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ブックマーク / www.hoppou.go.jp (1)

  • 佐賀県<br>-あなたのまちと北方領土-

    1) 蝦夷地と佐賀藩 佐賀藩は代々、西欧とただ一つの窓口であった長崎港の警備をしており、海上防衛の視点から北方地域についても深い関心を持ち、多くの資料や情報を収集していました。 幕末の藩主鍋島直正は長崎警備のため砲台の強化をはかりましたが、砲台はその地に固定してしまうので、随所に活動できる洋式軍艦の必要を感じ、オランダやイギリスから軍艦を購入しました。 1853年(嘉永6年)、ペリーが浦賀に来航した1か月ばかりののち、ロシアの使節、プチャーチンが軍艦4隻を率いて長崎にやって来ました。プチャーチンには、日との通商を開くことや、北方地域での国境の決定という重大な任務が与えられていたのです。 日側は幕府の勘定奉行川路聖謨が代表でしたが、使節に応接し、国書の返翰など作成したのは、佐賀藩出身の古賀茶渓で、当時のことを書いた「西使日記」はよく知られています。また、茶渓の弟古賀とう菴(昌平黌儒官)も

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    maicou
    maicou 2023/01/05
    北海道は佐賀なんだよ。
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