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経典とpaintに関するgimonfu_usrのブックマーク (9)

  • 浮世絵の犬

    浮世絵を見ていると風景の端に犬がよく描かれている、「里犬」と言って、特定の人が飼っているわけではなく、人々からべ物をもらいながら街中に共存していた様子が覗える、 スイカは人のべ捨てか?調べたら犬もスイカをべるらしい、 親犬が子犬を連れていると、さすがにいたわってやりたくなり、人の心も和むだろう、 先祖はオオカミで来肉だが、人と暮らすようになって雑に変化した、昔飼っていた犬もビスケットやあられなどお菓子の袋を開ける音でとんできた、(クノールのコンソメスープも飲んだ^^) 左下は焼き芋屋の前、親子連れで芋の端切れをもらいに来ている、焼く匂いでやってくるとか、 「おかげ犬」というのを知らずにいた、 江戸の人々にとって、伊勢神宮は一生に一度はお参りに行きたいところだった、それほど神様への信仰も厚かった、(*現代でも2013年、式年遷宮のときは高速道路が大渋滞した;) 江戸時代に起こった

    浮世絵の犬
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    gimonfu_usr 2024/05/31
    ( 昔の旅は徒歩だから、でかい「犬の散歩」といえないこともない。)
  • 祖父が趣味で描いた墨絵が近くのお寺に寄贈され素晴らしい天井画になったので見て欲しい「趣味ってレベルじゃねぇぞこれ」

    あんあん @anan0 @raw_ttkn 当にステキです😊やはり遺伝子を受け継いでいらっしゃる🙏つめさん。西願寺の天井画を思い出しました🌸 goo.gl/images/4BM31J 2019-02-01 18:01:03

    祖父が趣味で描いた墨絵が近くのお寺に寄贈され素晴らしい天井画になったので見て欲しい「趣味ってレベルじゃねぇぞこれ」
  • ISのヤジディー教徒虐殺を描くイラク人画家

    イスラム過激派組織「イスラム国」によるヤジディー教徒大虐殺を描いた作品とイラク人画家のアマー・サリムさん。イラク・クルド人自治区ドホークで(2015年3月26日撮影)。(c)AFP 【4月18日 AFP】イスラム過激派の戦闘員が男の喉を切り裂く。別の戦闘員は切断された人間の頭部をライフル銃に突き刺して振りかざす。遺体があふれかえる溝に、また別の遺体を投げ捨てる戦闘員もいる。 イスラム過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」が2014年夏、イラク北部のクルド系少数派、ヤジディー(Yazidi)教徒に対して行った大量虐殺の様子を、画家のアマー・サリム(Ammar Salim)さんが描いている。 サリムさんの仕事場は、イラクのクルド人自治区ドホーク(Dohuk)にある小さなアパートだ。「ヤジディー教徒のジェノサイド(集団虐殺)」と題された絵画シリーズを通して、サリムさんは自分

    ISのヤジディー教徒虐殺を描くイラク人画家
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    gimonfu_usr 2015/04/18
      ( イラク / ISIS )
  • George Whiting Flagg - Wikipedia

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    gimonfu_usr 2014/01/09
    ( 米国 ) ( 十九世紀 )
  • 「システィーナ礼拝堂を読む」

    「システィーナ礼拝堂を読む」越川 倫明, 松浦 弘明, 甲斐 教行, 深田 麻里亜(著) は、旅行ガイドの説明では飽きたらず、専門書までは必要がない人の為に書かれた大変面白い解説書です。礼拝堂が作られた時代背景や、キリスト教の図象学的解釈、画家の人生などなど。「最後の審判」だけでなく天井画やタペストリーの話題も豊富にあります。 http://www.amazon.co.jp/dp/4309255515/ref=cm_sw_r_tw_awd_LzELsb19365R0 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309255514/

    「システィーナ礼拝堂を読む」
  • ラッセンは「宗教画家」であり「インサイダーアーティスト」 - ohnosakiko’s blog

    またラッセンかと言われそうだが、一つ前の記事「美術史は歴史修正主義のカタマリ」に、ブックマークコメントでツボにはまる補足説明が入ったので書いておきたい。 Midas ↓美術史家としての立場から補っくと「ラッセンが正統文脈の美術史見直しに入らなかった」のはその『ニューエイジ』が示すように宗教画(イコン)家だから(美術史の系統樹を考えた場合枝分かれしてる点が昔すぎるから) 2013/09/03 http://b.hatena.ne.jp/Midas/20130903#bookmark-160037550 Midas 「ラッセンはインサイダーアート。社会主義リアリズムの亜種」と書いた通り。宗教画は近代に『プロパガンダ』『アウトサイダーアート』へ分裂する。後者が稀に正統史に含まれるのは我々が人格を有すると信じてるから 2013/09/03 http://b.hatena.ne.jp/Midas/2

    ラッセンは「宗教画家」であり「インサイダーアーティスト」 - ohnosakiko’s blog
  • ガブリエル・デストレ - Wikipedia

    ガブリエル・デストレ(右)とその妹ビヤール公爵夫人 ガブリエル・デストレ(Gabrielle d'Estrées, 1573年 - 1599年4月10日)は、フランス王アンリ4世の愛妾。 生涯[編集] ブールデジエール城(現在のアンドル=エ=ロワール県にあった)で、クーヴル侯アントワーヌとフランソワーズ・バブー・ド・ラ・ブールデジエールの娘として生まれた。 ガブリエルは21歳でアンリの愛妾となった。アンリはカトリック同盟と苦闘している最中だった。彼はマルグリット・ド・ヴァロワと正式に結婚していたが、別居してそれぞれが幾多の愛人を囲っており、アンリとガブリエルは愛し合っていることを人目もはばからず隠そうともしなかった。ガブリエルはアンリの遠征に同行した。臨月の体でも戦場近くの王の陣営そばに野営し、王の世話を焼いた。彼女は知的で現実的な女性で、王はしばしば彼女に意見を求めた。 カトリック教徒の

    ガブリエル・デストレ - Wikipedia
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    gimonfu_usr 2013/08/10
    フランス / カソリック / ( 英語版のほうに件の「姉妹」。 )
  • 17世紀オランダ・フランドルにおける建築画の歴史 - 泰西古典絵画紀行

    オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します. 無断で記事を転載される方がありますが,必ずご一報下さい. Liedtkeの論文(The Dictionary of Art vol.2 pp.340-34)を改変 1550年から1700年頃の低地地方においては建築画も発達したが,この時代の建築画とは,線遠近法によって宮廷の景観や教会の内部を描かれたものをさすことが多い.その端緒はまずアントワープに興り,フランドル及びオランダ全体に広がって行き,とくに,アントワープ派のほか,オランダではハールレム派やデルフト派が存在した. 17世紀の「遠近法」という呼び方をしたときフランドル様式の建築画がこれに該当するのに対し,オランダ絵画においての創作はといえば,邸宅の優美な人々(elegant company)を描いた作品群と大教会の内部(教会内部画church interior)を描いた作

    17世紀オランダ・フランドルにおける建築画の歴史 - 泰西古典絵画紀行
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    gimonfu_usr 2013/04/20
    中欧
  • 47NEWS(よんななニュース)

    鮭を盗み、イクラ持ち去り…迷惑行為で釣り場が次々閉鎖 その中で続く「奇跡」の場所には、住民の工夫があった AIの教育活用に踏み出すシンガポール…世界トップ級の学力、生き残りに懸ける カメラで児童の動きを検出、中国技術の台頭がもたらすものは「監視」か「安全」か

    47NEWS(よんななニュース)
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    gimonfu_usr 2013/02/26
    ( 12世紀の仏像から14世紀の仏画がでたっていうのは、仏像が解体修繕でもされたのかな )
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