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ブックマーク / hare-tetsu.hatenablog.com (1)

  • 哲学対話とマジョリティについて - はれ ときどき てつがく

    いつからか、「自分には見えないものがたくさんある」と思うようになった。 例えば差別を受けてきた人や、様々な困難とともにある人から聞く体験が、表面上は理解できても、リアルに感じられないことがある。自分の何気ない発言が、知らずのうちに誰かを傷つけてしまうことがある。様々な話し合いの場に参加するなかで、自分には全く見落としてしまっていたり、存在すら感じられないものがある、ということに徐々に気づいてきた。 はじめはこれらの「見えなさ」の原因を社会に求め、その構造を探究しようとしていた。「当事者」の声を隠蔽するシステムが何かあるのだろう、それはどういうものだろう、と。しかしあるとき、この疑問は「自分にはなぜそれらが見えないのだろう?」という問いに変換しないと意味がない、とふと気づいた。そして出てきた答えはシンプルだった。 なんのことはない、それは自分がマジョリティだからである。 自分は日人であり、

    哲学対話とマジョリティについて - はれ ときどき てつがく
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2019/12/22
    マジョリティが「哲学」という大義名分の下でマイノリティを抑圧してしまう危険性について。マジョリティ特権についても。/「セカンド差別」とも言えるかな。
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