真にカッコいいプログラマのみ、The Optimizer を号することが許されるという…。 おれは感動しやすい人間なので、すぐ「完璧だ!」と思ってしまう。おれのようでなくとも、「この作品にはすべてが描かれている!」という言い方はよく見る。だが、作品は原理的に具体的なものであり、具体的なものは必然的に全能ではない。したがって、作品は完璧であったりすべてを描いたりはしない。にもかかわらず、やはりそれは完璧に見えたりすべてを描いているように錯覚できる、のはなぜかという部分に、ゲームデザインという考え方が入ってくる。ようは世界の可能性に対する想像力を、結果的にコントロールする方法とはなにか、みたいな話だ。 世界が世界であるために、必要なものが少なくていいはずはないのに、「これだけあれば充分だ」と錯覚してしまう、それは欠陥や脆弱性というより願いなのかもしれない。その境界線に立っているひとの背中をポン