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ブックマーク / hayabusa-3.dreamlog.jp (6)

  • キリシタンの長い歴史を感じさせる、善長谷教会 : アトリエ隼 仕事日記

    3月24 キリシタンの長い歴史を感じさせる、善長谷教会 カテゴリ:教会・カトリック史跡等 善長谷教会。 ぜんちょうだに教会。 この名を知った時、とても大きなインパクトがありました。 「異教徒」を指す、キリシタンの言葉、それは「ゼンチョ」だからです。 従って、なぜ仏教徒の地名がある場所にカトリック集落と教会があるのか。 それを知る手がかりは、現地に向かえば、何か掴めるのか? それを知ることが、怖いような気がして、長い間向かうことができませんでした。 深堀から西海岸沿いを蚊焼方面へ向かい、「善長谷」バス停から山側の細い道に入ります。 小径は山の奥へ奥へと続いてゆきます。特に大きな集落や耕作地も見あたらず、この場所の地形が、地名の通り、平坦な場所がほぼない谷地であることがわかります。 「道を間違ってないだろうか」と不安になる頃、やっと善長谷教会が姿を現します。 昭和27年に再建されたという聖堂は

    maicou
    maicou 2018/07/11
    移住したばかりの頃、取材で行ったなあ。当時はこういうことをしても誰も共有できる相手が居なかった。いろんな経験をし、いろんなものを見聞きしたが、その感想や気持ちを誰とも共有できず、無駄弾撃ち続けてた。
  • 映画「 家族 」の中に見る、日鉄伊王島炭鉱 : アトリエ隼 仕事日記

    4月10 映画「 家族 」の中に見る、日鉄伊王島炭鉱 カテゴリ:軍艦島・西彼炭田の炭鉱 このトピックの目的はかつて伊王島坑で働かれ、今は遠方や海外などにおられる方に、当時の生活をひととき思い出して貰いたい、ということの一点に尽きます。 昭和45年に公開された松竹映画「家族」(監督:山田洋二)は伊王島から北海道へと移住する家族を描いたロード・ムービーです。 伊王島炭鉱で働く夫と家族は、馬込(沖ノ島)天主堂近くに住んでいましたが、夫が北海道で酪農をやることを決心し、一家で離島する場面から始まります。 「ヤマは、一家族」ですから、引越しともなると、大勢の人が集まってきています。ひと昔前の日では当たり前に見られた景色でもあるのですが・・。 港へ向かう道すがら、別れのあいさつをする・民子。背後に日鉄伊王島鉱の貯炭場が見えています。遠くに見えるアパートが建つ辺り(千崎)には、現在リゾート施設が建っ

    映画「 家族 」の中に見る、日鉄伊王島炭鉱 : アトリエ隼 仕事日記
    maicou
    maicou 2014/02/20
    これはホントにいい映画なんだよね。長崎から中標津へ。僕と真逆のコースで移住した家族の話。
  • 「 長崎の坂道で、対州馬の荷運び再現プロジェクト 」 レポート   (2012.3.10) : アトリエ隼 仕事日記

    3月17 「 長崎の坂道で、対州馬の荷運び再現プロジェクト 」 レポート   (2012.3.10) カテゴリ:対州馬 「そがん簡単にでくるもんじゃなかとよ。」・・・・このプロジェクトのことを、かつて長崎の町で馬方さんだった方に話した時の反応でした。 「荷を背負って階段を歩けるようになるまで、数ヶ月かかることもあるし、とうとう歩ききらんやった馬もおるとよ。歩きよった馬でん、数日歩かんやったら、だめになることもある。そがん簡単なもんじゃなか・・・」 当たり前なのですが、なかなか厳しい内容でした。 その坂道を荷を背負い歩こうという今回のプロジェクト。大村のカフェ「waranaya」さんで飼われている対州馬の里子(さとこ)にとっては、まったく経験の無いことであり、当日の天候や長距離の移動、慣れない環境、里子の年齢など不安材料はそれこそ尽きなかったのですが、考えてばかりでは前に進めないし、飼い主で

    「 長崎の坂道で、対州馬の荷運び再現プロジェクト 」 レポート   (2012.3.10) : アトリエ隼 仕事日記
    maicou
    maicou 2014/02/20
    うわ、フルで私の散歩コースだった道筋じゃん。あそこ馬で登ったのか、それはすごい。。
  • 十字架山と本原教会 ~ 人の心が見せてくれる景色 : アトリエ隼 仕事日記

    12月17 十字架山と原教会 ~ 人の心が見せてくれる景色 カテゴリ:教会・カトリック史跡等 「長崎の十字架山」の所在地を、一体どれくらいの方が知っておられるだろうか?という思いがありますが、そもそも十字架山の存在を知っておられることすらあやしい今日であるかもしれません。 しかし、下図のように昭和30年頃の長崎電気軌道さん(路面電車)の案内図には、かくも堂々と「十字架山」の存在が示されています。 (ちなみに、この頃は運行されていた電鉄バス路線図や、「井樋の口」や「千馬町」といった懐かしい電停、競輪場なども見えます。※以下クリックで拡大) 案内図からも戦後復興めざましい長崎の様子がうかがえますが、片岡 弥吉著 「長崎のキリシタン使徒たち」によりますと、浦上一体がまだ住宅化の波の押し寄せていない、素朴なキリシタン農村であった頃は、汽車がこの地に入ると、小さな丘に立つ十字架が目に入ったといいま

    十字架山と本原教会 ~ 人の心が見せてくれる景色 : アトリエ隼 仕事日記
    maicou
    maicou 2014/02/19
    浦上の原風景
  • ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」に来てみませんか!?② : アトリエ隼 仕事日記

    10月8 ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」に来てみませんか!?② カテゴリ:長崎人物・歴史 ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」。その坂の街の様子を続けてご覧頂きたいと思います。(横長の画像はクリックで拡大します) 城壁のような急坂から下方を望むと、こんな感じです。 角度が違えば、見える景色も様々です。ここは港を望む坂段。 カトリック修道院と幼稚園を望む坂段。 小学校を望む坂段も。 もちろん他の地方と同じく、子どもたちの姿はこの街の「希望」であり、「未来」そのもの。 しかし、坂の街から1軒、また1軒、と家が減り・・・ 坂の街の児童公園からも子どもの姿が消えました。 ダムのすぐそばにあるこの公園の遊具や・・ 港を望むこの公園の遊具も心なしか寂しそうです。 かつて汗をいっぱいかいた子どもたちが、小銭を握り締めて押しかけた個人商店。こういっ

    maicou
    maicou 2013/11/14
    いやもう、ホントよく歩いたよね。ほぼ知ってる。愛と平和の街。こうしてみると魅力が多い街だとわかる。離れてみればw
  • ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」に来てみませんか!?① : アトリエ隼 仕事日記

    8月23 ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」に来てみませんか!?① カテゴリ:長崎人物・歴史 政治や宗教の解釈や歴史を持ち出すと、抜けられぬ迷宮へと入り込みそうなので、あえて漠然としたタイトルとしました。 「要塞都市」という言い回しも、たんなる私見として流していただけたら幸いです。 近代的な長崎の街のもとが形成されたのは、武将たちが武力で領地争いを繰り返していた戦国時代のことです。 詳しい歴史は割愛しますが、当時の「長崎」はキリシタン大名であった大村純忠(大村藩)の家臣でもあった長崎甚左衛門が領主としておさめる小さな寒村にすぎませんでした。 (画像は、長崎氏の居城があった桜馬場中学校周辺) 桜馬場中学校の裏手にはポルトガル人宣教師、ルイス・デ・アルメイダが1567年に渡来し、布教したことを記念したプレートがあります。 スペイン人宣教師コスメ・デ・トーレスにより派

    maicou
    maicou 2013/11/14
    この方のブログは以前から観ていた。写真の題材や切り口がおもしろく、長崎在住時代から唯一いいなと思ってみていた「地元の」人のブログだった。
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