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ブックマーク / ef5866.hateblo.jp (7)

  • 寝台特急あさかぜ(20系時代) - 天鉄局NB運転区

    「あさかぜ」といえば、最初に20系寝台客車が導入された列車であり、同時に最後まで20系客車が使用された寝台特急列車でした。 私は既に定期運用からは離脱して、臨時列車「あさかぜ51/52号(のちにあさかぜ81/82号)」として運用されていた時代しかしりませんが、14系や24系と比べて「優雅だなぁ」とデザインに見入っていた記憶があります。 写真:あさかぜ82号(1987年8月 東京駅) この時は既に品川に20系の姿はなく、下関の20系を用いた臨時列車だったと思います。牽引機も下関のEF65PFだったかと。 当時はカマの撮影に凝っていて、普段目にすることの無い ”関ガマ” が来るからと、臨時あさかぜを撮影ました。 さて、話がそれましたが、一番長く20系車両で運行されてきた寝台特急「あさかぜ」の編成履歴を見てゆきたいと思います。 20系「あさかぜ」は昭和33年に誕生します。 当時は姫路までEF58

    寝台特急あさかぜ(20系時代) - 天鉄局NB運転区
    maicou
    maicou 2024/03/09
    すごすぎるあさかぜのデータ
  • 車両の前後 - 天鉄局NB運転区

    自動車や飛行機、また船舶はパッと見て前後が明確にわかります。 一方で鉄道車両はパッと見ても前後がわからない車両が結構あります。 昔の蒸気機関車は前後がすぐに分かりましたが、ディーゼル機関車や電気機関車の多くはどちら側も同じ様に見えて前後がわかりにくいです。 電車や気動車の場合は運転台がある車両はそちらが前とわかりますが、それ以外の車両や多くの客車は前後がわかりにくいですね。 JR(旧国鉄時代から)では、電気機関車やディーゼル機関車の場合は、車両の左右側面に「1」や「2」という数字を四角で囲んだ小さなプレートがついています。これは「エンド標記」と言って1エンドが前、2エンドが後となります。 これに対して電車や気動車、客貨車の場合は車両の4隅に1位~4位を決め、1~2位が前、3~4位が後となります。 図にすると以下のようになります。 1位 3位 前 車両 後 2位 4位 つまり、1~2位側と言

    車両の前後 - 天鉄局NB運転区
    maicou
    maicou 2024/02/21
    鉄道列車の前後どっちなのか。こんなの素人はわからないもんなあ。すばらしいデータ。
  • KATO 殿様あさかぜ の車番を検証する - 天鉄局NB運転区

    先日、銀河に充当された20系客車の車番を検証しました。 そうすると気になるのが、当鉄道所属のもう1つの20系編成、いわゆる「殿様あさかぜ」の車番。 KATOからセットで発売されており、全車車番違いになっているので検証済みと思いきや、実はそうではないのがこのセット。 まずはKATOの 10-1321 20系寝台特急「あさかぜ」8両基セット 10-1322 20系寝台特急「あさかぜ」7両増結セット に入っている車両を、KATOの編成例のあわせて下り列車先頭からみてみましょう。 ちなみに当方所有のこの編成は 20系客車の基セット+単品+あさかぜ増結セット という組み合わせなので、上記車両とは異なります。それらは参考のため右側括弧に表記しておきます。(参考になるのかは不明ですが・・・) 電 カニ21-10(カニ21-11) 1 ナロネ20-2(ナロネ20-1) 2 ナロネ22-153 3 ナロ

    KATO 殿様あさかぜ の車番を検証する - 天鉄局NB運転区
    maicou
    maicou 2024/02/21
    殿様あさかぜ 2。すばらしい。
  • 20系時代の銀河を再現する - 天鉄局NB運転区

    銀河に20系客車が充当されたのは昭和51年2月20日から昭和60年3月13日までの約10年間。 この10年余の期間に銀河を受け持つ宮原客車区の20系車両に移動がありますし、牽引機の変更もありました。また、20系登用当初は「急行」だったテールマークの表示も、絵入りの「銀河」に変化しています。 これらの変化を時系列にして整理すると、次のようになります。 昭和51年2月20日 銀河に20系登用(牽引は宮原のEF58) 昭和55年9月   銀河に絵入りのテールマーク使用 昭和55年10月1日 ダイヤ改正:牽引機がEF58→EF65PFに変更 昭和60年3月14日 銀河に14系寝台登用 銀河に絵入りテールマークを使用するのは一応昭和55年のダイヤ改正からということだったようですが、この改正では牽引機がEF58からEF65PFに変更されるということもあったからなのか、実際には9月には絵入りテールマーク

    20系時代の銀河を再現する - 天鉄局NB運転区
    maicou
    maicou 2024/02/21
    たぶん時代から言ってあさかぜ銀河は私乗ってると思います。満席おっさん祭り走るカプセルホテルだった。
  • 殿様あさかぜの変遷 - 天鉄局NB運転区

    俗に「殿様あさかぜ」と呼ばれた列車があります。 20系化された最初の列車が「あさかぜ」でしたが、その20系客車にはナロネ20という個室寝台車が存在していました。 ナロネ20は20系客車登場の昭和33年に3両のみ製造された1人用・2人用個室寝台車です。 20系寝台車がそれまでの寝台車と一線を画して「走るホテル」と呼ばれたその象徴的車両と言われています。 20系にはナロネ20の他に2形式の一等寝台車(後のA寝台車)が存在します。 ナロネ21はプルマン式の開放寝台車。線路方向に区画が設けられた寝台車で、20系登場の昭和33年から59両が製造されました。 ナロネ22は昭和34年の「さくら」の20系化に際して登場した、1人用個室と開放式寝台の合造車です。わずか8両の製造でした。 今でこそ寝台特急ではB寝台(昔の2等寝台)でも個室は当たり前となっていますが(というか電車寝台の285系以外現在は運行され

    殿様あさかぜの変遷 - 天鉄局NB運転区
    maicou
    maicou 2024/02/21
    殿様あさかぜ。博多行き寝台列車。九州男児多そうw
  • 寝台急行 銀河 - 天鉄局NB運転区

    このサイトは鉄道模型のフル編成作成用資料ともなるように(と言っても主として自身の手控え)したいと思っています。 という訳で、雑誌やネットから拾った編成表なども記してゆきます。 (時には編成表だけでなく、実際に運用された年月日と車両番号も記します。) 先ずは、昨日から話題にしている寝台急行「銀河」から。 20系時代の編成です。急行列車で初めて20系客車が導入されたのが「銀河」でした。ですから後の2線ではなく、3線で運用されていました。 昭和51年2月20日~昭和60年3月13日 東京~大阪(103レ、104レ) 牽引機 EF58(宮原) 列車編成(全車大ミハ) 電 カヤ21 1 ナロネ21 2 ナハネ20 3 ナハネ20 4 ナハネ20 5 ナハネ20 6 ナハネフ23*1↓ 7 ナハネ20 8 ナハネ20 9 ナハネ20 10 ナハネ20 11 ナハネフ22*2 続いて14系時代の編成

    寝台急行 銀河 - 天鉄局NB運転区
    maicou
    maicou 2024/02/08
    銀河は一度だけ乗ったことがあるが時期的に20系だったと思われる。すごかったです。もうともかく客がおっさん大集合で満席!今で言えば「走るカプセルホテル」というところでしょう。
  • 客車の基本常識(vol.3) - 天鉄局NB運転区

    今ではすっかり目にすることが無くなった客車列車。 ブルートレインと呼ばれた寝台特急が次々と廃止になり、その豪華版として登場したカシオペアやトワイライトエクスプレスも廃止になりました。 国鉄末期に登場した「ジョイフルトレイン」は、どこにでも行けるように客車主体でしたが、その系譜を引き継ぐ列車は、JR九州の「ななつ星」を別として、JR東日の「四季彩」もJR西日の「トワイライト瑞風」も電車列車(発電用ディーゼル機関搭載)で誕生し、もはや自由に組成される客車列車を見る機会はほぼ失われました。 20系寝台車が登場するまでは、客車はほぼどの形式でも自由に組成されていましたが、しかし好き勝手に編成を組んで良いわけではなく、一定の決まりがありました。 つまり、”扉の位置” とか ”堂車の向き” とか ”寝台車の向き” とかいちいち決まっていたのです。 これらについておさらいしておきたいと思います。(

    客車の基本常識(vol.3) - 天鉄局NB運転区
    maicou
    maicou 2024/02/07
    へええ
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