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ブックマーク / lessor.hatenablog.com (6)

  • 「愛されないから愛せない」と悩む母たちへのマンガ - 泣きやむまで 泣くといい

    やや刺激の強いタイトルのマンガがfacebookで紹介されてきて、amazonを見に行ったらレビューが星5つと星1つにまっぷたつ。自分の目で確かめてみようと思った。 母親やめてもいいですか 作者: 山口かこ,にしかわたく出版社/メーカー: かもがわ出版発売日: 2013/03/01メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (6件) を見る いわゆる「コミックエッセイ」である(定義はよくわからないが)。発達障害をもつ子どもの母親自身が描いたマンガやはこれまでにもたくさんあり、その多くは子育て中の保護者(特に母親)が知識を得たり、共感を覚えたりするような内容を目指していたと思う。マンガにすることでが苦手な人も手にとりやすくなる。 「こういうことって、あるある」「自分だけじゃないんだ」という共感は、親にとって単なる気休めではない。私的な体験と思われていた苦労が、「みんな」にとっ

    「愛されないから愛せない」と悩む母たちへのマンガ - 泣きやむまで 泣くといい
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2018/11/19
    『母親やめてもいいですか』という本について。私は当事者だから見方が違うけど、親側の視点はこんな感じだろうな。
  • 発達障害を「暴力的カテゴライズ」と断じる意味はあるか? - 泣きやむまで 泣くといい

    Yahooのトップページでまでアスペルガーの診断名が無くなることが話題にされ、しかもその一番に貼られたリンクが「精神障害や発達障害は近代社会による『暴力的カテゴライズ』だが、受け入れることで支援してもらえる部分もあるから、まあうまく使っていかなきゃしょうがないか」という内容で、もう当にいい加減にしてくれと思う。 発達障害はあの「ニュータイプ」かもしれない〜アスペから自閉症スペクトラムへ http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20130503-00024704/ 自分は「発達障害」に特化して近代以前からこれまでの言説をきちんと歴史的に追った研究を全く見たことがない。概念がなかったから、そのような困難さ自体が存在しなかったと言える根拠にはならないだろう。近代以前の社会ならば、今でいうところの「発達障害」の人は困ってなかった、といかなる

    発達障害を「暴力的カテゴライズ」と断じる意味はあるか? - 泣きやむまで 泣くといい
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2014/11/02
    "近代以前の社会ならば、今でいうところの「発達障害」の人は困ってなかった、といかなる根拠をもって言えるのだろうか。"
  • 「親たち」が自由になるための本 - 泣きやむまで 泣くといい

    の紹介をしたい。著者は「障害のある子の親」であるが、以下に書くことは少しだけ読み替えれば「障害児者の親」に限らず「親」一般にも当てはまる部分が多いだろう。書名が「障害のある子の親である『私』」ではなく、「障害のある子の親である『私たち』」となっているのはちゃんと理由がある。著者がつけたのか出版社がつけたのかはわからないが、ここに込められた大事なメッセージこそがこのの大きな価値だ。 障害のある子の親である私たち 作者: 福井公子出版社/メーカー: 生活書院発売日: 2013/09/15メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (3件) を見る 障害児者の親が書いたは他にもたくさんある。親が書いたに救われた経験をもつ親もいる。 子どもを産み、育てる過程での不安、ショック、悲嘆、自責。それらはひとりで抱え込むにはあまりに重く、誰かの支えを必要とする。自分のような支援者もその

    「親たち」が自由になるための本 - 泣きやむまで 泣くといい
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2014/05/07
    "つまり、私たち親が「それは社会の役割だ」そう言い切る勇気がなかったのではないか。自らやってしまうことで、その声を弱めてしまうことはないのか。"
  • 「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た - 泣きやむまで 泣くといい

    先週末のことである。これまで子どもと関わる仕事を続けてきて、街なかでも子どもの姿にはよく注意を向けてきたつもりだったが、「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た。 リードとか「ハーネス」とか言うらしい。Amazonで調べてみると、幼児用にけっこうたくさんの商品が出てくるから、需要は高いのだろう。「迷子ひも」なんて呼び名もあるようだ。リュックサックにヒモがついたようなものもある。自分が見たのは、リュックなどがついていないために、もう当に「ヒモでつながれている」感じが目立つものだった。ヒモ部分も1メートルぐらいはあり、親子の身長差を補うというレベルでもない。 そのようなものを使うことがあるらしい、と聞いたことはあった。ネット上で調べると、実際に活用している親によるコメントも簡単に見つけられた。その内容はと言えば、想像通りで、「虐待だと説教された」「嫌味を言われた」など、周囲から否定的に

    「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た - 泣きやむまで 泣くといい
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2013/06/05
    幼児を車に乗せる時の、膝の上で抱っことチャイルドシートの違いに通じる話なのかもしれないなぁ。手を繋ぐよりリードのほうが安全なのかもしれないし。
  • 大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について - lessorの日記

    ひどいものを読んだ。 家庭教育支援条例(案) http://osakanet.web.fc2.com/kateikyoiku.html 第4章 (発達障害、虐待等の予防・防止) (発達障害、虐待等の予防・防止の基) 第15条 乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる (伝統的子育ての推進) 第18条 わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する もし、この条例がこのまま成立するならば、大阪市の発達障害をもつ子どもたちと家族は一刻も早く、大阪市を脱出したほうがよいと思う。 この条例の考え方において、発達障害の子どもは「予防に失敗された存在」であり、

    大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について - lessorの日記
  • 乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について(※少し追記あり) - 泣きやむまで 泣くといい

    「もしも、自分が障害のある子を授かったら....みなさんはどう思いますか」・・乙武(h_ototake)さんの連続ツイート http://togetter.com/li/198030 このtogetterを読んで「うわー、これはよくない」と思って、寄せられたブックマークコメントを見たら、みんな絶賛(※その後、時間が経って、少しずつ批判的なものも出てきた)。世間的にはこれが「障害があっても人は幸せになれる」という美しい主張としてのみ受けとめられてしまう。自分は、障害児とその家族を支援する者である。無視できない。 彼のツイートの意図はどうあれ、これは「障害を受容できない保護者は望ましくない」「障害を受容できない保護者の子どもは苦労をする」というメッセージとして機能する。それも「受容できない」責任を保護者自身に帰属させる形で(彼自身は「受容」という言葉を用いていないので、もしかしたら「障害受容」

    乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について(※少し追記あり) - 泣きやむまで 泣くといい
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2011/10/09
    本当は子供を受け入れてないのに「子供を受け入れ愛する親」のつもりになっている親と、子供を受け入れられない自分を自覚しつつ、悩みながら受け入れようと努力する親とでは、後者のほうが子供にとってはマシだよ。
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