タグ

ブックマーク / blog.tatsuru.com (34)

  • メンターはどうやって見つけたらいいのでしょう? - 内田樹の研究室

    韓国のある出版社から「韓国オリジナルの」を出すことになった。先方から質問を送ってもらって、それに僕が答えて、それで一冊にするという趣向である。 その中に面白い質問があった。「メンターはどうやって見つけたらいいのでしょう?」というものである。 「最近はオンラインでのコミュニケーションが活発になったおかげで物理的に遠く離れている人をメンターとする人もいたりします。 韓国では「オンライン先輩」「オンラインメンター」というような言葉もあります。良いメンターとメンティ、あるいは望ましい師匠と弟子の関係とはどのような形なのでしょうか?」 以下が私からの回答。 メンターにはいろいろな種類があります。生涯師として仰ぎ見て、ずっとその後についてゆく人もいるし、一時的にA地点からB地点まで移動するときの道案内をしれくれただけの人もいます。例えば、広い川の前に来た時に、渡し船が来て船頭さんに「乗るかい?」と誘

    ch1248
    ch1248 2023/10/23
    いいエントリですね。最後多田先生の話にはなってはいますが。
  • ドイツのあるジャーナリストの日本論 - 内田樹の研究室

    ドイツのある新聞の東京特派員が過去5年間の日の政府と海外メディアの「対立」について記事を書いている。 安倍政権の国際的評価がどのようなものかを知る上では貴重な情報である。 でも、日国民のほとんどは海外メディアが日をどう見ているのかを知らない。 日のメディアがそれを報道しないからである。 しかたがないので、私のような門外漢がドイツの新聞記者の書いたものをボランティアで日語に訳して読まなければならない。 このままでは「日で何が起きているのかを知りたければ、海外のメディアの日関連記事を読む」という傾向は止まらない。 そんなことまで言われても日のジャーナリストは平気なのか。 「ある海外特派員の告白 5年間東京にいた記者からドイツの読者へ」 Carsten Germis さて、荷造りも終わった。ドイツの日刊紙Frankfurter Allgemeine Zeitungの特派員として東

  • 東京と私 - 内田樹の研究室

    東京新聞に「わが町、わが友」という6回連載エッセイを書いた。 思い出に残る東京の町について書いてくれと頼まれた。 東京新聞だと、読んでいる人は限られているので、ブログで一挙公開することにした。 どぞ。 下丸子(1) 私は東京生まれだが、20 年前に東京を離れ、以後ずっと関西在住である。もちろん、今も東京にはよく行く。母や兄や娘が住んでいるし、友人たちも大勢いる。でも、「東京に帰る」という言い方はもうしない。関西に引っ越してきてから、しばらくは「東京に帰る」という言葉に実感があった。多摩川の鉄橋を渡るときには「故郷に戻ってきた」という気がした。だが、あるとき電車で西に向かっているとき、夕陽を背にした六甲の山並みのシルエットを見て「ああ、もうすぐ家だ」と思ってほっとしたことがあった。その瞬間に東京は「私の街」ではなくなった。 このコラムで私が語るのは「かつて『私の街』であった街」についての回想

    ch1248
    ch1248 2010/07/17
    自分について書く時は本当に良いエントリを書かれるよな、この方は。.@m_um_u さん、ありがとう。
  • 増子化対策 - 内田樹の研究室

    共同通信の取材。 テーマは少子化・未婚化・婚活。 同じテーマで何度もしゃべっている。 同じことを何度も書くのも疲れるけれど、基的なことなので、繰り返す。 「少子化問題」というものは存在しない。 例えば、新石器時代に「少子化問題」というものは存在しなかっただろう(その時代に生きたことがないので想像だが)。 その時代の集団において、「最近、みんな結婚しないし、子供が生まれないのはまことに困ったことだ」というような問題があったとは思えない。 そんな問題をかかえた集団は数世代で(はやければ一世代で)消滅してしまったはずだから、そもそもそれが「問題」として意識される暇さえなかった。 「親族を形成する」というのは人間が人間である基礎条件の一つだからである。 それは「労働する」とか「言語を話す」ということとほとんど同レベルの「当為」である。 「最近、みんな労働ないので、困ったものだ」というような悠長な

    ch1248
    ch1248 2009/09/14
    毎度のことだけど、内田先生また合気道の事書いてるよ・・・。
  • 井上雄彦さんと会う - 内田樹の研究室

    井上雄彦さんの仕事場を訪ねる。 BRUTUSの井上雄彦特集のためにツーショットを撮るのである(ということは、例によって「ハシモトさん・スズキさん」マターである)。 世田谷某所に「スラムダンクビル」がある。 タクシーで遠くから見て、「あれかな?」「いや、あれは学校でしょ」と話していたら、そこだった。 6階建ての自社ビル(というか自分ビル)で、その地階が体育館になっていて(もちろんバスケットをするため)、そこを今は仕事場にしておられる。 というのは、井上さんは週末から上野の森美術館で始まる個展のための作品をそこで描いているのである。 キャンパスの大きさが半端じゃないので、体育館に工事現場のような足場を組んでいる。 お仕事の手を休めて、ゆらりと立ち上がってこちらを向く。 「こんにちは」 おお、立ち姿に後光が差している。 ここ何日もきれぎれにしか寝ていないそうである。 しかし、その笑顔は透き通るよ

    ch1248
    ch1248 2008/10/01
    複素的身体の話は経験的に理解していたけど、葛藤の話は初耳。勉強になった。
  • 老いの手柄 - 内田樹の研究室

    Happy birthday to me〜 57回目の誕生日である。 まさか自分が57回目の誕生日に Happy birthday to me〜というような気の抜けた「行き場のないギャグ」を口にする老人になろうとは少年の頃には思いもしなかった。 人生というのは予断を許さぬものである。 私は16歳の頃に自分が57歳の時にどんなことを考えている人間になるのか想像もつかなかった。 想像がつかなかったのは、「57歳というのは、すごい大人だ」と思っていたからである。 16歳はガキであるから、ガキの想像力をもってしては57歳の爺の頭の中に渦巻く妄念や諦観や洞見についてはそれを忖度することはできるはずがないと思っていたのである。 そこらへんの考えの浅さがやはり16歳のガキである。 なんのことはない。 40年経っても、「がわ」が爺になっただけで、16歳の私はそのまま手つかずで残っているのである。 そういう

    ch1248
    ch1248 2007/09/30
    今回は合気道のことを書かれてないですね。珍しい・・・。
  • 分子生物学的武道論 - 内田樹の研究室

    昨夜読んだ福岡伸一先生のの中に「武道的に」たいへんどきどきする箇所があったので、それを早速合気道の稽古に応用してみることにした。 それはトラバでM17星雲さん(ごぶさたしてます)が言及している箇所と同じところなのだが、「どうして原子はこんなに小さいのか?」というシュレディンガーの問いについて書かれたところである。 どうして原子はこんなに小さいのか? これは修辞的な問いであって、実際の問いは「どうして生物の身体は原子に比べてこんなに大きいのか?」と書き換えねばならない。 原子の直径は1-2オングストローム(100億分の1メートル)。 つまり、仮に1メートル立方の生物がいたら(そんなかたちの生物見たことないけど)は原子の100億の3乗倍の大きさがあることになる でかいね。 どうして、生物はこんなに大きいのか? 理由を福岡先生はこう書く。 「原子の『平均』的なふるまいは、統計学的法則にしたがう

    ch1248
    ch1248 2007/04/22
    前半も後半も素晴らしい。/後半はわかんない奴はわかんないだろうなあ……。/id:akoginaさん サードインパクトとはちょっと違う。ありゃ暴力的過ぎ。
  • 新学期のご挨拶 - 内田樹の研究室

    2007年度の新学期が始まる。 岡田山に来て18回目の新学期である。 新メンバーで部長会に出てから、最初の三年生のゼミがある。 新顔の15名のゼミ生たちにご挨拶をする。 内田ゼミにようこそ。 日は初日であるので、このゼミではどんなことをやるのかについてご説明しよう。 このゼミは「知識」を得るためのものではない。 「知識」というのは基的に一問一答のクイズ形式でフォーマットされている。 「タイ・カッブの最高打率は?」「0.420」 「ニール・ヤング、ジム・キャリー、マイク・マイヤーズ。共通点は?」「カナダ人」 というふうに。 しかし、実際に人生の岐路でそういうクイズ形式の問いを差し向けられるということは起こらない。 実際に人生の岐路(めいたところ)で私たちが遭遇するのは「答えがもともとない問い」と「答えがまだ知られていない問い」だけである。 「答えがもともとない問い」というのは問いに対して

    ch1248
    ch1248 2007/04/11
    禅宗の「公案」っぽい。良いね。
  • さよならギャングたち - 内田樹の研究室

    久しぶりに芦屋で合気道のお稽古をする。 たくさん来ていて70畳の道場が狭いほどである。 毎年この時期は「返し技」のお稽古をすることにしている。 四月になると新入生が入ってくるので、基からチェック。 年度末の今頃は少し込み入ったことをやる。 実際にやるとわかるけれど、「少し込み入ったこと」の方が実践的にはずっと簡単なのである。 どなたでもおわかりになるであろうが、単純な動きというのは意外に扱いにくいのである。 無意味な動きはもっと扱いにくい。 初心者は自分が何をやっているのかよくわからないので、身体をがちがちに固めて、「ふつう人間はそんな動きはしない」というようなブキミな動きをする。 このような人に技をかけるのはたいへんむずかしい。 ある程度段階が進んでくると「理にかなった動き」をするようになる。 自分の可動域や自由度を確保しつつ、相手の死角に回り込むような動きがどういうものかわかってくる

    ch1248
    ch1248 2007/03/21
    良質の合気道論。/ま、遅いスピードで電柱にぶつかる場合と、速いスピードで電柱にぶつかる場合とどっちが痛いかっていうと後者なのに、皆それが分からんのだよな。
  • ミリアム館で昇天 - 内田樹の研究室

    「学生たち、もうはじけちゃってます」という島崎先生の言葉に誘われて、ミリアム館に音楽学部舞踊専攻の発表会を見に行く。 水曜日から始まっていて、すでに3ステージが終了している。 見てきてた人たちが学内で会う人ごとに「見ました? 見なきゃダメですよ」といっている。 「ぽろぽろ泣いちゃいました」という人が二人いた。 驚いたのは、某課長が「これまでの人生を反省して、これからはまじめに生きようと思いました」という感想を告げたことである。 人をして「これからはまじめに生きよう」と決意せしめた舞踊のあることを私は寡聞にして知らない。 学の舞踊専攻は2006年に始まったばかりだから、学生たちは、まだ島崎先生の教えを受け初めて1年に満たない。 わずか1年の訓練で、「このままワールド・ツァーに出せます」と観客をして言わしめるほどのレベルに達するということがほんとうにありうるのであろうか。 ともあれ島崎先生に

    ch1248
    ch1248 2007/02/21
    てか、合気道家じゃなかったら分からんのじゃないかとか思った。
  • 大学のブランド力とは? - 内田樹の研究室

    朝からばりばりと原稿書き。 『中央公論』の「日人の社会と心理を読み解くための20冊」と『大学ランキング』の「大学のブランド力とは何か?」を書き上げて送稿。 「日の社会と心理を知るための20冊」に私が挙げたのは、「日とはこれこれこういう社会であり、日人はこういう心理構造の生き物である」ということを客観的=中立的立場(などというものがありうるのだろうか)から論じたものではない。 「日人って、何なんだろう・・・」ということを自身の基礎づけの問題としてとらえた人々、その人自身が「日人らしさ」の原点として帰趨的に参照される人々のと日人論を語る人が読まずにはすませることのできない不可欠のレフェランスあわせて20冊。 私が選んだのは、成島柳北『柳橋新誌』、勝小吉『夢酔独言』、勝海舟『氷川清話』、中江兆民『兆民先生伝』、森鴎外『寒山拾得』、夏目漱石『吾輩はである』、永井荷風『断腸亭日乗』

    ch1248
    ch1248 2007/02/16
    ”ブランド”についての話。おもしろい。
  • 驚くことばかり - 内田樹の研究室

    岸和田だんじりエディターと神戸麻雀ガールのご結婚奉祝麻雀大会が開催された。 甲南麻雀連盟は発足以来15ヶ月の間に会員間で二組のカップルを送り出したことになる。 これは驚異的なマッチメイキング確率といわねばならぬ。 麻雀が人間のエロス的アクティヴィティを高めるという説に私は与しない。 むしろ麻雀の打牌の一手一手を通じてその人となりがはしなくも露呈するという事実が与って大きいのであろう。 とりわけ、負け方のうちにその人の人間的度量はあらわに示される。 先般申し上げたように、麻雀とは「自由と宿命」のゲームである。 自摸は宿命であり、打牌は自由である。 そして、麻雀において宿命は確率的にはほとんどつねに私たちを「敗者」への道へと誘う。 雀神さまが打ち手に微笑む確率は2割5分。 つまり、麻雀をしているかぎり、確率的に人生の4分の3は敗者として過ごさねばならないのである。 昨年の最高勝率の私でさえ3割

    ch1248
    ch1248 2007/02/13
    ミラーニューロンの話。「幽体離脱」に繋がるとは驚き。
  • 今日もハイテンション - 内田樹の研究室

    中央公論のI上くんから「リマインダーメール」が来る。 2月15日締め切りの5200字「日の古典20冊書評」という仕事を去年の暮れに引き受けたのを忘れていたのである。 12月には2月15日なんて永遠に訪れることのない遠い未来だと思ったのだが、無情にもちゃんとその日は来るのである。 14日に日経締め切り(まだ書いてない)。16日には新潮社の初校の締め切り(まだやってない)、大学ランキング締め切り(まだ書いてない)がある。 今日が7日。あと一週間でこの山のような仕事を片付けなければならない。 その間に会議があり、パーティがあり、東京での日帰り仕事が一つあり、税理士との税務対策があり・・・ 年明け以来、講演も対談も原稿も新規の仕事はすべて断っている。 スケジュール表に一つでも多く「空白」の日を確保しなければ、命が持たないからである。 午後から博士論文の公開審査があるので、超特急で日経の原稿と大学

    ch1248
    ch1248 2007/02/09
    B級映画に関する小気味良い文章。。
  • 『ハチミツとクローバー』全巻読破中 - 内田樹の研究室

    朝起きて Google カレンダーを開く(これはイワモト秘書ご推奨のガジェット。たいへん便利。「調整くん」にもびっくりしたが「ネット文房具」の進化の速さには驚かされるばかりである)。 日は原稿締め切りが一件。 日経の『旅の途中』1240字。ブログネタをコピペしてさくさくと仕上げて送稿。 自分で書いたブログ日記の記事をコピペしているので、べつに「剽窃」とか「盗作」というのではないと思うのだけれど、なぜかかすかな疚しさを感じる。 というのは、そのブログ記事を書いたのは「過去の私」であって、その人の書き物を「私のものです」と言って売り物にするのは、なにか微妙に「いけないこと」のような気がするのである。 「過去の私と現在の私の合作です」ということであれば、まあ、言い訳にはなるが。 長いの場合、初稿ゲラを直しているときに、「この話はどういうふうに展開するんだろう?」といつもどきどきしながら読んで

    ch1248
    ch1248 2007/02/05
    原稿の再検討の話とハチクロの話。おもしろい。
  • 大学漫画を読む (内田樹の研究室)

    センター入試の二日目の理科の試験監督が当たっているので、日曜日だけど、冬空の下を昼から大学に出かける。 学長、入試部長、大学事務長、入学センター課長とご挨拶もそこそこに前期試験の志願者数をお訊きする。 前年比8%減。 学を第一志望にしている学生のうち相当数を秋季入試でもう取ってしまったので、一般入試の目減りがこの数字で収まったのは善戦といってよいであろう、と総括。 各大学の志願状況がネットで公開されているが、どこもたいへんな苦戦を強いられている。 ふつうに考えるとある大学の志願者が減った分だけ、他の大学の志願者が増えて、トータルではゼロサムになっているはずだが、そうではない。 大学全入時代であるから、「滑り止め」にいくつも大学を受ける必要がないのである。 以前は7、8校受験するのが当たり前であったが、今年は自信のある受験生は2,3校にまで絞り込んでいる。 だから、志願者実数は5%減だが、

    ch1248
    ch1248 2007/01/24
    良質の論考。/それはそうと、もやしもんは良いですよ。
  • 納豆がない! - 内田樹の研究室

    納豆がない。 ひとつもない。 これはびっくり。 私のうしろにいたおじさんもびっくりしていて「おい、納豆がないぞ」と奥さんに言っている。 奥さんが説明してくれたので私も聞き耳を立てる。 「『あるある大事典』で『納豆を一日二個べると痩せられる』って放送したんで、日中のスーパーの店頭から納豆が消えてしまったんですって」 そ、そんなことがあったんですか。 私は朝は納豆、生卵、味噌汁、漬け物という「純日派」であるので、納豆が払底するということの生活への影響は甚大である。 それにしても、と私は思う。 日人は凄い。 TV番組で「これは健康によい」とか「これで痩せます」とかアナウンスするだけで日中の店頭からブツが消えるのである。 石油ショックのときに、日中のスーパーから洗剤とトイレットペーパーが消えた日のことを思い出した。 なぜ選択的に「洗剤とトイレットペーパー」だったのか、理由は誰も知ら

    ch1248
    ch1248 2007/01/20
    最近納豆が高騰化してて、一人暮らしの俺としては非常に困ってる。
  • 内田樹の研究室 - 「不二家」化する日本

    菓子メーカー大手の不二家が消費期限・賞味期限の切れた材料を使って洋菓子を製造していた事件は、当初現場のパート作業員の個人責任とされていたが、今朝の新聞報道によると、埼玉工場では7年前から工場長まで含めた工場全体の組織ぐるみで期限切れ原材料の使用や消費期限の付け替えが行われていたことが内部監査で判明した。また品衛生法基準の60倍の細菌が検出されていた洋菓子についても、工場長は回収指示を出さず、出荷されていた。 調査結果を承けて、大手スーパーは不二家製品の撤去を開始、すでに洋菓子販売は全面休止しており、全国の工場での調査結果でさらに問題が出てきた場合、すでに業績悪化している経営にとって致命傷となる可能性が高い。 この事件は現代日企業の知的退廃を象徴する出来事だと私は思う。 「知的」退廃というところにご注意願いたい。 倫理観の欠如とかコンプライアンスの不徹底とかマニュアル運用の不備とかいろい

    ch1248
    ch1248 2007/01/20
    言わんとしてることは分かるが……、「ちょっと戦争でもしてみようか」ってのは、単なる酔狂な気もする。
  • 創造的労働者の悲哀 - 内田樹の研究室

    興味深い記事を読んだ。 12月18日毎日新聞夕刊に東大で行われた学生実態調査の報告についての短信である。 学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。 あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じている。 この数値の経年変化にも興味があるところだが、記事では触れられていない。 個人的予測を述べさせてもらえれば、数値はこの後も増え続けるだろうと思う。 東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはどなたでもご存じである。 だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、「就職できない」からではない。 新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのである。 オフィスにばりっとし

    ch1248
    ch1248 2006/12/19
    的確な意見。確かに自分たちの世代は「創造的労働者にならなければならない」と感じている。
  • 村上春樹氏の朝ご飯 (内田樹の研究室)

    青山さんから「村上春樹の朝ご飯」についてエッセイを書いて、という仕事が回ってくる。 雑誌の編集者さんというのはいろいろなことを思いつくものである。 「ご飯」というのは人類学的にはたいへん重要なものであるということは先般より繰り返し申し上げている。 とくに身体的「同期」(シンクロニシティ)がたいせつなのである。 誰かとご飯をべるということは、他者と身体的に同期するためのもっとも実効性のある方法の一つである。 音楽の演奏も、ダンスも、セックスもその点では変わらない。 私たちが「快楽」として選択するものはすべて「同期」というファクターを含んでいる。 スティーヴン・ストロガッツの『SYNC−なぜ自然はシンクロしたがるのか』によると、「ものごとを同期に向かわせる傾向は、原子から動物、あるいは人類から惑星にいたる広大な宇宙で、最も広範に見られる『動因』の一つである」。 長期的に同室にいる女性の友だち

    ch1248
    ch1248 2006/12/06
    そうか、「教養」とはそういう意味だったのか。
  • 内田樹の研究室 - どうして仏文科は消えてゆくのか?

    かつては文学部の看板学科だった仏文科の廃止が続いている。 神戸海星女子大に続いて、甲南女子大も仏文科がなくなる。 東大の仏文も定員割れが常態化している。 理由はいくつかある。 英語が「国際公用語」の覇権闘争に勝利して、事実上のリンガ・フランカになったこと。 フランス自体の文化的発信力が衰えたこと。 文学についての知識や趣味の良さを文化にカウントする習慣が廃れたこと。 語学教育がオーラル中心にシフトしたこと。 などが挙げられる。 理由のうち最初の二つはグローバルな事情があってのことであるから、私どもが個人的にどうこうできることではない。 残る二つは邦の事情である。 外国語教育をオーラル中心にすることの害については、これまで何度も書いてきたので、ここには繰り返さない。 日は、文学についての教養文化としての価値を失った経緯について考えたい。 教養文化としての価値を失うとはどう

    ch1248
    ch1248 2006/12/03
    あー、なるほど。そういう試験を課した方が「わかりやすい」もんな。