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音楽と小説に関するImamuのブックマーク (2)

  • 「ボカロ小説」はこうして生まれる 中高生を本屋に走らせる魅力、そして楽曲争奪戦へ

    「こんなのは見たことがない」――名古屋のとある書店に勤めている知人は、じん(自然の敵)Pの小説「カゲロウデイズ -in a daze-」が発売された昨年5月を振り返り、その人気ぶりをこんな風に表現した。 「うちくらいの地方書店だと、普通のベストセラーは3、4日かけて売り切れるものなのに、あっという間に中高生がやってきて、当日に売り切れてしまった。しかも、その日のうちに、買えなかった学生から予約が複数入った」 次々に学校帰りの子どもがやってくるものの、小説担当者もコミック担当者も名前を知らず、ラノベ担当者は当時アニメ化が話題だった「ソードアート・オンライン」の店頭展開を切り盛りしている最中だった。みな一様に、聞きなれないタイトルに首をかしげた。まったくノーマークだったのだ。 カゲロウプロジェクト カゲロウプロジェクト(以下、カゲプロ)は2011年からニコニコ動画で連作投稿されてきた楽曲を中心

    「ボカロ小説」はこうして生まれる 中高生を本屋に走らせる魅力、そして楽曲争奪戦へ
  • 『ケータイ小説的。“再ヤンキー化”時代の少女たち(原書房)』 著者=速水健朗 - WEBスナイパー

    「日人の血からヤンキーとファンシーは絶対に消えない」と言ったのは故・ナンシー関だが、実際のところ「ヤンキー」は90年代以降、我々の目の前から次々に消えていった。都市部の高校制服の多くは清潔感漂うブレザーに移行し、そもそも学ランを着た典型的なヤンキースタイル自体がほとんど絶滅寸前となっている。日常的な中高生の姿としてのヤンキーはリアリティを喪失し、メディアにおいても登場しないようになる。最も顕著なのは漫画やアニメなどのフィクションで、ここ数年は週刊漫画誌などに定型的な「番長」キャラなどが登場する作品があっても、その存在はほぼ非日常的なファンタジーとしてしか捉えられることがない。ヤンキーは日常から切り離され、今や現実からほとんど完全に駆逐されてしまったかのようにすら見える。 しかしもちろん、ナンシー関の言うように、日人の血からヤンキーが全く取り除かれた訳ではない。単に80年代までに支配的だ

    Imamu
    Imamu 2008/09/15
    『藤圭子や山口百恵、中森明菜、安室奈美恵など自身の不幸な生い立ちを隠さずに歌う「笑わない歌姫」の系譜の最新世代に位置する浜崎あゆみを取り上げ』
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