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思想とメンタルに関するImamuのブックマーク (5)

  • トマス・ネーゲル「アホらしさ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    タイトルのthe absurdは翻訳だと「人生の無意味さ」になっている。定訳は「不条理」。個人的には「アホらしさ」がいいような気がしているのでそれでいく。 以前からこの論文は構成がわかりにくいと思っていたのでメモ。 コウモリであるとはどのようなことか 作者: トマス・ネーゲル,永井均出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1989/06メディア: 単行購入: 3人 クリック: 42回この商品を含むブログ (38件) を見る Thomas Nagel, The absurd - PhilPapers Nagel, Thomas (1971). The absurd. Journal of Philosophy 68 (20):716-727. よくある議論 多くの人は人生はアホらしい、不条理なものだと感じている。ネーゲルの念頭にあるのはカミュやサルトルだろう。 ネーゲルはこの直観をうまく表現

    トマス・ネーゲル「アホらしさ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    Imamu
    Imamu 2023/12/20
    「タイトルのthe absurdは翻訳だと「人生の無意味さ」になっている。定訳は「不条理」。個人的には「アホらしさ」がいいような気がしている」「生の真剣さを放棄する/自殺/反逆と嘲笑/アイロニー」
  • 「知っている」者と「正しさ」

    先日、ある免疫系の難病を患っている方の書いたブログ記事を読みました。 その人は思春期の頃からたびたび強い倦怠感や疲れにおそわれていたそうですが、病院に行っても原因が分からず、精神的なものとかうつ病と言われたり、年齢と共に落ち着いてくる、といったようなことが言われていたこともあるそうです。周囲の人からも理解が得られなかったようです。 それが遂に、免疫系の難病だということが判明してホッとしたそうですが、その時一番良かったことが「他人に説明できる」ということだったそうです。 これは示唆に富んだ言葉だと思います。 その病気は難病指定されているくらいですから、おそらくそれと分かったところで簡単に治るようなものではないのでしょう。まだ治療法も分からず、もしかすると一生そのままかもしれません。それでも「説明できる」ことがその人にいくらかの安心をもたらしています。 ここから読み取れる教訓の一つに、周囲の人

    「知っている」者と「正しさ」
    Imamu
    Imamu 2015/10/16
    「「正しさ」や「釈明できること」が、問題そのものの解決と同じか、場合によってはそれ以上に大切である」「病院=医学~権威~「正しさ」を付与」「科学性~真理に漸近~反証可能性」
  • 中二病、高ニ病へのレクイエム1 - 死に舞

    久しぶりにネット内の話題について言及したいと思うが、それはなんというかずっと気になっていたのだが、ネット上での文化に関する言説についてである。まあいわゆる中二病とか高二病とかいうやつで、定義とかはよくわかんないんでそこらのはてなダイアリーのキーワードをたどってみればいいと思う。というかもうすでに言葉遊び的なネタになってる感があるから、統一した定義なんてものは希薄であるとは思うが。 しかしなにから話そうか・・・と、まずは俺自身と文化の関わりについてちょっと書いておこう。 まあ話はやっぱ中学からなんだが、中二くらいから洋楽ロックを聴きはじめていた。わかりやすく中二病ってことなのだが、人的にはごく普通に(つまり他人と自分との差異を強調するためではなく)聴いていたのだ。たぶん深夜ラジオを聞くようになって(嗚呼なつかしやミリオンナイツ)、ビートルズとか興味もって、ゆっくりと洋楽を聴きはじめたのだ。

    中二病、高ニ病へのレクイエム1 - 死に舞
    Imamu
    Imamu 2012/03/22
    「なんで洋楽だったのか~俺が中学の時には日本のロックはビジュアル系とかだったから」「文化を感性的な側面以外で評価する、つまり文脈的な差異などを強調して評価する態度を「病」と括ることで脱臼させている」
  • 飯島愛にとっての「本当の私」 - TRiCK FiSH blog.

    クリスマスイヴ、飯島愛の死去を知ったのは、某映画会社での取材からの帰途、日比谷の路上であった。驚いたものの、意外ではなかったというのが正直な感想だ。 僕は、結局彼女にインタビューをすることはなかった。彼女の評判は、複数のところから聞いていた。面倒見が良く、誰に対しても分け隔てなく接するタイプだったようで、非常に評判は良かった。ただし、「(テレビと同じ)あのまんまの人だよ」という評判は聞かなかった。 彼女の急逝に意外性を感じなかったのは、これまで元AV女優に夭折した人が多いからかもしれない。桃井望や林由美香、里中まりあなど、元AV嬢が変死するのは、これまでにもよくあった。 ただ、それよりも、やっぱり頭のどこかにあったのは、岡崎京子『pink』の主人公のことだろうか。そういった感想を飯島自身が書いた詞を引用しつつ語っているのが、以下のブログだ。すべてではないが、同意する点は多い。 http:/

    Imamu
    Imamu 2009/01/14
    「一生懸命がんばって、偽物の自分を演じています」タイプ~長続きしない」自傷「自らの身体が多くの他者に晒されたり、あるいは性的なコミュニケーションにおいて必要とされる」「『本当の自分』は複数ある」
  • ケータイ小説「過誤・愛」 - onoya's blog

    加護亜依のインタビュー2と3を見る。 「弱い人間」「弱い人間」と加護が繰り返す。その言葉は「人間は弱いものだ」という普遍的真理として受け取ろうと思う。「加護亜依は弱い人間だったので二度も過ちを犯しました。」そんな物語を消費して平気な面している人間にはもちろんなりたくないし、そんなに辛いことがあったのにまた頑張ろうとしている、応援しよう!というのも何か違うような。 「弱い人間」「弱い人間」と加護はまた自分を追い詰める。そして多分過誤を繰り返すのだ。僕はバッドエンドしか思いつかない。このインタビューが織り成す物語の収まりどころが加護の死にしかないような気がしてとてもこわいのだ。こうして2年ぶりに語り始めさえすればそれが「真実」であるかのような悲劇の物語を僕は目にしたくない。始めから僕はアイドルの語る言葉を信じちゃいない。 まとまりがつかないが、結局僕は、①アイドルという職業の成り立ちがたさと、

    ケータイ小説「過誤・愛」 - onoya's blog
    Imamu
    Imamu 2008/04/10
    (リストカット→ネタ化の防波堤としてのガチ)『「加護亜依」というケータイ小説めいたものがネットで流されている』『「アイドルをしている人間」=「アイドル現象の総体」という勘違いを誰もがしないこと、である』
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