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マンガと映画に関するImamuのブックマーク (5)

  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(2)「『かく』時間」 | マンバ通信

    マンガ「この世界の片隅に」には、「かく」場面が多い。鉛筆で、絵筆で、羽で。すずはかくことが好きだ。婚礼の日ですら、嫁ぎ先の片隅に居場所を見つけ、行李の前に座り込んで兄に絵入りのはがきを書く。祝いの席で出たべものをひとつひとつ鉛筆で絵に描いてから、「兄上のお膳も据ゑましたよ。せめて目でおあがり下さい。」とことばを添える。しかし翌朝、はがきの表に自分の名前を書き終えたすずの手がふと止まる。すずは新しい家族に尋ねる。「あのお………… ここって呉市…? の何町…? の何番ですか?」 「ぼうっとしている」すずは、嫁ぎ先の住所すら把握していなかったというわけなのだが、ここでわたしがなぜ「すずの手がふと止まる」と書けたかといえば、マンガのコマ運びがこうなっているからだ。 (『この世界の片隅に』上巻 80ページ) すずが表書きを書くコマはわずか3つにすぎない。けれど読者はこの3コマから、鉛筆の動きと停滞

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(2)「『かく』時間」 | マンバ通信
    Imamu
    Imamu 2016/12/01
    「ひらがなの「すず」を書くときのいかにも手慣れた速さに対して、「北條」と書くとき、鉛筆の動きは一画一画」「のんの声は「ほーじょー」とその描線の遅さをたどたどしく声でなぞるのだが、「すず」では無言」
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(1)「姉妹は物語る」 | マンバ通信

    2016年11月、ついにアニメーション版『この世界の片隅に』が公開された。アニメーション好きばかりでなく、原作であるマンガのファンからも高い評価を受けている。2回あるいは3回観たという知人もいる。わたしは4回観た。名作であることは間違いない。しかし、名作名作と言っているだけでは飽き足らない。そろそろこの物語について、ネタバレも含めて自由に語りたくなってきた。 わたしはふだん、誰か一人の行為ではなく、行為と行為のやりとり、すなわち相互行為を扱う仕事をしている。だから、アニメーションで交わされる会話をきくときには、特定の誰かの声の魅力に聞き入るよりも、誰かと誰かの相互行為において彼らの声がどんな風にきこえてくるか、それを手がかりにアニメーションの受け手はその場面をどんな風に理解しているかが気にかかる。また、原作とアニメーションのどちらがよいか、ではなく、アニメーションが原作をどう翻案することに

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(1)「姉妹は物語る」 | マンバ通信
    Imamu
    Imamu 2016/12/01
    細馬宏通氏
  • 【雑記】・「花男についてのもろもろ補足。」 - ふぬけ共和国blog

    「花男」についてのエントリの続き。 まあ、いきなり種明かししちゃおうかなと思って(偉そう。そしてひらめいたわりには、文章化したらグダグダになってしまった)。 まず、「なぜ女子特有の問題にしたがるのか?」という疑問が出ることは、私も想定してた。 前エントリで感心したのは、そのような偏向しがちな、しかもおそらくほとんど直観で展開された論議を、楽しい番組として成立させた宇多丸さんという人のあり方について、だった。 同じ論を展開して、ゲストに迎えた女子がにこやかなままでいられる自信が、自分だったらありません。 細かくつっこんでいったら不満のある方もあろうが、それでもなお、宇多丸の直観はいろいろなヒントを投げかけていると思う。 どういうことかというと、 「性ファンタジーにおけるプライオリティ」と「倫理観(もしくは公共性の問題)」についての問題提議をしている、ということ。 冒頭に「ライムスターメンバー

    【雑記】・「花男についてのもろもろ補足。」 - ふぬけ共和国blog
    Imamu
    Imamu 2008/09/27
    面白ひ。(宇多丸)(ヤンキー,DQN)(BL,やおい)コミュニティ内ルール/公「性ファンタジーにおけるプライオリティ」男の所業(「小コミュニティ」が、そのまま「天下国家」に通じる幻想)/女子のコミュニティにはない
  • 『のだめカンタービレ』と「キャラ」の現在:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    やっぱり、けっこう面白いけどなぁ、テレビ。 オーボエのクロダなんか、かなりイイんじゃないかね。のだめに恋する瞬間なんか笑ってしまったよ。ところで、今日気づいたんだけど「ピンクのモーツァルト」って松田聖子だったっけ? 遅! 先日、前の奥さんの家で6人ほどで話していてテレビ『のだめ』の話になった。前奥さんは、あまりにも無理にマンガを真似た学芸会がシラけて全然ダメな人で、たしかにそういう意見もブログで散見する。でも、今日のハリセンがのだめを片手でポイと持ち上げてピアノに座らせるとこなんか「マンガやってます!」っていうのがおかしかったんだけどな、僕は。のだめの先生だった西村とハリセンもよかったな。ミッチーもそろそろ領発揮するかな。 まずは、この「わざとらしさ」を受け入れるかどうかで賛否両論がくっきり分かれる傾向にあるみたいだ。ひょっとしてリアリズム傾向の受け手に拒絶感が強いんだろうか。 次に、

    『のだめカンタービレ』と「キャラ」の現在:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
    Imamu
    Imamu 2006/11/28
    「今の映画、テレビのマンガ原作ブームには、そういうリテラシー共有関係の背景」
  • マンガがあればいーのだ。 考察・映画版デスノートは真の意味で完結したのか

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