タグ

断片に関するgimonfu_usrのブックマーク (150)

  • 天使の傷を止血する

    僕は、一万円札で天使の傷を止血する。 あと、どのくらい一万円札が残っているのかを考えると怖くなる。 一万円札を集めてくる父親の体調が良くない。 いつまで、こんなことができるのかは自分には分からない。 ただ、血を止めたところで、何も自分は救われない。 ただ、何もしてくれない天使が生きながらえるだけである。 しかも、一万円札がなくなると、自分はゴミクズ同然だ。 でも、何かいいことが起きると信じて止血をする。 ツイートする

  • 川本くんが死んだ理由

    くんが生まれた理由はついにわからなかったけど、死んだ理由はわかってる。皮肉なことに。何に対する皮肉なのかは、わからないけど。 孤独。漠然とした不安感。救いようのない、耐えようのないもやもやっとしたものが、川くんの心にはあった。 なんでそんなこと僕がわかるのか、それとも決めつけることができるのかって? そりゃ、生前彼の言葉を聞いていたからさ。川くんは言っていた。「ちゃくせき」以外にも言っていたんだよ。驚くことに。 川くんはだいたい黙っていて、だいたいクールだった。けど、しゃべるときには、驚くほど饒舌になった。 もちろん、誰に対してもってわけじゃない。いや、誰に対してもってわけじゃないって感じさせるだけで、誰に対してもそうだったのかもしれない。 川くんの心のなかの断絶がそうさせたのかもしれない。ほら、饒舌なときと、クール、寡黙なとき。 ときどき、同じ人間をみているとは思えないときが

    川本くんが死んだ理由
  • おばあちゃんが亡くなった

    最愛のおばあちゃんがお昼頃亡くなった。 朝、妹にたたき起こされた。「おばあちゃんが救急車で運ばれたって!」母親からの電話をとった妹も目を丸くしていて、なんだか現実味がなかった。 おばあちゃんは高血圧持ちで、3年前の夏もそれで倒れていた。そのときも体の衰えに「しぬしぬ…」とこぼしていたが、高血圧以外の異常はなく、薬を飲むことで持ち直していた。 今年の6月ぐらいからか、おばあちゃんは自己判断で高血圧の薬を飲むのをやめた。薬を飲むのをやめて、少し経ったごろから気温がばかみたいにぐんぐんあがった。 むしむしした空気はおばあちゃんからあっという間に覇気という覇気を奪った。おばあちゃんはまた「もうだめかもしれない」と口にするようになった。 わたしは、家族のだれよりもおばあちゃんにかわいがられていた。一人娘である母が少しやきもちを焼くほどである。 おばあちゃんは少女時代のほとんどを戦争と共に過ごした。と

    おばあちゃんが亡くなった
  • 兄の自殺した意味がわかってきた

    数年前に兄が自殺した。 いつも死ぬ死ぬ詐欺を家族にしていて、でもなんとなく自分には「あぁ死ぬのかな」って思ってた。 覚悟を決めたような顔でもなく、言葉でもなく、親からいつものようにこれからどうするのか、という問いに対し 「迷惑かけないように死にます」と言い残してちゃんと死んだ。 兄の苦しみは当時の自分にはわからなかった。とにかく問題児で、両親の注意は兄に惹きつけられていて、私は兄の文句を毎日日々聞きながら、生きてきた。 親にこれ以上迷惑をかけないように、堅実に生きようとして真面目であるべきだと感じていた。 自分と違って、普通に学校へいくことも、働くことも、人と接することが満足にできない兄が陶しかった。自分ができることをなぜできないのか。 人が出来て当たり前のことが何一つできない。そんな兄の愚痴をいつも車の助手席で、運転する父から聞きながら、だったらもう家から追い出しなよといったとき、「あ

    兄の自殺した意味がわかってきた
    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2015/07/11
    ( 兄妹 )
  • 処女を捨てたら、夢を見なくなった

    先月、処女を捨てた。 25歳、処女を捨て去りたいというよりは 男の人に慣れる為に出会い系を始めた。 プロフにブスだと明記しているのに、 毎日いろんな男の人から連絡が来てびっくりした。 その中からやさしそうな人と何週間かメールをやりとりして、 ご飯でもどうですかと言ってくれたので会ったのだが、 その日のうちにやってしまった。 相手の人はすごくやさしくて、 ブスに向かって タイプだよとか、つきあおうとか、一緒に旅行行こうとか、 今思えば初対面でそれはないだろって感じだけど、 その時は、もうこんなこと言ってくれる人に出会えないかもしれない、と思って誘いにのった。 でも、 全部で15分もかからずに一人で果ててさっさと寝てしまった相手を見て、 やさしかったのはやりたかったからなんだ、ということをようやく理解した。 ブスでも穴があればそれでよかったのかもしれない。 結局、初体験はあっけなく終わった、そ

    処女を捨てたら、夢を見なくなった
  • 1991年の知られざるファッション戦争。父と紺ブレとレッチリと金ボタン - ソレドコ

    フミコフミオ 父の生前、一度だけ二人きりで買い物に行ったことがある。父が亡くなる直前、1991年頃の春先の出来事だ。その頃の僕は女の子の目線を意識してばかりの高校生で、当はメインストリートで流行っているものが気になって気になって仕方なかったけれども、あえてそこに背を向け、米国英国のロックンロールミュージックを聴き、ゲーセンでドルアーガの塔やゼビウスやドラゴンバスターといった時代遅れのゲームをプレイしながら、「ああいうの、ダサいよね。大衆に迎合しすぎ。イモだよね」と言っているような偽サブカルの痛いヤツだった。音をいわせてもらえば、僕もジメジメしたゲームセンターを飛び出しメインなストリートで太陽の下で女の子と楽しく遊びたかった。 Photo by Kai Engel 何のきっかけで父と二人で買い物に行く流れになったのか覚えていない。でも僕は「お前にいいものを買ってやる」という父の笑顔を

    1991年の知られざるファッション戦争。父と紺ブレとレッチリと金ボタン - ソレドコ
  • DVをしてきた父親をずっと憎んできた。

    DVをしてきた父親をずっと憎んできた。 DVそのものというよりも、家庭内で突然キレる、レジャーの最中にほぼ必ずキレるという習慣が、おれから家庭=安心という概念を失わせ、部屋にこもってゲームや物語や勉強を続け、極力家庭に興味を持たず、逃避する人間になるしかなかった。部屋の鍵もかけられなかったから、教室や予備校、図書館に逃避せざるをえず、一人暮らしをしたいがためだけに名門大学に合格した。両親は無邪気によろこんでいた。おれはそれとなく両親のせいで自分がいかに惨めな時代を送ってきたかを知らせてきたが、自分たちがあれだけキレて子どもから安心を奪っていたことについては、完全に無自覚であった。自分たちが日常的にキレていたということすら、思い出せないようであった。暴力についても、普通に許容範囲だったと感じているようだった。相手が女子どもであるという斟酌は無いようだった。貧しいながら事と住居を提供してきた

    DVをしてきた父親をずっと憎んできた。
  • 少年期1-不登校で高校を留年した僕が、復学し東大に入学するまで。

    一 前夜 ホテルの部屋からベランダへゆっくりと出ると、夜の東京タワーをぼんやりと眺めた。 遠く離れた夜景の中で可愛いらしくポツンと立つ細長い鉄塔は、暖かみを帯びた淡いオレンジ色の光を纏い、その姿にはどことなく心惹かれる綺麗さがあった。 携帯の画面に映し出されたメールの文面は、先刻から何度繰り返し確認しても一文字も変わらない。 下を覗き込むと、寒々とした黒い世界が広がっている。あらゆるものを飲み込んでしまいそうな残酷さを帯び、吸い込まれてしまいそうな誘惑と底知れない恐怖とを宿しているようだった。 着信を告げる音色が、暗闇の奥をまじまじと見つめながら黒い世界へと誘われるかのように前のめりになる僕の姿と重なり、瞬間、淡いオレンジ色の光と交差した。 母からのメールだった。 そっと画面を閉じると、部屋に戻って椅子にゆっくりと座り、机の上に置かれたペンをそれとなく手に取った。側にあるメモ用紙の束を手元

    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2015/05/19
        ( 長いというけれども、『しろばんば』とか今の人民は読まないのか。 もっと、続けてよろしいよ。)
  • 彼氏を誘ったけど帰らされてつらい

    30女、相手は40の元上司。5年ぶりに会って2人で月2くらいで事に行くようになったのが一年前。帰り道で手を繋ぐようになったのが半年前、付き合うようになったのが3ヶ月前。手を繋いだり腰に手を回したり好きですと言ってくれるけどそれ以上はまだしてない。 1ヶ月前遅刻のお詫びとして「じゃあぎゅってしてください」ってゆったらその次のデートからハグしてくれるようになった。嬉しかった。当日は人通り多いからできなかったらしい。 それで、そろそろそういうことしたいな触れあいたいなって思って今度のデートでキスくらいはしよう!と目標もって挑んでみた。 事してカフェかバー行って帰宅というのがいつものコースなんだけど「もっと恋人っぽいことがしたいです」と言たら、ちょっと遠回りして手をつないで散歩してくれた。 人通りがほとんどない商店街で「キスとかしたいなーとか。そういうこともしたいと思ってます」という話をしてた

  • NHK連続ドラマ「マッサン」の熊虎さんを見て父のことを想う。 - おうつしかえ

    マッサンね。 マッサン。 ここ最近の回はどうも気持ちがざわつきます。 熊虎さんの話。 とうとう土地の権利書を息子が持ち出して売るとか。 だらだらと書きます。 注)いい話じゃないです。ご注意ください。 働かないで家で酒飲んでいる父 これだけでざわつくんですよ。 気持ちが。 働かないで家で酒呑んでいる。 父はそんな人でした。 [広告] サラリーマンではなかったので、働き方はある程度自由がきいて、ずーーーーっと働かないわけではないのですが、実働はどれくらいだったのかなぁ。働かない日も多かったし、スーツ着て外出して働いている感じは醸し出していても、実際1日にどれくらい働いていたのかは謎。多分働いてないことのほうが多かったのではないかと思います。 どう考えても仕事してないよね、ということがわかりやすいのは、 朝は寝てる 昼過ぎに起きる 酒を飲む 夕方から寝る 夜、夕飯をべて酒を飲むか そんな自分に

    NHK連続ドラマ「マッサン」の熊虎さんを見て父のことを想う。 - おうつしかえ
    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2015/01/25
    (知人に似た境遇のしっかり者がいて彼女の幸せを全力で願ってるが同時に申し訳ないことに、いわゆる反毒親運動の理想のスマートな親御さんより熊虎に惹かれる。それが御父上が「外面は良かった」ゆえんかもしれない
  • 父との戦い - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)

    年が明け、1月7日に父が亡くなった。享年84。 ずいぶん前に脳梗塞で倒れてから、とりあえず復活はしたものの、最近はかなり恍惚の人状態だったので、そろそろ秒読みだと覚悟はしていた。昼間、ひとりで風呂に入って湯船に浸かった途端に心不全を起こし、そのままポックリ、ということらしい。16日(金)に通夜、17日(土)に葬儀を済ませた。両親の親戚だけを呼んで、あくまでも控え目に。 亡くなったのが7日(水)だから、最初はその週末が葬儀の日程になるだろうと思った。おれは1月14日から16日まで岡山出張を予定していたので、9日(金)か10日(土)に葬儀を済ませれば、出張には行けるはず。予約したホテルもレンタカーもキャンセルせずに済むだろう。 そう楽観していたら、どうも正月に人がたくさん死んだようで、地元の火葬場ではズラリと死人が焼かれるのを待っている状態だという。我が家の仏さんは早くても15日にならないと焼

    父との戦い - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)
  • 自分で遺品整理ビフォーアフター具体例写真42枚、死ぬ前に断捨離で部屋の身辺整理しよう - 移転→hapilaki.net

    逝った人の遺した生活用品は遺族にはゴミの山。多すぎると片付けが大変。業者を使わずに自分たちで遺品整理した時の様子を公開する。大変な状況を疑似体験してみてほしい。 はじめに 遺品整理を引き継いだ 筆者と知人の計2名は遺品整理作業を途中から引き継いだ。筆者らの前に大人が数名で2日間ほどかけて遺品整理していた。衣類や小型家電などは譲渡や処分したとのこと。これ以降の様子をつづる。 あなたの「思いと財産」を伝えるための引き継ぎノート 遺品整理作業の概要 大型家具を出しやすいように出入り口付近に並べかえたり、解体したり、屋外に出した遺品を業者に回収させたりした。生前に断捨離してなかったようで六畳二間の一人暮らしにしては荷物が多いと思った。 老いへの「身辺整理」 物件および間取り 物件は昭和の香り漂う賃貸文化住宅。うろ覚えだが、間取りは下図のとおり。この間取り図の縮小版を文中の写真の中にも入れている。

    自分で遺品整理ビフォーアフター具体例写真42枚、死ぬ前に断捨離で部屋の身辺整理しよう - 移転→hapilaki.net
    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2015/01/17
    ( 衣食住 / 遺品整理 )
  • 掌編私小説「リバーズエンド」 - 紺色のひと

    車の少ない国道を走っている。小さな橋を通り過ぎようとしたとき、ふと何かが引っかかって、車を停め川原に降りてみた。礫の大小が揃わず、足元が沈むそこには、わずかに腐臭が漂っている。何かが引っかかったと言ったけれど、この匂いを走行中の車から僕の鼻が捉えたわけではもちろんなくて、多分こういう光景が広がっていることはあらかじめ分かったうえで、それでも僕はここに来たのだった。 産卵を終えたサケがそこかしこで死んでいる。 生きているものも、尾びれは白くすり切れ、体にも水カビが浮いて、ゆっくりと死を迎えようとしていた。 僕は彼らの、この遡上という習性を、自らの生活に重ねて考えてしまうことがよくある。海から入り、目的地を目指して遡り続ける彼らの、一心なその行為のように生きたいと、生きるべきだと、生きなければならないと、そう強く思っている。流れに逆らい続けて、死ぬまで泳ぎ続けることが、僕が行き急ぐなによりの理

    掌編私小説「リバーズエンド」 - 紺色のひと
  • 面接に落ち続けた僕を救ってくれた先輩の言葉「面接官は敵じゃない。将来一緒に働く仲間だ」 - 私のちオレときどき僕

    就職活動中の話。 もうかれこれ10年近く前のことになるが、当時の僕はかなりのあがり症で初対面の人と話すことがとても苦手だった(今でも得意ではないが)。 面接なんて想像するだけで全身がガッチガチになってしまい、話をしていてもすぐに脳がオーバーヒートしてしまって支離滅裂、全く話が噛み合わない。 そんな僕だったから、当然のように簡単に内定がもらえるはずもなく何社も受けては落ちて...を繰り返していた。 最初のうちはまぁこんなものだろうと悠然と構えていた。しかし、不採用が続き10連敗、20連敗…と積み重なるうちに次第に焦りが出てくる。 「何回受けても結果は同じじゃないか」 「このまま永久に就職出来ないんじゃないか」 じりじりとした不安を打ち消すように日々ゲームボーイアドバンスのパワプロくんポケットでサクセスをやり込んでいた。ただの現実逃避である。 初夏の若葉のような初々しい心はしおれ、だらだらと惰

    面接に落ち続けた僕を救ってくれた先輩の言葉「面接官は敵じゃない。将来一緒に働く仲間だ」 - 私のちオレときどき僕
  • 亀さんと亀さんの奥様とがん治療の話 

    亀@渋研X(リハビリ中) @kamezonia がん治療の場合、標準的な医療でも「無治療」という選択肢はあり得る。ガンの種類、部位、年齢やステージ(進行の程度)、体力、あれこれ加味して治療方法は選ばれる。順番は状況によるだろうけど「外科的治療はやめよう」「化学療法はやめよう」「放射線療法はやめよう」「疼痛緩和だけで」てな具合。 2014-10-04 01:04:08 亀@渋研X(リハビリ中) @kamezonia 化学療法ひとつとっても、一般に治療効果は高いけど副作用が強いといわれる薬品は避けて、なんて判断も状況に応じて当然行われる。 疼痛緩和はすべての段階で行われる。別に終末期にだけ行われるわけではない。副作用に詳しい医師か、ヒアリングがうまい医師か、といった点で奏功するかどうかは違う。 2014-10-04 01:07:31 亀@渋研X(リハビリ中) @kamezonia たとえば、う

    亀さんと亀さんの奥様とがん治療の話 
    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2014/10/04
    ( 治療  / 家族 )
  • 出会って二日目で「結婚で大切なのは血筋です。遺伝を甘く考えてはダメ。容姿は良くて、家柄も良くて、親の教育も十分で、きちんと与えられて育ち、心が貧しくない人を選びなさい」と

    2014-09-17 出会って二日目で「結婚で大切なのは血筋です。遺伝を甘く考えてはダメ。容姿は良くて、家柄も良くて、親の教育も十分で、きちんと与えられて育ち、心が貧しくない人を選びなさい」と諭された話 付き合う人間を選別すること―例えば、社会的スペックとか、容姿の良し悪しとか、経済的にも精神的にも裕福な家庭で育ったかとか、そんな基準ってインターネットとか匿名の場で「なんとなく」語られてはいるものの、目前直球で、しかも親族でもないのに、はっきりと打ちのめすように諭す人にはなかなか出会えないので、正直とてもびっくりした。 私は物心ついた頃から、「自分の血は汚いんだ」と思い込んでいた。いや、今もやっぱり思い込んでいる。精神の病気を患う肉親と生まれた時から同居していて、その人と重ねられ「お前の血はよくない。(周囲を疲弊させるあの人の血が濃いから、ろくでもない)」と言われたことが何度かあったからだ

    出会って二日目で「結婚で大切なのは血筋です。遺伝を甘く考えてはダメ。容姿は良くて、家柄も良くて、親の教育も十分で、きちんと与えられて育ち、心が貧しくない人を選びなさい」と
  • かあさん(@ higemarunyanko)さんちの飼い犬の松ちゃんと猫のはっぱちゃんのお話

    野良のはっぱちゃんがかあさんさんちの飼い犬の松ちゃんに惚れこんで… まとめ作成から1年後、はっぱちゃんは松ちゃんに逢いに虹の橋に…

    かあさん(@ higemarunyanko)さんちの飼い犬の松ちゃんと猫のはっぱちゃんのお話
    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2014/09/12
    (追記  岩手 )
  • うさぎ、って書けなかったおばあちゃんの話 - 世界を食べたキミは無敵。

    そういえば今日クーラーつけてないことに気づいた、これが秋の始まりなのかあ— 鈴木あかめ (@akame_me) 2014, 8月 28 8月ももう終わる。気づいたら夏がもう終わりそうになっていた。 季節の始まりっていうのは何となくぼんやりしている、いつの間にか始まっている。そしてひとつ前の季節は気づかぬうちに終わっている。 虹は7色といわれているけれどその境目は曖昧なように、赤がいつのまにかオレンジになり黄色になっていくように、何となくまたひとつの季節がやってきてまたひとつの季節が終わっていくんだなあと思った。そして、特に、夏から秋への変化はひとを感傷的な気持ちにさせるよなあと思った。湿り気のなくなった乾いた風を浴びながら、わたしは、そんなセンチメンタルな気分になっていた。 いまはグラデーションのなかにいる、そう思った。 小さな変化、それはちいさな変化ひとつひとつの集合体で出来ている。 ク

    うさぎ、って書けなかったおばあちゃんの話 - 世界を食べたキミは無敵。
  • 明日も声を聞かせて - horahareta

    2014/08/24 23時 中学2年生に進級した初日の終わり、担任の先生がホームルームで嬉しそうに言った。 『誰か!犬いらんか!犬!生まれたてのシーズーや!かわいいぞぉ!!』 僕は心臓をバクバクさせながら学校から家までの20分間、一度も休まず猛スピードで走って帰った。 我が家では、僕が小学校低学年の頃に近所の友達からもらったミドリガメしか飼ったことがない。初めてのペットに嬉しくて毎日大量のエサを投入し続けたのが原因なのか、2ヶ月程で死んでしまった。泣きながら河川敷にお墓を作った覚えがある。 それからもうペットを飼うのはやめようと思っていたが“シーズー”という名前に魅かれ、家族に『先生がシーズーくれるんやって!』と話を持ちかけた。 シーズーってなんや?どんな犬や?うるさないか?噛むんか? うちの家族は犬が嫌いだった。下の階に住むおじいちゃんが飼っている犬がうるさい上にすぐに噛むからだ。エレ

    明日も声を聞かせて - horahareta
  • 分母を大きくする - 傘をひらいて、空を

    すこし足を伸ばして深夜営業のスーパーマーケットに寄るのが面倒だった。頭のなかにアスパラガスとトマトとバターと白身魚の姿がよぎる。面倒だったから無視して買い置きのレトルトカレーで済ませる。シャワーを浴びていてシャンプーとコンディショナー、石鹸が二種類、シャワージェルが二種類、アロマオイルの小瓶が四つ、ちまちま並んだ籠に足を引っかける。舌打ちをする。バスタオルを洗うのが面倒でハンドタオルを適当に使う。髪をがしゃがしゃかきまわす。布団にもぐりこむ。クーラーの温度を適切に設定していないことに気づくけれども腕を動かすのがいやだ。暑いとか寒いとかいちいちモニタリングして調整してやるなんて、そんな面倒なことはしたくなかった。 彼女はそのように話す。私はそれを聞く。そういうことは私にもあるよと言う。それから付けくわえる。クーラーをがんがんにつけたまま寝たら風邪をひく、風邪をひいたらとっても不便だ、温度だけ

    分母を大きくする - 傘をひらいて、空を