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社会とサブカルに関するImamuのブックマーク (3)

  • 石丸元章×磯部涼 「ダメ。ゼッタイ。」は絶対正しいか? 法的、医学的尺度を超えたDRUGの本質 (サイゾー) - Yahoo!ニュース

    石丸元章×磯部涼 「ダメ。ゼッタイ。」は絶対正しいか? 法的、医学的尺度を超えたDRUGの質 サイゾー 2010年12月30日(木)21時57分配信 ──薬物に手を染めたかつての人気者たちを、メディアや私たちは袋叩きにするが、当にドラッグは絶対的な悪なのか? 音楽や文学など周縁文化を含むドラッグ・カルチャーに“主観”で接してきた石丸元章と磯部涼という2人のライターが、法的/医学的尺度を超越した視点からドラッグの質を問う。 石丸元章(以下、石) インターネットが登場した当初は、匿名で何を書いても自由になる、つまりタブーはなくなるという見方がありましたが、ネットにはネットの表現があり、言論のタブーは結局なくなっていない。なぜなら、触れてはいけないタブーがあるという暗黙の了解を共有しているほうが安心感はあるからです。ドラッグについていえば、ドラッグをやることよりもその話自体がタブーという

    Imamu
    Imamu 2011/02/01
    「2000年代は、日本の精神安定剤の消費量が世界でもトップ・クラスになり、ある意味ドラッグ・カルチャーがメイン・カルチャーに吸収されたと思う」
  • 米国での学会用の英語配付資料の日本語版 - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 1992年以降の日サブカルチャー史における意味論(semantics)の変遷 ──────────────────────── 序 『サブカルチャー神話解体』以降の2つの変化 【『サブカルチャー神話解体』以降】 私は『サブカルチャー神話解体』(1993)などの著作を通し、戦後日のサブカルチャーの変遷史を、社会システム理論の枠組を用いて記述してきました。社会システム理論の枠組は、従来の「上部構造と下部構造の二元論」から区別される「コミュニケーション一元論」の枠組で、コミュニケーション以外のものを要素としないシステムのダイナミズムを記述します。 戦後復興の時代から高度経済成長の時代まで、すなわち1970年代前半までは、日のサブカルチャーは、経済決定論や下部構造決定論によって説明しやすかったのですが、耐久消費財がゆきわたって「モノの豊かさ」

    Imamu
    Imamu 2009/03/09
    『「現実の至高性(paramountness of the reality)」が失~「現実の虚構化」と「虚構の現実化」の区別が実質を失い』『「この現実」がどんどん軽くなる~「オタク差別の消滅」「オタクの公認化」「総オタク化」の動きが、ぴったり
  • 或る革命家と聴衆 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

    国家社会主義大日非モテ党(NSJAP)党首 「親愛なる非モテ諸君!我が国家は現在未曾有の危機的状況にある!!モテ勢力が国家機構の中枢にまで巣い、国家はますます反動モテ勢力への傾斜を強めている!今こそ、諸君ら若者が、若者たちこそが立ち上がり、大日の政体を変革するべき時なのである!!君ら善き大日国民こそがこれからの大日の導き手なのである!!!」 聴衆「そうだそうだ!」 革命家「親愛なる非モテ諸君。安倍晋三が首相に就任したとき、「美しい国」作りが必要で日は右傾化していると人々は噂した。その安倍晋三の「美しい国」とは一体何なのか? ごく簡単な話だ。美しい国において非モテはまともな人間ではないとされている。すなわちこの要求には明解な目的がある。それは少しでも自分達の理解できないものに対して、「障害者」のレッテルを貼る事だ。義家弘介や渡辺美樹は既得権を求めているのではない。DQNは非モテ

    或る革命家と聴衆 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」
    Imamu
    Imamu 2007/07/08
    サブカル批判とオタク批判とサウンドデモ批判の下りが特に。最終的には仮想敵を作ることの虚しさまで表現するという
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