに、「表面的」にはそういうフリをすることはたくさんありますが、実際には、みんなメタレベルで「プレゼンス・ゲーム」、「利害闘争」、「感情ゲーム」をやってるんですよ。現実の空間では。 プレゼンス・ゲーム、というのは、つまり、自分のブランドを構築するゲームです。周囲の人間が、どの人間の発言をより尊重し、耳を傾けるようになるか、というゲームです。議論において、表面上公正な議論を追求する姿勢を示すのは、じつは、「自分は公正な議論をする人間なのだ」というメッセージをブロードキャストして、自分のプレゼンスを勝ち取りに行く行為でもあるわけです。しかし、それだけが唯一のプレゼンスゲームに勝つ方法ではなく、たとえば、相手
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