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音楽と思想とメディアに関するImamuのブックマーク (4)

  • ブライアン・イーノが語る、ポストコロナ社会への提言とこれからの音楽体験 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

    2020年に音楽活動50周年を迎えたブライアン・イーノは、多くの顔を使い分けながら新しい歴史を切り拓いてきた。70年代からポップ音楽にアートの前衛精神を持ち込み、近年最注目されているアンビエント・ミュージック=環境音楽の概念を確立。デヴィッド・ボウイのベルリン三部作に貢献し、プロデューサーとしてトーキング・ヘッズやU2などに携わり、映画テレビ番組のスコアでも輝かしい功績を残してきたほか、インターネットの普及を牽引したWindows95の起動音や、iPhoneの自動音楽生成アプリ「Bloom」の制作などを通じて、科学やテクノロジーの領域にまで影響をもたらしている。リベラルな現代思想家としても知られるイーノは、パンデミックに見舞われた2020年に何を考え、どのような未来を思い描いているのか? ※この記事は2020年12月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.13』に掲

    ブライアン・イーノが語る、ポストコロナ社会への提言とこれからの音楽体験 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
    Imamu
    Imamu 2021/01/06
    「Radio Garden~世界中のラジオを聴きながらひたすら散歩」「NetflixよりもMUBIというアート・フィルム専門の配信サービスのほうを」「人間は身を委ねるのが好きなんだと思う」「コンピューターにはアフリカが足りない」
  • たまと嘘つきバービー | ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

    ロックバンド講義の期末レポートの採点をして、ますますつよく感じだしたのは、「ただ音を聴き、ただ歌詞を読んで、レポートを書いてくれ」と依頼したのに、ネット時代の通弊で、ネット文献をアレンジしそこに自分の意見を少量添える論文が多すぎるということだった。バンド履歴、チャート順位などの情報が羅列される一方で、バンドメンバーの演奏のぶつかりが有機的に分析されている論文は稀少。 この傾向はポピュリズムに支配された「音楽への接し方」ともつながっているらしく、ビートルズやバンプ・オヴ・チキン、ラルク・アン・シエルなどをあつかった論文にとくに顕著で、しかもラルクにかんしてはつよい思い入れがそこに付随するという、共通の傾向がさらにある。それで何度も同じ論文に出くわしている感触になる。またもや、お決まりのこと――多様性と平準化。バンドの属性が、そのままバンドにかかわる言説を決定してしまうのだ。神聖かまってちゃん

    Imamu
    Imamu 2012/02/02
    「ロックバンド講義の期末レポートの採点~ポピュリズムに支配された「音楽への接し方」~ラルクにかんしてはつよい思い入れがそこに付随」「バンドの属性が、そのままバンドにかかわる言説を決定してしまう」
  • 磯部涼「音楽の(無)力」 - ビジスタニュース

    磯部涼「音楽の(無)力」 2011年05月24日00:00 担当者より:音楽ライターの磯部涼さんに、311以降の状況を踏まえ、音楽の力について論じていただいたものです。磯部さんは今年の夏にこれまでの原稿をまとめた『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)が刊行予定で、そちらも要注目です。 更新日:2011/05/23 3月11日14時46分、その時、部屋に流れていたのはアンテナのベスト・アルバムだった。早春の午後の柔らかな日差しに、如何にも80年代的な音色を纏った薄いサウダージがぴったりで、実に良い気分だったのを覚えている。そして、あの地震が起こった。筆者は渋谷区在住のため、被害は床に積んであったCDやレコードが倒れたぐらいで大したことはなかったのだが、それでも経験したことのない揺れで何処か非現実感があった。同時に、その間も鳴り続けていた音楽が上滑りして行くような妙な感覚が印象に残

    Imamu
    Imamu 2011/05/24
    「音楽がもたらす共同幻想もまた同調圧力と化し、その欺瞞に加担してしまっている」「音楽は無力だからこそ、そこに様々な意味を付与され、利用されて来た」「復興支援ソング~同調圧力~暴力」「あの無音の日々」
  • 初音ミク時代の芸術作品 - 過ぎ去ろうとしない過去

    人間が器械装置によって代理されることで、人間の自己疎外は、きわめて生産的に利用されることになった ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」 初音ミクについて考えてみるとき、やはりそれは複製技術の進歩がもたらした表現形式であることを考慮せざるをえない。技術自体が問題になっているのでは無い。新しく画期的な技術は、毎日世界中で誕生しているのである。重要なのは、まさにその技術がどのような表現を可能にしたかなのである。複製技術による表現形式は当然初音ミクが最初ではない。たとえば舞台に対して映画は複製技術の産物である。舞台俳優と彼の人格が切り離せないのに対して、映画俳優は彼の人格から追放される。舞台俳優が役の中に没入できるのに対して、映画俳優は大衆の前に晒されざるを得ない。つまり映画俳優は――これを、(大衆音楽における意味での)ヴォーカリストや声優に置き換えても構わないが――器械装置の前で演技

    初音ミク時代の芸術作品 - 過ぎ去ろうとしない過去
    Imamu
    Imamu 2009/03/21
    「同時受容の場合、反応は集合的に行われるのであるから、お互いがお互いの反応をコントロールすることになる。そのフィードバックは当然画一化・平準化を避けられず、大衆に向き合っている製作者の創作意識に影響」
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