http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20070107/1168183833 面白い話ではあるのですが、肝心の所、古克氏が見えざる神の手をどの程度制限するべきかということがよくわからない。つまり、恋愛ケイジアンなのか恋愛共産主義者なのかがよくわからない。つうことで自分で考えてみた。 恋愛共産主義 「恋愛」は国家のものになる。いつ、どこで誰と誰が恋愛するかという事は全て国家が決める事になる。 例えば、どこの電車で伊東美咲が泉谷しげるに絡まれるか、誰がそれを助けるか、全ては国家によって統制される(それか合同結婚式みたいなものになる)。「第2次5ヵ年計画」なんていって「5年で結婚数を○○件まで増大させる事」みたいなのが書記長からのお達しで出てくる。 メリットとしては ・「平等」が達成される これの問題点としては ・実質上国民総背番号制の導入とセットになる(管理の必要によ
バラエティー番組などでグラビアアイドルとかが、男性お笑い芸人に「キモイ」と言う。 そう珍しくもない光景である。私も何度か目にした。 一方イケメンタレントが、女性お笑い芸人に「キモイ(ブスとかでもいいけど)」とか言っているシーンはあまり見ない。少なくとも私は見た事が無い。イケメンタレントが女お笑い芸人に迫られても、ちょっと困った顔をしつつ優しく接する所しか見た事がない。 この差は一体なんだろう? 「女はいつも女という種として(性的な存在)として見做される」この様な言説はブログを読んだり、書いたりしている人なら誰しも(嫌という程)目にしてきたであろう。そしてこれは、おおむね事実である。*1 女として性的な視線に曝されるのは、なにも「若く美しい女」だけではない。 世間には様々な「性的な視線」が存在する。 例えば「人妻フェチ」や「熟女専」「デブ専」 これらはそれを専門とする風俗店が存在する程度には
ESSAY 284 : 「非モテ」について(3) 写真は、Darlinghurstの裏通り。この通りをもうちょっと歩くとテイラースクェアという巨きな交差点で、シドニーの中でも最もトンガってて、ちょっと危険な匂いのする繁華街だったりするのですが、一本中にはいるとこんな感じだったりします。 前々回、前回に引き続き、「非モテ」について思うところを書きます。 前回の後半に、非モテ界隈脱出のためのサジェスチョンを思いつくまま箇条書きにしておきました。以下のとおりです。 ① まず、何らかの集団に入っていること、入っている集団は幾ら多くても良いこと。一目ぼれなんか事実上ありえないと思うこと ②その集団の中で、どんな形であれ「ナンバーワン」「オンリーワン」になること。どんな基準でもいい ③自分の中に異性要素を取り込んでいくこと。ひきつけ合う本質は異質性だけど、とりあえずのインターフェイスは同質性 ④「消費
ESSAY 283 : 「非モテ」について(2) 写真は、郵便配達のオジサン=ポストマン。こちらの郵便はバイクであったり、自動車であったりもしますが、実はバックパック+徒歩というすごい方法もあります。逆に自転車はないですね。これがいわゆる、スタンダードな名曲(ビートルズもカバーしてる)"Please, Mr Postman"の原風景なのでしょう。撮影場所は、ウチの近くのArtarmon。 前回に引き続き、「非モテ」について思うところを書きます。 前回の最後のくだりで、「①人間なんか普通にしてたらモテるし、②普通にしてたらモテない」というワケのわからんことを書いておきました。矛盾しているようですが、その趣旨はこういうことです。 まず、「①普通にしてたらモテる」という点ですが、普通の人間が普通に生きてて異性との交際機会が非常に乏しいのであれば、子孫が途絶えてしまうからです。現在地球の人口は60
ESSAY 282 : 「非モテ」について 写真は、シティのタウンホール。”オーストラリアの桜”ともいうべきジャガランダが咲き誇ってきています。 最近日本では知らないうちに「非モテ」という言葉が市民権を持つようになっているようですな。わはははは!いや、いきなり笑って失礼。その昔、「負け犬」なんて言葉が流行ってると聞いたときも笑ってしまったけど、「非モテ」はもっと笑える。 なんで笑っちゃうかというと、こんなことイチイチネーミングをしてうざうざ考えたり、自己規定してみたりするようなことかい?って。「ヒマなんだなあ」って部分で笑ってしまったわけです。いや、真剣に悩んでいる人だって多数おられるだろうから、笑い飛ばすのは不謹慎だとは思いますよ。でも、笑い飛ばした方が救われる場合もあるわけで、これなんかその典型じゃないかと。 いや、しかし、ネットで「非モテ」で検索するとドドドと、まるで決壊した揚子江の
―― 男性学的なるもの ―― 1、すべての男は非モテである――あいまいな男の私結論をいおう、すべての男は非モテである。 すべての男は生まれながらにして欠如を抱えている。不確かであいまいで不透明で、そして透明な存在。それが男だ。「男という病」だ。そして、それこそが非モテなのだ。 非モテにまつわる語りの量の男女間の非対称性。それは、非モテがそもそも男性性に起因するのだと考えなければやはり理解できない。男女の性の非対称性に基づく、身体と精神の問題。それが先鋭化したものが、非モテなのだ。もちろん、女の非モテという問題もある。 だが、あえていおう、問題は「男は存在しない」という点である、と。 男自身として語られるペニスは、陽根や力の源泉や権力の象徴などと、プラスの意味合いで語られている。が、その実体は、なんら所有を意味しないものなのではないか。むしろ、それは欠如の象徴とでもいうべきものなのではないか
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