佐原 喜三郎(さわら の きさぶろう、文化3年(1806年) - 弘化2年6月3日(1845年7月7日))は、江戸時代後期の侠客である。本名、本郷喜三郎。法名、朝日象現。 生涯[編集] 文化3年(1806年)、下総国香取郡佐原村(現在の千葉県香取市佐原)の百姓、本郷武右衛門の子として生まれる。武右衛門の3人の子供のうち、唯一の男子だった。武右衛門は、耕地30町歩、小作米600俵といわれた大身代であった。 天保7年(1836年)、29歳の時、芝山(現在の山武郡芝山町)の博徒仁三郎を殺した。原因は、渡世上の争いとも、女絡みともされる。この間、同年2月21日に逮捕され、5月25日、勘定奉行によって遠島の沙汰が下り、10月10日に島送りになり、三宅島で風待ちの後、天保8年(1837年)5月、八丈島に到着した。島に着いた喜三郎は、虚無僧となって恵みを受けて命をつないだ。乞食同然の暮らしぶりだったとさ