『戦中派の死生観』(せんちゅうはのしせいかん)は、吉田満の随筆。吉田が病床にあった1979年(昭和54年)8月中旬から口述筆記で書かれ、死の3日前に完成した絶筆作品である[1]。 初出は、同年の月刊誌『文藝春秋』1979年11月号に掲載され[2][3]、翌1980年(昭和55年)2月5日には、これを表題作とした随筆・評論集が刊行された[4][5]。 内容・あらまし[編集] 食道静脈瘤出血という思いがけない病に倒れた「私」(吉田満)は、数日間の意識朦朧の中、血を失う恐ろしさを味わったが、若かった頃の炎暑での絶食の飢渇よりも辛かったと思うのは、今現在取りかかっている仕事への気懸かりや家族の行く末の不安であった。また、連日の内科的治療の数々は初めての体験でかなり苦しいものもあるが、人間の苦痛の経験としては、かつての特攻体験には遙かに及ばないとも思った。 今度の発病を、「私」は自身の長年の不摂生に