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ブックマーク / www.musicvoice.jp (4)

  • 解散後は良い下積み、元ヒスブル・Sabao デビュー20年を振り返る:インタビュー|MusicVoice

    INTERVIEW 解散後は良い下積み、元ヒスブル・Sabao デビュー20年を振り返る 記者:村上順一 撮影: 掲載:18年09月10日 読了時間:約18分 こういう夢ならもう一度逢いたい――。女性目線で書いた曲は当時、若い世代から共感を呼び、ヒットした。Hysteric Blue(ヒスブル)が歌う「春〜spring〜」だ。そのヒスブルは人気絶頂期に活動を休止。休止期間中にメンバーの一人が起こした不祥事で解散した。その一人を除くボーカルのTamaとドラムの楠瀬タクヤは現在、Sabao(シャボン)というバンドを組んで活動中。先月には1stアルバム『MeRISE』も発売した。解散後は「元ヒスブル」というだけで仕事がキャンセルになったりと苦汁をなめてきた。しかし、一気に人気を集めた彼女達はこの期間を「良い下積み」と捉え前向きだ。乱高下の激しい音楽人生。2人に今の胸中を聞いた。(Sabaoの2つ

    解散後は良い下積み、元ヒスブル・Sabao デビュー20年を振り返る:インタビュー|MusicVoice
    maicou
    maicou 2018/12/01
    佐久間正英さんの話がよい。
  • クイーン最後の来日公演は解散寸前のライブだった!:【音楽】

    1985年・来日公演の模様 (C)SHINKO MUSIC ENTERTAINMENT/MUSIC LIFE ARCHIVES [音楽評・分析] 世界を代表する英ロックバンドのQUEEN(クイーン)。30年前のきょう5月15日は、フレディ・マーキュリーが在籍していた最後の来日公演が大阪で行われた日である。「世界で最も売れたアーティスト」に名を連ね、初来日から40年が経った今も人気は根強い。そのクイーンは、最後の来日公演では解散寸前の状態にあったという。しかも、この大阪公演がバンドの当の最後のコンサートになるかもしれなかった。彼らのまわりで何が起きていたのか。節目に際し改めて当時を振り返るため、クイーンを長年追いかけている音楽評論家の石角隆行氏(六角堂)に当時の状況について寄稿いただいた。 最後の来日公演となった1985年 クイーンは1975年の初来日以来、計6回、全50のコンサートを行

    クイーン最後の来日公演は解散寸前のライブだった!:【音楽】
    maicou
    maicou 2018/12/01
    いい話だ。/ クイーンはライブがずっと下手というかまとまりがない雑さがありB級ぽさが抜けなかったのだがライブエイドは上手かったんだよ。あれが上手かったから人気回復したわけです。こういう背景があったのね。
  • 五輪引継式は渋谷ショーだった?椎名林檎の意図、楽曲から考察:【エンタメ】

    リオ・パラリンピックの『FLAG HANDOVER SEGMENT MEDIA GUIDE』の一部ページ。渋谷のスクランブル交差点の写真上に「東京は夜の七時」の文字が躍る(Tokyo 2020提供) リオ・パラリンピックの『FLAG HANDOVER SEGMENT MEDIA GUIDE』の一部ページ。渋谷のスクランブル交差点の写真上に「東京は夜の七時」の文字が躍る(Tokyo 2020提供) リオデジャネイロ・パラリンピックが9月18日(日時間19日)、ブラジルのマラカナン競技場で閉幕式がおこなわれ、閉幕した。式典には、次回開催都市である東京によるパフォーマンスが繰り広げられ、このなかで渋谷系音楽を象徴するピチカート・ファイヴの楽曲「東京は夜の七時」などがカバーされた。 遡ること約1カ月前、8月21日(日時間22日)にリオオリンピックが先に閉幕した。この閉会式では、東京へと繋ぐ五輪

    五輪引継式は渋谷ショーだった?椎名林檎の意図、楽曲から考察:【エンタメ】
    maicou
    maicou 2017/02/18
    これだな。本当に素晴らしい。
  • aiko、孤独だった幼年時代 両親離婚で親戚の家に引き取られた:【音楽】

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