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大王埼灯台(だいおうさきとうだい)は、三重県志摩市大王町波切54-1にある灯台。志摩半島の大王崎の突端に建つ中型灯台である。「日本の灯台50選」に選定されている。リアス式海岸が見られる周辺は伊勢志摩国立公園に指定されている。 歴史[編集] 大王崎周辺の海域は、昔から船頭らに「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と唄われていた海の難所だった。1913年(大正2年)には、サンマ漁船が遭難して死者51名を出し、1918年(大正7年)には、3千トンの巡洋艦「音羽」が大王岩に激突座礁した。これらのことから灯台の建設が求められていた。 1927年(昭和2年)10月5日 - 初点灯。 1954年(昭和29年) - 無線方位信号所が併設される。 1978年(昭和53年)12月 - 改修工事が行われる。 2004年(平成16年)4月1日 - 無人化される。 2005年(平成17年)11月 - 第4等
2020年1月の伊勢・鳥羽の続き。 青い海の絶景を眺めながら、大王埼灯台まで上ってきた。 うぉ~~っ、真っ青な空に映える白亜の灯台。高さ22.5mのコンクリート造。 志摩半島でも外海に面した大王崎は海の難所として知られ、早くから灯台の設置が望まれていたが 実際に建設されたのは1927(昭和2)年。 基部には一部八角形(?)の2階建ての建物が付属していて、2階の海側にはバルコニーが回っている。 直線と円弧で構成されたシンプルな形がモダンなイメージだが、バルコニーを支える円柱の列がちょっと 神殿っぽい雰囲気を醸し出す。 しかし入口だけ毛色が違うな・・・こんな古典的な雰囲気。 大王埼灯台は1978(昭和53)に大改修を行ったということなので、元々の姿が一部残っているのかな。 1階は資料館になっていて、大王埼灯台を紹介した資料などが展示されている。 2階へ上がる階段の踊り場には、ステンドグラスが。
大王埼は、三重県志摩半島の南東角、遠州灘と熊野灘を二分する如くに突出した、海食台地を形成し、断崖に立てば、 果てしなき太平洋を、一望の下に見渡すことが出来、普の豪壮な海景は、「伊勢志摩国立公園」中の圧巻とされております。 付近海域は険礁、暗岩が散在しており、なかでもひときわ目につく高さ8,4メートルの大王岩(大王島)は、 「伊勢の神埼(こうざき)、国埼(くざき)の鎧、波切(なきり)大王なけりゃよい」とうたわれここで難破する船は、 後を絶たなかったといわれました。白亜の灯台の建つ一角は、城山(じょうやま)といい、 海上に雄飛した九鬼水軍の城塞のあったところ。 大王埼灯台の建設計画は、明治17年に起こっており、大正2年、サンマ漁船が遭難し一瞬にして死者51名を出し、 大正7年には、3千トンの巡洋艦「音羽」か大王岩に激突座礁していますが、灯台の建設開始は何故かそれから10年後でした。 昭和2年5
駿河湾と遠州灘を二分して、太平洋に突出した岬の先端にあるのが御前埼灯台です。 黒潮と駿河湾の瀬流が、激しくぶつかり合う上に、御前岩を初め多くの暗礁が散在在しており、 昔から海の難所として、船人に恐れられていました。 寛永12年(1635年)御前埼灯台の場所に「見尾火灯明台(高さ2.8メートルで3.6メートル四方の建物で、 海上から見える三面を油障子で囲み、中央に油灯を置き、灯明番として、村人を賦役・油代と障子張紙代が、 幕府から支給)」が設置され、240年余続いたのですが、明治4年4月8日、旧幕府が建造した軍艦が、 灯明台沖合いのセイゴ根に座礁したため、明治政府は事態を重視して、高さ5メートルの台に2.6メートル・ 八角形のガラス張りの灯室のある灯明台に改良し、灯明台専任の勤番を置き、下役5名を灯明堂近くの五軒長屋に住まわせましたが、 僅かな年数で西洋式の灯台に生まれ変わりました。 明治5
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