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セルフポートレートに関するgimonfu_usrのブックマーク (9)

  • 諦めて生きたから、僅かな期待を裏切られるとひどく傷つく

    諦めて生きてた。望んじゃいけないと思って生きてた。 大概のことは許せる。許してるつもりだった。 でも、怒るときは、浅はかで細かいことに怒る。余裕がないのだ。 はたからみたらどうでも良い。だけならまだましだ。 落ち着いて思い返すと、自分でもどうでも良いと思うことにたいして ねちねちとした子供っぽい怒り方をする。 成熟してなくて子供だからと思っていた。 でも違っていた。大人になって怒り方は変わったが、それは怒り方が変わっただけだ。 子供の頃のように、感情を発散して立ち往生するのではなく 大人らしく自分の優位性を維持しながら相手を追い込むようになった。 どうでも良いことに怒る子供っぽさは変わっていない。 頭が良くなったところで、大人ではないなんだな。と長年思っていた。 成熟した大人にならなければいけないし、 成熟すれば余裕が出て落ち着くと思っていた。 だが、最近あることをきっかけに、その考えは変

    諦めて生きたから、僅かな期待を裏切られるとひどく傷つく
  • ひょっとして俺はマッチョだったのでは - 24時間残念営業

    2013-08-08 ひょっとして俺はマッチョだったのでは http://coziest.net/?p=631 読んだ。 これ読んで考えたのです。俺はガツガツしてんのかなあと。 まあ、カッコつけであることは認めます。だって気分いいじゃないですか。一度電子書籍は出したけど、基的には完全な素人のまま、いわゆるアクセスアップのための工夫もほとんどせずに、独力でここまで来たって。少なくとも自分が考えるそのかっこよさのためにやせ我慢してる部分はかなりあります。 ただなあ、届かせるための努力ってほんとしたことねえんだよなあ……。 以下、長文の自分語り入ります。たぶんすごい長い。 自分の話でもしようと思います。過去にも何度か書いてますけど、どうせどっかに散逸してるし。 そもそも俺が文章を書きはじめた理由は、母親が購入したワープロ専用機が「使わないから」という理由で俺に回ってきたからです。そのワープロ専

  • はてな面白い - ひきこもり女子いろいろえっち

    ブログ、すごく面白い。 知り合いがいると書けないこと書こうと思って、はてなに登録してみたけど、いろんな人のブログ読むのが楽しい。 最初ははてなの使い方、ぜんぜんわからなかったけど、スターを覚えた。 いろいろ読んで、面白かったりタメになった記事にスターつけてる。 日記じゃないブログって雑誌読んでるみたい。 全部読まなくても、読みたいとこだけ読んで話がわかる。 日記のブログは連載小説みたい。 話が続いてる。 色んな年齢の人が書いてる。 年上の人の考えを知るの、面白い。 職場の年上の人とぜんぜん違うタイプの人がはてなに多い。 頭がいい大人の人が好き。 20代は大人と子供と混ざってる感じの年だけど、私は頭がよくないのが致命的。 だからぜったい、頭のいい大人にはならないと思う。 お母さんから、 「あんたは考え方がバカそのもの」 っていつも怒られてる。 小学校の時、障害児のクラスに入るように言われたこ

    はてな面白い - ひきこもり女子いろいろえっち
  • 祖父について - 青色3号

    実家に帰りそのまましばらく滞在しているため、ここ2ヶ月ほど祖父母とともに居る時間がとてもとても長うございます。今日はそのこと、というか、なかでも祖父のことについていくらか喋ろうと思っております。 前提は以下の三つ。 私の家では父母が共働きでしたから、学校から帰ってきたときに家にいるのはいつも祖父母でした。僕が物心ついたころには祖父はもう退職していましたから。ですから、僕は祖父と一緒にテレビを観たり、風呂を焚くのを手伝ったりしていたような、爺ちゃん子、婆ちゃん子だったのです。きっと、今でもそうです。 ここ数年で祖父はすっかり耳を悪くしてしまい、そのくせ補聴器をつけることを嫌がるせいもあり、あまりうまくコミュニケーションをとることができません。また、最近ではすっかり体力も落ちてしまい、トイレに行って帰るだけでゼイゼイと肩で息をしています。元気がなにより自慢であった(僕がまだ幼いころには裏山に登

    祖父について - 青色3号
  • 談志さん、逝く:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111124-00000010-sph-ent 立川談志さんが亡くなった。 米澤図書館でのイベントの後の打ち上げ会で知って、びっくりした。 僕は、中学のときに談志さんの『現代落語論』(三一書房)という新書で、あらためて落語に「入門」し、それから落語好きになった。志ん生、文楽を知ったのも、そのだった気がする。 談志さんの噺は、若い頃、スピード感があって、まるで筒井康隆の小説をジャズを聴くようだった。天才肌で、調子のいいときと悪いときの落差が激しく、ときに枕といっていいのかどうかわからないグチだけで終わることさえあった。でも、ノルと凄まじい力で噺の中に客を引き込み、客席全部が咳払いも聞こえない、シンとした静寂に包まれることがあった。客が談志という噺家の所作と声に集中しきっていた。一人会に通っていた頃を思い出す。 談志さん

    談志さん、逝く:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 生意気な「談志」と二人の友だち:日経ビジネスオンライン

    立川談志さんが亡くなった。 「談志」とシンプルに表記したものか、「談志師匠」と呼びかけるべきなのか迷ったあげくに、とりあえず「立川談志さん」と書いてみたのだが、やっぱり変だ。落語家の名前をどう扱うべきなのかについては、以前、五代目円楽逝去の際に掲載した原稿の中で書いている。ご興味のある向きは参照してみてほしい。結論は、どう呼んでも落ち着かないということだ。 落ち着かない理由のひとつは、私自身が、落語に対して構えてしまっているからでもある。落語については、考えるのでも語るのでも、まず自縄自縛に陥る。困った傾向だ。 以下、当稿では、単に「談志」と表記することにする。師匠が生きていた間、私は、ずっと「談志」という呼び方で先方の顔を思い浮かべていた。死んだからといって、急に改めるのは変だ。だから、「談志」と呼ぶ。半可通っぽく聞こえるかもしれないが、そこは大目に見ていただきたい。現実に私は半可通なわ

    生意気な「談志」と二人の友だち:日経ビジネスオンライン
    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2011/11/25
    今なら、ネットリンチに。おそらく。「上から視線」の咎で。/ 芸は「へたうま」に駆逐されて、芸は「生身の人格コンテンツ」の劣勢を挽回できない。/
  • 36歳児 - Whatever

    今年で年男になることは前に書いた。問題なのはこの年齢になっても、自分が世間で言うところの36歳に相応しい人間に慣れたとは思えないところにある。もっとはっきり言ってしまえば、自分にはガキっぽいというか幼稚な部分があると思っている。過去の自分と今の自分に差があるとはあまり思えないのだ。もちろんそれなりに歳を重ねたし、その過程での挫折や困難を通り過ぎることによって成長した部分もあるのだろう、とは思う。だけど、質の部分では何も変わっていない気がしないでもないのだ。褒められれば喜び、叱られたら文字通り泣く。そんな単純な思考プロセスを保ったまま生きているのではないか、と。アスペルガー症候群の特徴として、幼いあるいは子供っぽいという特徴があるらしい。また、未来を上手くイメージ出来ない(だから刹那的に生きたり散財に走ったりする)というものもあるらしい。それが当だとしたら、はまさしくこの私のことを語って

  • あの日の贈り物 - みつどん曇天日記

    明け方まで降っていた雨も、まだまだ強烈な残暑の日差しの前に涼を呼ぶにはほど遠く。 あの日は、蒸し暑かった。 窓から手を伸ばせばお隣の窓掃除ができてしまう密集した住宅地。風通しには定評のある我が家は室外機がフル稼働しているただ中にあって、夏場は外より暑く、冬は冬で当然のようにすきま風が寒いステキな住環境だった。わざわざ転居してきたネズミ君達にはまた別の意見もあるのだろうが、少なくともホモサピエンスには堪らない。 堪らない、と言いつつ滴り落ちる汗をタオルでぬぐいながら、でも僕はタオルケットを敷いた座布団にずっと鎮座しつづけていた。別に何があったわけじゃない。ただ単に、当時の僕には時間に価値が無かっただけだ。 短期深夜バイトでドカッと稼ぎ、その蓄えが無くなるまで何もしないで過ごす、それが当時のライフサイクルだった。時間とはいつぶすモノ。 1週間ほど誰ともしゃべっていない。生産的な事といったら麦

    あの日の贈り物 - みつどん曇天日記
  • とにかく不思議なことが好きだった - 北斗柄の占いについて思うこと

    まあその不思議もジャンルはバラバラだったけど、なんで?と問うこと、そうか!と理解することが何より好きだった。なので様々な分野に手を出していた。思えば小学校の5年の頃だったか、偶然見た教育テレビの通信高校講座の化学Aに魅せられた。まだ白黒放送だったけど、試験管の中の液体が一瞬で色を変え、溜めた気体に火を点けるとキュポッと音を立てる、そういった様々な現象の背後に原子・分子・元素といったものがあって、それらの化学反応を化学反応式で普遍的に記述できる、もうたまらなかった。 なので理科は得意だった。そして理科を理解するために必須だった数学も中学高校とチャートを毎日3問解くというノルマ*1の御蔭で試験の得点源になっていった。 マンガも高校の頃まではまだ出版点数がそんなになかったから大抵のものには目を通していた。現実とは異なる不思議な世界、私にとってSFって面白いマンガのことだった時期は長く続いていた。

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