スクールカウンセラーをしている友人がケニアにきてくれたときに、彼女が関わる小学校の児童の話を教えてくれました。 「先生も親も気づいていないんだけど、実は勉強もできるいい子が一番危ないんだよね」と。 26になる大人がぎくっとしたのを覚えています。 友人がケニアから帰った後に、ネットで「いい子すぎて育った」とググると、いい子症候群は要注意という記事をたくさん見つけ、そこに書かれていることの多くが自分に当てはまっていることを知りました。 多くの記事がいい子症候群の子どもへの対策を書いているのですが、いい子症候群のまま大人になってしまった人の状況と対策について書いた記事は少ないです。 今回は26歳にしていい子症候群であった・あると自覚した自分の現在の生きづらさと今後このいい子症候群とどうやって向き合っていけばいいかを書きたいと思います。 いい子症候群とは何か 「いい子症候群」とは、保護者のかたが思
(注)朝永振一郎氏(1906-1979)は京都大学の出身であるが、理化学研究所仁科研究室を経てライプチッヒ大学に留学(ハイゼンベルクに師事)、帰国後1941年に東京文理科大学の教授となられ、新制東京教育大学の発足に伴い1949年から1969年まで、東京教育大学理学部物理学科および光学研究所の教授を務められた。その間、1956年から1962年の2期6年間(1期4年間、再任2年間)にわたり、東京教育大学の学長を務められ、東京教育大学の発展のために尽力された。朝永氏が学長をされていた時代は後年教育大関係者によって「朝永時代」と呼ばれるようになり、東京教育大学がもっとも輝いていた時代、東京教育大学の黄金時代と見なされるようになった。教育大学新聞会は、学長退任直後の1962年、朝永教授に過去の「思い出ばなし」の連載企画を提案したが、教授はこれを快く引き受けられ、24回にわたって当「教育大学新聞」の紙
自分史のススメ https://i0.wp.com/yuramaki.com/wp-content/uploads/2018/06/34529040_1707375242680348_2790323974561595392_n.jpg?fit=960%2C880&ssl=1 960 880 Yuramaki Yuramaki https://secure.gravatar.com/avatar/9b3eb976e5da6481327cc7ac33615ef6?s=96&d=wp_user_avatar&r=g 2018-06-07 2018-06-06 当時は感覚的にぼんやりと 決めていたけど、 その感覚を今一度掘り起こして味わい、 今の心の解像度だと きちんと言葉にできるもの。 沢山あります。 グライダー人間に なってしまっていたのは 何がきっかけで、 立ち返ったのは何でか、 今につなが
漫画家の田中圭一さんによる、 うつ病をテーマに描いたインタビュー漫画、 『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』が、 30万部を超える大ヒットになりました。 10年の間、うつと向き合いつづけ、 現在ではうつを克服されている田中さん。 うつのトンネルから抜け出せたきっかけは、 気温と機嫌の記録をつづけることで、 ある法則に気づいたからなんだそうです。 『うつヌケ』の中で描かれていた、 記録をつづけることや日記を書く意義、 そして、「ほぼ日手帳」でできるうつ対策について、 田中圭一さんにお話をうかがいました。 心の変化を書きとめておくと、 きっと、未来の自分が喜んでくれますよ。 田中圭一(たなかけいいち) 1962年5月4日生まれ。 大阪府出身。血液型A型。 手塚治虫タッチのパロディーマンガ『神罰』がヒット。 著名作家の絵柄を真似た下ネタギャグを得意とする。 また、デビュー当時からサラリーマン
この記事を書くことをずっと夢見ていました。 ブログを更新することがなかなか出来ませんでしたが、この間に3つの記事を書きました。 この4か月間くらいは、ずっと長男くんのことで頭がいっぱいでした。 そして、直近2か月間の長男くんは絶不調でした。 僕も不調になり、妻も不調になりました。 次男くんも含め、家族同士の関係も良好とは言えなくなりました。 そんな状態だったので、冷静にパソコンに向かって文章を書く、ということから離れてしまい、パソコンやネット自体からも距離をおくようになってしまいました。 「会社を辞めない方がよかったのかも・・」と初めて思いました (このままでいると、子供が一生ひきこもってしまうかもしれない・・)という危機の中では、なかなか冷静にはなれませんでした。 この冬のかなり長い間、夫婦の関係を悪くしてしまいました。 自分の子供が不登校・ひきこもり・心の病になると、夫婦の関係に亀裂が
しいたけ.オフィシャルブログ「しいたけ.のブログ」Powered by Ameba しいたけ.オフィシャルブログ「しいたけ.のブログ」Powered by Ameba amebaサトリさんでも月1の人生相談のページを持たせて頂いているのですが ・amebaサトリ、しいたけ人生相談 そのページでもとても多い質問とか自己紹介のひとつに 「私には何もない」 という言葉からスタートすることがけっこうあります。 そして、こういうことを言うと怒られるかも知れないのですが、僕自身は相談する方から「私には何もない」という台詞が発せられているのを見た時に、けっこう嬉しくなってしまうのです。「その台詞を言う自分に辿り着きましたか! 」って。 これ、僕自身もそういう時期がすごくありました。自分語りになってしまって申し訳ないのですが、就職活動で全部落ちて、そしてプライベートでも色々あったときがあって 「自分には何
#9 見知らぬ三十九歳のこと 大人になりそこなってきた、という体感がある。二十三歳までにこなさなければいけなかった儀礼のいくつかをスルーしてしまった、というほうが正確かもしれない。 たとえば、大学に入るまで、友だちと夕食を食べたことがなかった。どうやらみんなは高校の放課後に買い物をしたりゲームセンターに行ったりしているらしい、そして家族ではなく友だちと夜ご飯を食べることがあるらしい、そう勘付いてこそいたものの、自分とは関係ない話だと思っていた。親が門限に厳しかったのもあるかもしれない。ラーメンも牛丼も、成人したころにようやくハラハラせずに食べられるようになった。 スポーツも授業以外でしたことがない。就職活動をしていると、じぶんの「リーダーシップ」のなさに目を見張る。どうやら、みんなはスポーツにかぎらず、なんらかのチームプレイを経験して育ってきているらしい。 まわりが初体験がどうセフレがどう
初のノート投稿になります。 簡単に自己紹介をすると、はてなブログで4年くらい前から「心がよろけそうなときに読むポンコツ日記」というブログを書き始めました。ポンコつっこと申します。 http://ponkotukko.hatenablog.com そこからいろいろとご縁があってwebライターとしてほそぼそと執筆の機会をいただいております。 https://a.excite.co.jp/News/bit/author/ponkotukko/ もともとはただの雑記ブログで今みたいにブロガーとかアフィリエイターとかそんな言葉もなくて、ややアングラ的な環境で自分の体調のことや人生のことを書き綴っていたりしました。はてなブログの拡散力が注目されるようになって様々な人がブログを始めていく中で、自分はあまり自分の開示をしなくなっていったわけです。あぁ、なんて虚しいインターネット。インターネットは私の居場所
自分が「ガマンの鎧を着た人」だと気がついたのは30歳だった。 もちろん生きていれば誰もがガマンをした経験はあるし、「わたしは誰よりもガマンをしてきたのよ!」と不幸自慢をしたいわけではない。むしろ他人から見たら「さんざん好き勝手にやってきたじゃないか」と言われるくらいだと思う。 自分では選べないような家庭環境や経済状況でガマンすることは少なからずあったし、生まれ持った見た目や体質で他人を羨ましいと思うこともあった。比較的早いうちに子供を産んだことで20代にガマンしたことは1000個じゃ足りないと思う。でも、問題なのはそのガマンの数ではない。 振り返るとわたしはいつも「自分の環境や状況を受け入れてガマンする」のではなく、どういうわけか「自分はガマンしないといけない」という考えが前提にあった。だから、自分がなんか嫌だなと思うことも、誰かに傷つけられることも、向いていない仕事も、「しかたがない」と
人生100年時代。働き方やスキルは何度もアップデートできる。そんな生き方を体現しているのが、『格好悪いふられ方』などのヒット曲で知られるシンガーソングライター・大江千里さんだ。 国内ポップミュージック界でのキャリアを捨て、47歳でジャズの名門・米ニュースクールに入学。現在はニューヨークを拠点とするジャズミュージシャンで、自身のレーベル・PNDレコーズを「ひとりビジネス」として手がける経営者でもある。 この記事の写真を見る その毎日の様子は1月の新著『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』(KADOKAWA)に詳しいが、約1年ぶりに帰国した折にじっくり話を聞いた。千里さん、人生の新しいステージをどう生きていますか? ■僕にとっては「意味のあるおカネ」 ――今の活動状況を教えてください。 ニューヨークの53丁目にある「トミジャズ」というジャズクラブで、毎月最終木曜日に演奏
(CNN) 「自ら命を絶たなかったことに感謝している」――。五輪4連覇を果たした米国の元男子競泳選手、マイケル・フェルプスさん(32)がこのほど、米シカゴで開かれたメンタルヘルス関連の会議で、うつ病に苦しんだ経験を振り返った。 フェルプスさんは精神医療の改革を掲げる米ケネディ・フォーラムの年次総会で登壇し、政治コンサルタントのデービッド・アクセルロッド氏と対談した。 「王者になるには何が必要か」という質問に、フェルプスさんはためらいなくこう答えた。「それなら簡単。努力すること、打ち込むこと、あきらめないことだ」 具体的な経験について問われると、コーチが両親に「この子はオリンピック選手になれる」と告げた時のこと、初の五輪となった2000年シドニー大会で「0.5秒足らずの差」での敗北を喫し、メダルを持ち帰れなかったことを振り返った。 そこで味わった悔しさを原動力に、15歳で初めて世界記録を更新
簡単にいうと「今がこれからの人生で一番若いんだから、今から何か行動するとよくなる可能性ってまだまだあるよ」的な感じです。 で、いろいろな反応を見させていただいたんですが、出てきた話として、「人生詰んだと思っちゃう人は、新しいことをするエネルギーが足りていないため、何も始められないのでは?」という指摘です。 これはその通りなんです。 「決断疲れ」というのがあり、何かを決断するには膨大なエネルギーが必要なため、1日にできる量は限界があるみたいな話があるのですが、新しいことをはじめるというのにも相当なエネルギーが必要です。「人生詰んだ」と思ってしまう人が、たくさんエネルギーがあるかというと・・・ないですよねえ。 僕の話をします。 僕は小さいころから運動神経もなく、手先も不器用で、勉強もできなくて、歌や楽器も下手で、、と言ったようなそんな感じで他の人と比べてもスペックはだいぶ低いというような印象が
ぼくは「感情との向き合い方」を考えることが好きだ。 じぶんの感情っていうのは、ほんとうによくわからない不可解なもので、そのあまりの扱いにくさたるや、獣(ビースト)のようである。 調子に乗ってコントロールできると過信するとしっぺ返しを食らってしまうけど、僕らに幸せを感じさせてくれるのもまた感情だから、なるべくうまく付き合っていきたいなぁとおもっていて、その手法やヒントになるようなことを学生時代からもう10年以上、ずっと学んでいる感じだ。 その中でもとくに向き合うのが難しいし面白いなあとおもっているのが「陰性感情」(ネガティブな感情)である。怒りとか、嫉妬とか、悲しみとか、いろいろな陰性感情があり、それぞれにいろいろなキャラクターをもっていて、自分なりに彼らとの付き合い方を学んでいるところなんだけど、その中でもっとも重要な、「大原則」と言ってもいいことばがある。 それは、「感じてはいけない感情
— 学生の地頭は、高校名で決まる これは、新卒マーケットに存在する『定説』だ。いわく、出身大学よりも出身「高校」のほうが、学生の地頭を測るには正確だというのだ。だから企業によっては「出身高校」を見るのだ。だが、もしこの説が本当であれば、大学とはいったい「何を学ぶ場所」なのだろうか? 今回、この疑問を東京大学の名誉教授である早野龍五氏にぶつけてみた。北野唯我の『激論』シリーズ、二人の白熱する議論をお楽しみください。 「こんな時代に大学で学ぶ。そこに、意味はあるのでしょうか? 早野先生」 早野龍五(はやのりゅうご):物理学者。東京大学大学院理学系研究科元教授、現同大学名誉教授。専門はエキゾチック原子。世界最大の加速器を擁するスイスのCERN(欧州合同原子核研究機関)を拠点に、反陽子ヘリウム原子と反水素原子の研究を行った。『知ろうとすること。(糸井重里共著、新潮社・新潮文庫)』 北野:新卒マーケ
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