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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (53)

  • 『反コミュニケーション』奥村隆(弘文堂) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「「よい」コミュニケーションをイメージする功罪」 「私はコミュニケーションが嫌いだ。できれば人と会いたくない。ひとりでいたい。電話もメールもしたくない・・・・」。こんな意外な(あるいは、図星を突いた)言葉で、このは始まります。著者の奥村隆さんは、立教大学社会学部教授。以前、私が千葉大学文学部に助手として勤めていたときに同僚(先輩)としてたいへんお世話になった方です。「あとがき」によると、このは、立教大学での「自己と他者の社会学」および上智大学での「コミュニケーションの社会学」という講義に論文を織り込んで作られたものです。コミュニケーションが嫌いで仕方のない(でもコミュニケーション抜きには生きていけない)著者が、さまざまな社会学者や思想家などを訪ねて歩き、議論してまわるというユニークな設定が施されています。 このような設定であるため、おおよそ一章ごとに一人な

    『反コミュニケーション』奥村隆(弘文堂) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『フィクションの中の記憶喪失』小田中章浩(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 記憶喪失や殺人といった非日常的なことが、テレビドラマなどで頻繁に都合よく使われる。現実味の乏しい設定に、うんざりすることもある。そんな記憶喪失も、「虚構の世界、たとえば小説に描かれるようになったのはさほど古いことではない」という。 著者、小田中章浩が問題にするのは、「さまざまなフィクションが記憶喪失という現象をどれほど正確に再現しているかということではなく、記憶喪失を基にしながら、フィクションの制作者たちが想像力を駆使してどれほど興味深い物語を作り上げたかということである。別の言い方をすれば、記憶喪失が虚構の世界においてどのように「表象」されているか」である。つまり、滅多におこることのない記憶喪失を使って、いかに虚実ない交ぜの社会を描き、読者や観客を「楽しませる」かが、制作者の腕の見せどころとなる。 さらに、書の狙いは、つぎのように説明されている。「神話や伝

    『フィクションの中の記憶喪失』小田中章浩(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2014/01/10
    「記憶喪失が虚構の世界で描かれるようになったきっかけのひとつに、戦争がある」「第一次大戦~表象としての記憶喪失は、この戦争で知られるようになったシェルショックという現象と関係」
  • 『ラノベのなかの現代日本 ― ポップ/ぼっち/ノスタルジア』波戸岡景太(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「おとなにも読めるラノベ?」 ラノベとは何か? ライトノベルの略称だ、くらいはわかる。でも、実際に手に取ったことはないし、手に取る気もないし、どうせ中高生の「こども」が読むくだらん小説だろうと高をくくって、そのくせ「まるでラノベじゃんか」といったセリフだけは口にする「おとな」たち。 明らかに世代間の断絶があるのだ。書の目的はそんな断絶をきちっと整理しましょう、理解しましょう、というところにある。単なる断絶に見えるものにも実はつながりがあって、起源や影響があって、でも、微妙な違いもある。別にラノベを擁護しようというのでもなければ、弾劾しようというのでもない。病理として解剖しようというのでもない。あくまで現代日を理解するための端緒にするのだと著者は言う。書には「古典的ラノベ」からの抜粋が散りばめられ、さながらミニ・アンソロジー。その語り口からは自ずと著者のラ

    『ラノベのなかの現代日本 ― ポップ/ぼっち/ノスタルジア』波戸岡景太(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2013/07/01
    「考えて見れば、頻繁な段替えも自分自身の語りに対する突っ込みとして機能している。」「あちこちにifを内在させた語りと言ってもいいのかもしれない」
  • 『テレビという記憶―テレビ視聴の社会史』萩原滋 編(新曜社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「歴史化されるテレビ書のサブタイトルは、「テレビ視聴の社会史」であり、テレビ歴史的な視点からとらえようとする先鋭的かつ意欲的な論文からなる論文集となっている。 評者は、まずこの、テレビという存在が歴史化されるという分析視角に、大いなる感慨を抱かざるを得なかった。それは、この社会における、一定年齢層以上の人々には共通するものであるだろう。それほどにテレビとは、いつもすぐそこの、身近な現実に存在するメディアだったからである。 さて、テレビ歴史的な視点からとらえると言った場合、すぐに思いつくのは、番組の内容の変遷を追ったようなものや、あるいはテレビという受像機の技術的な歴史ではないだろうか。 だがサブタイトルにもあるように、書の視点はそれらとは異なっている。むしろ、この社会が、そしてこの社会の人々が、テレビというメディアをいかにまなざし、受容してきたのか

    『テレビという記憶―テレビ視聴の社会史』萩原滋 編(新曜社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2013/04/30
  • 『ジャニヲタあるある』みきーる【著】 二平 瑞樹【漫画】(アスペクト) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    Imamu
    Imamu 2012/12/03
    「かつてならば、それは間違いなく統一された一つの人格としての像を~オタクという文化が、もはや統一された人格としての像を結ばずに、場面ごとのふるまいのあり方へと細分化していくような変化」うーーん
  • 『評伝ナンシー関 「心に一人のナンシーを」』横田増生(朝日新聞出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「サブカルという枠組みから抜け出すために」 書を最初に書店で見つけたとき、軽い警戒感を抱いた。あのナンシー関の「評伝」だって?それはちょっとおかしくないか? ナンシー関と言ったら、テレビの表層を読み取ることに長けた批評家として尊敬されてきたはずだ。どんなにうまい役者や歌手だったとしても、どんなに立派な人格の人間だったとしても、テレビはその深みを持った技能や人格を裁断して、薄っぺらな四角形のなかに閉じ込めてしまう。だからナンシー関は、そうしたテレビの向こう側に深みを持った人間の暮らしや人格を読み取るのではなく、テレビの表層自体において彼らがどう生きようとしているかを感じ取ろうとした(そして彼らの顔を消しゴムの表面に彫った)。だから、ナンシー関論を書こうとする者もまた、彼女の仕事の表層にとどまって批評するべきではないのか。私はそう信じてきた。 書の著者・横田増生も、そ

    『評伝ナンシー関 「心に一人のナンシーを」』横田増生(朝日新聞出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/09/25
    「ナンシー関は~テレビの向こう側に深みを持った人間の暮らしや人格を読み取るのではなく、テレビの表層自体において」「フォークアート性が本書で見事なまでに明らか」「サブカルという枠組みから抜け出すために」
  • 『「女子」の時代!』馬場伸彦/池田太臣 編著(青弓社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「女性学」から「女子学」へ」 大学、あるいはその他の教育機関でも同様だと思うが、「男子よりも女子の方が元気がいい」という傾向が顕著である。例えば、成績優秀者をリストアップすると、決まって上位は女子が独占するといった傾向が見られるようになって久しい。 いったい、いつ頃から女子の方が元気がよくなってきたのかと振り返って見た時、評者の経歴を振り返れば、すでにその少年時代からそうした傾向が見られた。 評者は現在、いわゆるアラフォーとアラサ―の中間の年齢だが、同年齢層の女子たちは、いわゆる「アムラー」、あるいは「(コ)ギャル」と呼ばれたように、90年代の消費文化を席巻していたことを思い出す。あるいは、評者には10歳ほど年上の姉がいるが、ほぼアラフォーに位置づく彼女たちは、まさにバブルを謳歌し、就職活動も売り手市場だった。このように評者からしても、すでに元気な女子に囲まれて育っ

    『「女子」の時代!』馬場伸彦/池田太臣 編著(青弓社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/07/06
    「「ポストフェミニズム」の名~地位向上を達成した女性たちの文化~肯定的に評価すべきものとして」「元気のいい「女子文化」~華やかなりし頃の消費文化の下で育った年齢層たち(=コーホート)に特有の文化に思われ」
  • 『六〇年代演劇再考』岡室美奈子+梅山いつき編著(水声社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「<劇評家の作業日誌>(61)」 「現代演劇」はいったいいつから始まったのか。果たして「現代」を規定する時代区分はどこにあるのか。 そこで1960年代に始まった「アングラ演劇」あるいは「小劇場演劇」を「現代演劇」の出発点とすることはほぼ定説となっている。とりわけ象徴的な年は1967年だ。この年、唐十郎の状況劇場は紅テントを新宿・花園神社に立て、唐のライバルだった寺山修司は「演劇実験室・天井桟敷」を創設した。 ではその終点はどこにあるのか。わたしはオイルショックのあった1973年辺りを「運動」の終結点だと考えている。この年、蜷川幸雄と清水邦夫の櫻社は『泣かないのか、泣かないのか1973年のために?』という象徴的なタイトルの芝居で彼らの活動に終止符を打った。つまり書のタイトルとなる「60年代演劇」とは、70年代初頭まで含んだ演劇の革命期に相当すると考えていい。 書は、

    『六〇年代演劇再考』岡室美奈子+梅山いつき編著(水声社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/07/06
    「他のアングラ・イメージは払拭~なぜ演劇だけ「アングラ」が残った~商売にならなかった~アングラが家父長的」「平田オリザ~「アンチ・アングラ」でしか」
  • 『括弧の意味論』木村大治(NTT出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「理想の授業」 何とまあ、いい感じに地味なタイトルだろう。こういうはぜったいにおもしろいはず!と期待感とともに手に取ったが、予想以上に興奮した。「理想の授業」を受けたような気分である。若い頃にこんな授業を受けていたら人生変わっていたかもしれない。 著者は一九六〇年生まれだから、まさにニューアカ世代。元々の専門が文化人類学というのも時代を感じる。バブルだの軽薄だのと批判を浴びることも多い年代かもしれないが、こういう頭の使い方ができる人がいるのが強みだ。言語学的なソリッドな考え方をベースにしつつも、哲学、論理学、数学、社会学、人類学といった領域にも上手に浮気をして飛躍の助けにする、そのバランス感覚がたいへん魅力的なのである。文学的な鋭敏さも備えている。文章は不必要な深刻さや晦渋さとは無縁で、ごく透明。控えめに使われる比喩も効いている。 そもそも「理想の授業」とはいったい

    『括弧の意味論』木村大治(NTT出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/07/06
    「あらゆる語には潜在的に括弧がついている」「手持ちの道具を使ってなんとかして虚無へと乗り出していこうとする切迫感」
  • 『ナチスのキッチン-「食べること」の環境史』藤原辰史(水声社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「台所にも歴史がある」で、書ははじまる。「違うんじゃないの?」と思いつつ、読み進め、著者が言わんとすることは、「台所にも歴史がある」という下手な社会史ではないことがわかった。著者藤原辰史は、台所の歴史だからこそ、人間の質がみえるのだと言っているように思えた。 書は、台所の近現代史である。「対象とする地域は、戦争に二度敗れ、東西に分裂したが、一九六〇年代にどちらも消費社会を実現した現代史の激震地、ドイツである。時代は、十九世紀中頃から一九四五年までの百年、そのなかでもとくに両大戦そのものと、それに挟まれた戦間期を扱う」。「そして、書が最終的にクローズアップしていくのはナチ時代(一九三三~四五年)」。ナチスは、「家事や台所の合理化を推進した」。 著者は、「台所の歴史を眺めるアングルをつぎの三点に整理する」。「第一に、台所を労働管理空間としてとらえる見方である」。「

    『ナチスのキッチン-「食べること」の環境史』藤原辰史(水声社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/07/03
    1.労働管理空間2.自然の加工・摂取の終着駅3.信仰の場
  • 『世界軍歌全集―歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』辻田 真佐憲(社会評論社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「あの麻木久仁子氏もtwitter上で所望した貴重な網羅的資料集」 はじめに、で書かれているように、書は「軍歌の標」となるべく、「世界各国の軍歌をひとつの素材として取り上げることで、各位の興味や趣向にあわせて随意に翫賞してもらうこと」を目的としたものである。 よって取り上げる素材に比して、おどろくほどその内容はイデオロギッシュなものではない。国粋主義的な視点からそれを称揚するのでもなく、左派的な視点からそれを批判するのでもない。 それゆえにこそ、バランスよく多様な軍歌がちりばめられた書は、まずもってその網羅的な資料集としてのハンディな価値を評価すべきなのだろう。 だが、ある意味で筆者の意図したとおりに、その資料集は私(=評者)の社会学的な問題関心を幾重にも刺激してやまないものであった。 以下、箇条書き的にいくつか感想を記してみたい。 まず書を通して、軍歌という

    『世界軍歌全集―歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』辻田 真佐憲(社会評論社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/06/01
    「リズムを共有させて一体感を増すことで、統率が」『「敵味方モチーフ」がほぼ共通』「アニソンというジャンルは、戦前の軍歌からの継続性の上に」
  • 『安部公房の都市』 苅部直 (講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 著者の苅部直氏は『丸山眞男―リベラリストの肖像』などで知られる新進気鋭の政治学者だそうだが、読んでいるうちに、こいつSF者だなと直覚した。SF者の臭いがぷんぷんにおうのである。はたして『第四間氷期』を論じた章の扉には直接関係のないSFマガジンの表紙写真を掲げ、安部公房がSFを愛読していたことや早川書房から出ていた『世界SF全集』の思い出を語っているばかりか、『榎武揚』にジャック・フィニーの『盗まれた街』の影響がみられるなどという、それまでの慎重な筆の運びからはそぐわない、明らかに我田引水の解釈まで披瀝しているではないか。やはりSF者だったのである。 安部公房とSFというとぴんと来ない人がいるかもしれないが、安部公房はまぎれもなく年季のはいったSF者だった。安部は地球温暖化とバイオテクノロジーを予見した『第四間氷期』を1958年に書いているし(翻訳SFを相当読みこんで

    『安部公房の都市』 苅部直 (講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/05/29
    「ブライアン・オールディス~『十億年の宴』~SFの源流~18世紀後半~ゴシック・ロマンス~世界最初のSFはメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』~寂寥感がSFの本質であるセンス・オブ・ワンダー」
  • 『マザーズ』金原ひとみ(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「Butのいらない小説」 飲み会で学生に、「最近、おもしろい小説読んだ?」と訊いてみることがある。日小説。今、書かれている小説。そんな含みを持たせると、大学院生などかえって答にくいようだが、ときどき「あ、そういえば、金原ひとみはけっこう好きですよ」という答えが返ってくることがある。 この「あ、そういえば……」は、なるほど、よくわかるなあと思う。金原ひとみは、派手に騒がれたギャル小説家としてのデビューにしても、その『蛇にピアス』での、陰部にとんがったものが刺さるような道具立てにしても、文学をまじめに「勉強」する身には、正面から「大好きです!」「いいです!」と言いにくい気配が漂っている。野蛮だし、通俗的に見える。こういう小説おもしろがってしまう自分はほんとに文学をわかっているのだろうか?とためらいが混じる。 しかし、この作家の強みはまさにそこにある。「勉強」の対象に

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    Imamu
    Imamu 2012/05/02
    「この作家の強み~「勉強」の対象になどならない。洒落ているわけでも~高級なのでも~ごちゃごちゃ言っているうちに、小説は」「金原の文章には、句読点を越えてつながってしまうような連続感が秘められている」
  • 『股間若衆 男の裸は芸術か』木下直之(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 こかんわかしゅう。 まるで男色をテーマにした洒落のタイトルのよう、と、副題には「男の裸は芸術か」。そう、これは男性裸体表現をめぐるいたって真面目な論考なのだった。 きっかけは、著者が赤羽駅前で発見した男性裸体彫刻である。その、ふたりの裸の青年の股間は、なんとも不思議な様子をしていた。からだの他の部分、へそや、鼠径部の窪みや、腰まわりの筋肉などは写実的であるのに、その部分だけはあやふやに、ぼんやり、もわわんと膨らんでいるだけ……名づけて「曖昧模っ糊り」、なんと見事なネーミングだろうか。 かくして著者は「股間若衆」をもとめて旅にでる。駅から駅、街から街、あるいは時をさかのぼり、明治期の美術展覧会場へ。 明治三十四年の第六回白馬会展で、黒田清輝の描いた裸婦像の下半分に布が巻き付けられたいわゆる「腰巻き事件」は広く知られた話。もちろん、男の裸だって取り締まられた。明治四十一

    『股間若衆 男の裸は芸術か』木下直之(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/05/02
    「男性裸体彫刻が美術館から抜け出したのは戦後になってからのことである。それは、軍服姿の軍人の銅像と入れかわるようにして屋外へと進出」/見世物の生人形/『薔薇族』/『ADONIS』
  • 『紙と印刷の文化録 — 記憶と書物を担うもの』尾鍋 史彦(印刷学会出版部) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「紙と人間の親和性は永遠か?」 待ちに待っていたが刊行された。『印刷雑誌』連載中から、になるのをずっと待っていたものだ。紙と印刷について、文化歴史、科学技術面からの考察をはじめ、9.11やWikiLeaks問題といった政治経済まで、じつに幅広い話題が採り上げられ、毎回読むのが楽しみな連載だった。 書は、前日印刷学会会長であり東京大学名誉教授(製紙科学)である “紙の専門家” 尾鍋史彦氏が、月刊『印刷雑誌』に1999年から2011年末まで13年間にわたって連載した「わたしの印刷手帳」156編のうち、70編を抜粋し分野別にまとめたものだ。 章立ては「第1章 印刷物の影響力」「第2章 情報と紙の関係」「第3章 産業としての印刷と紙」となっており、各章の終わりには書き下ろしで総括的な文章が掲載されている。 著者が製紙科学の専門家だから、ひたすら紙を礼賛した内容だと思

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    Imamu
    Imamu 2012/04/04
    「ディスプレイに映し出される、短期記憶に最適化された情報の氾濫の中で、従来の紙媒体が支えてきた長期記憶向けのコンテンツはどうなっていくのか」
  • 『情報の呼吸法』津田大介(朝日出版社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「ソーシャルメディアのフロンティア」にしか見えない風景」 書は、ジャーナリスト/メディア・アクティビストの津田大介氏が、ソーシャルメディアについての現状に触れながら、今後の向き合い方や使いこなし方について、実践的な提案を行っているものである。 文体も読みやすく内容も具体的なので、関心のある方々にとっては、格好のソーシャルメディア入門といえるだろう。 評者にとっては2章以降が抜群に面白かった。いうなれば、まさにソーシャルメディアの最先端にいるものでなければ見えない景色が垣間見える思いだった。いや、著作のタイトルになぞらえるならば、フロンティアにしか吸えない空気があるというべきだろうか。 「フォロー数は300~500人くらいが最適」(P67)といったように、経験に基づいたアドバイスやエピソードが目白押しなのだ。 他にも、情報はストックからフローになる(P80)といった

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    Imamu
    Imamu 2012/02/29
    『最近、韓流アイドルのファンにインタビュー~彼女らの主たる情報収集手段は、やはりツイッター~蓄積(ストック)していくというよりも、とにかくいちはやく最新の情報をチェックすることに重きを置いているので』
  • 『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』ドミニク・ストリナチ著/渡辺潤・伊藤明己訳(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「ポピュラー文化研究の理論的なレビューに最適の一冊」 いきなり私事で恐縮だが、書は年度大学院ゼミの購読文献の一つであった。評者のゼミにはポピュラー文化研究を志向して集まってくる海外からの留学生が多いのだが、その特徴の一つとして、彼らが自身の研究に用いる理論的背景についても多様でバラバラなものになりやすい傾向がある。 もちろんポピュラー文化研究においては、その研究対象の多様さとも関連して、たった一つの一般理論に収斂していくようなこともあり得ないが、かといって、気を付けていないと理論的な水準での知見に乏しいものになりがちな研究ジャンルでもある。 アイドルであれアニメであれ、研究対象がある程度知られているものである分、分析においても、一般的な常識をなぞっただけのような分析、具体的に言えば文学的な作品論(この歌詞がいいからこのアイドルはヒットした)や、心理学的なファン文化

    『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』ドミニク・ストリナチ著/渡辺潤・伊藤明己訳(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/02/01
    「分析においても、一般的な常識をなぞっただけのような分析、具体的に言えば文学的な作品論~心理学的なファン文化論~だけで済まされてしまうことが」
  • 『空間の男性学―ジェンダー地理学の再構築』村田陽平(京都大学学術出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「男性性研究の新たなフロンティア」 やや荒削りだし、一つの書籍としてはまとまりの悪い部分が多少感じられなくもなかったが、それを補って余りある魅力のある一冊だと思った。 書は、「女性学的視点による研究が中心であった従来のジェンダー地理学に対して、男性学的視点から空間とジェンダーの問題を検討することで、ジェンダー地理学の再構築を目指すもの」である(序章より)。 筆者によれば、これまで地理学においても、とりわけ第二派のフェミニズムの影響を受けながら、「性別による空間的格差の問題」を告発するような研究が盛んにおこなわれてきた。 また、こうしたフェミニスト地理学はそれなりに大きな成果をもたらしながら拡大もしてきたが、依然として日においては、空間とジェンダーの関わりを論ずる学術的な議論は盛り上がっておらず、ましてやフェミニストだけでなく、男性学的な視点から空間を論ずる議論とな

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    Imamu
    Imamu 2012/01/30
    「我々が日常生活を営む空間は、幾重にもジェンダー化されており、逆にこうした構造が我々のコミュニケーションやアイデンティティーのありようにも、つよく影響を与えているはずなのだ」
  • 『映画の身体論』塚田幸光編(ミネルヴァ書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「身体論が拓く可能性」 書は全8章からなる。どの章も興味深いが、ここでは、評者が特に惹かれた第2章と第8章に焦点を当ててみたい(各章のタイトルと著者は文末に記した)。 これはまったくの一読者としての感想にすぎないが、身体表象をテーマにしたアンソロジー(複数の著者によって書かれた)を手にとったとき、まず全体の統一感が欠けていることに戸惑いを覚えることがある。そして次に、「それぞれの章がどのように関連しているのか」「全体を通じて何を主張したいのか」といった疑問が次々に生じることがある。それは著者によって「身体」が指すものに幅があることに加え、その表象の分析手法が多様であることにもよるのだろう。 だが、書にはそのような戸惑いや困惑を感じなかった。そこからは編者と著者間、著者相互の綿密な打ち合わせや用語、分析対象の擦り合わせの跡がうかがえる。映画用語集(小野智恵)が巻末

    『映画の身体論』塚田幸光編(ミネルヴァ書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2011/12/05
    「男性身体を「ニューシネマの性と政治が交錯する『場』(トポス)」」「ポルノ産業では女性がスぺクタクルの対象となっているが、著者によると、ニューシネマではその視線のポリティクスは反転する」
  • 『わが輩は「男の娘」である!』いがらし奈波(実業之日本社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「『ジェンダー・トラブル』よりも刺激的、『妄想少女オタク系』以上にリアル」 「男の娘」とは、「2次元用語であり、女の子のように可愛い女装少年を指す」言葉であり、書は「無謀にもそんな次元の壁を越えようと日々努力する、二十代後半の、今でも「少年ジャ○プ」を愛読しているひとりの男の話」である(P5)。 その「男」とは、実は、名作『キャンディ・キャンディ』で知られる漫画家いがらしゆみこ氏の息子であり、元ジャニーズJrでもあるという、いがらし奈波氏のことである。 書は、エッセイ風のマンガ仕立てで、元々小さいころから女装に関心のあったいがらし氏が、やがてオタク趣味の彼女と付き合うようになる中で、彼女の服を借りて格的に女装にのめりこむようになり、その後、様々な人と出会う中で、現在の自分の立場を確立までを描いた著作である。 マンガ仕立てで非常に読みやすいが、その内容は刺激的であ

    『わが輩は「男の娘」である!』いがらし奈波(実業之日本社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    Imamu 2011/12/01
    「『ジェンダー・トラブル』よりも刺激的、『妄想少女オタク系』以上にリアル」『新たなジェンダーを切り開いていくような存在に見えながら、意外と内面のセクシャリティは保守的だったり』http://blackpast.jp/sakagami001.php