大学生や転職を目指す若手会社員にとってのメジャーな就職先としてここ数年で一気に定着した「コンサル」。この職業が、若者に限らず「キャリアアップ」を目指すビジネスパーソンにとっての重要な選択肢となったのはなぜか?その背景にある時代の流れは、誰のどんな動きによって作られてきたのか?『ファスト教養』の著者が、「成長」に憑りつかれた現代社会の実像を明らかにする。 第2回に取り上げるのは、2023年上半期にヒットした高松智史『コンサルが「最初の3年間」で学ぶコト 知らないと一生後悔する99のスキルと5の挑戦』(ソシム)とメン獄『コンサルティング会社サバイバルマニュアル』(文藝春秋)。どちらも「コンサル本」として話題を呼んだ。この2冊が支持される背景にある、ビジネスパーソンの欲望とは? 「仕事ができること」の象徴 「成長」できる場所として多くの東大生が「コンサル」という仕事を選ぶ傾向が年々強まっているこ
いま一部フェミニストによるトランスジェンダーに関する言説がSNS上で物議を醸すことも多い中、これまで日本のフェミニズム理論に大きな役割を果たした江原由美子さんは、周司あきらさんと高井ゆと里さんの共著『トランスジェンダー入門』(集英社新書)をどう読んだのでしょうか。 本書は、タイトルの通り、「トランスジェンダーについて知りたい」と思う人が最初に知っておくべきことを書いた本である。いわゆる「LGBT理解増進法」の成立等の影響もあり、今年(2023年)においては、インターネットや新聞などのメディアには、トランスジェンダーに関する言説が溢れている。そうであればいまさら「入門」書でもないだろうと思う人がいるかもしれない。しかし、そう思った人こそ、ぜひ本書を読んでほしい。いや読む必要があるとさえ、評者は思う。 なぜか。それは現在「トランスジェンダー」について溢れている言説の中には、正確さにおいてかなり
パラダイムシフトとしてのM-1 まずは、M-1の歴史を振り返っていく。M-1は第1回大会の2001年から休止前最後の開催の2010年までと、再開後の2015年以降に大きくわけられる。ウオッチャーのあいだでは前者は「旧M-1」、後者は「新M-1」と呼ばれているが、ここではまず「旧M-1」について見ていこう。 2001年に第1回が開催されたM-1は、新感覚の大会として始まった。 もちろんそれまでにもお笑いの賞レースやコンテストなどは存在した。もっとも古い歴史があるといわれているのは、1966年に設立された「上方漫才大賞」だ。上方芸人の功績をたたえる目的で制定されたこの賞は、これまで夢路いとし・喜味こいし、横山やすし・西川きよし、ダウンタウンなど、数々の漫才師が受賞してきた、非常に伝統のある賞である。 他には1971年より制定された「NHK上方漫才コンテスト」、1972年から2006年にかけて開
コンビ結成の年=M-1スタートの年。M-1と共に芸歴を重ねながら優勝には届かなかった関東芸人、ナイツの塙宣之が語るM-1必勝法。最終回は、ツッコミ全盛の「お笑い日本代表」を斬る! ボケづらい世の中 ──話はやや変わりますが、昔は漫才と言えば「ボケが華」でしたが、今の漫才は「ツッコミ全盛」だと言われています。 塙 南海キャンディーズの山ちゃん(山里亮太)が最近、『天才はあきらめた』という本を出版して、めちゃめちゃ売れてるみたいですけど、彼は紛うことなき天才ですよ。山ちゃんが出て来てから、ツッコミの概念が変わっちゃいましたから。ツッコミで笑いを取るっていうのは、あそこから生まれたんだと思うんです。ただ、南キャン以降、野球で言うと「クセ球」が増えてしまった。ツッコミが、まともなストレートを投げてこなくなってしまったんですよ。そこへいくと、ダウンタウンの浜田(雅功)さんとか、ネプチューンの名倉(潤
M-1が始まった年にコンビ結成。08年には優勝まであと一歩というところで苦杯をなめるも、そのタイトルに挑み続けた「裏・M-1の申し子」、ナイツ。ネタを書く塙は、M-1特有の性質に加え、関東芸人にありがちな、ある「癖」が優勝を難しくしているという。芸人にとって、M-1王者とは何を意味するのか。これから優勝できそうな関東芸人は、誰なのか? 関東芸人の悪い癖 ──去年、M-1で優勝した結成15年目のとろサーモンなんかも、もうベテラン漫才師のようでした。 塙 めちゃめちゃうまいですよね。2015年にM-1が5年振りに復活し、参加資格を従来の結成10年以内から結成15年以内に延ばしたことによって、経験値の高いやつがごろごろいるようになった。競馬で言えば、3歳クラシックから、古馬のレースになってしまったようなもんです。だから、昔ほど強い武器を持っていても通用しなくなっちゃいましたね。それ以上に経験値が
今年も8月1日から、いよいよお笑い界の最大の祭典「M-1グランプリ」の予選が始まった。M-1の13回の歴史の中で、関西出身以外の芸人が優勝したのは、04年のアンタッチャブル(関東出身)、07年のサンドウィッチマン(東北出身)、09年のパンクブーブー(九州出身)の3例だけ。そこで関東芸人の聖地・浅草を本拠地にし、漫才協会の副会長を務めるナイツの塙宣之に、「関東芸人M-1必勝法」を探ってもらった。インターネットで調べた様々な知識を披露するも、どれも微妙に間違っている塙に土屋がツッコむ「ヤホー漫才」で一躍有名になったナイツは、M-1が始まった年、01年にコンビを結成し、以降、M-1に出場し続けた。そして3度、決勝の舞台に立ち、08年には最終決戦にも進んだ。優勝こそ無いものの、芸歴をM-1とともに歩んだ彼らは、「浅草の星」にして、まさに「裏・M-1の申し子」とでも呼ぶべき芸人でもある。 大阪はブラ
2014年、シリアの都市ラッカに行った時のことだ。そこには反アサド政権勢力のムジャーヒディーン(イスラームの大義に則った聖戦、ジハードに参加する戦士)の中でも、もっとも過激と言われている組織ISISの本拠地がある。そのキャンプで若い戦士たちと寝泊りしていたところ、シベリアから来たタタール系ロシア人の青年に突然、「日本人ですか?」と日本語で話しかけられた。 「僕はロシアで日本のアニメのコスプレをしていたんです。何のコスプレかって? 『るろうに剣心』の相楽左之助ですよ」 なんでもイスラームに目覚める前、ロシアで『るろうに剣心』のアニメを熱心に見ていたらしい。彼のことを「『るろうに剣心』のコスプレイヤーだったけれど、今、ムジャーヒディーンになったのか」と驚く人がいるかもしれない。しかしこうも考えられないだろうか。「『るろうに剣心』のコスプレイヤーだったからこそ、ムジャーヒディーンになったのだ」と
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