ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (72)

  • 『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える - 紙屋研究所

    『宇崎ちゃんは遊びたい!』を使った献血ポスターとそれをめぐっての太田啓子弁護士のコメント・行動が炎上しているな。 togetter.com 太田は詳しくは述べていないようだが、要するに宇崎ちゃんの「巨乳」強調のイラストが「無神経」であり「公共の場での環境型セクハラ」であるからという理由で赤十字に何らかの苦情を言ったものと思われる(くりかえすが、この理由は推測に過ぎない)。 これに対するツイッターなどのネット上のコメントを見ると、「あいちトリエンナーレ」の騒動と重ね合わせて、これも表現の自由に対する攻撃ではないのか、という意見がけっこう目立った。 「巨乳強調」は女性の人権を侵すか そもそもの問題として、巨乳を強調したイラストを大勢の前に掲示するのは女性の人権を侵すこと、「環境型セクハラ」になるのか。 結論から言えば、「環境型セクハラ」=法令上の人権侵害とは思えないが、女性を性的な存在とのみみ

    『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える - 紙屋研究所
    mokkei1978
    mokkei1978 2019/10/21
    めんどくさいのは紙屋さんのまとめを待てばいいよねー
  • あいちトリエンナーレの話はどこが問題なのか - 紙屋研究所

    あいちトリエンナーレで「表現の不自由展、その後」の展示が中止になった事件について、いろいろ対立や分断もあるようなので、整理するために、いまぼくが理解している範囲で以下書いてみる。 構図1:脅迫者―作家 この事件のもとになっている構造は、図1である。 テロ予告や脅迫、嫌がらせ電話などをする人たち(A)が、作品展示をした作家(B)たちの表現の自由を妨害したのである。*1 構図2:脅迫者―展示実行委員会・作家 しかし、ぼくはよく知らなかったのだが、作家たちの展示を束ねている人たちの存在を報道で知った。企画展「表現の不自由展・その後」の実行委員会(C)である。 たぶん、作家たちを束ねて、展示企画を代表するような人たちなのであろう(図2)。 この人たちが、抗議声明を出した。 www.asahi.com この人たちがどういう意向を持っていて、誰に抗議しているのか、が大事である。 「私たちは、あくまで

    あいちトリエンナーレの話はどこが問題なのか - 紙屋研究所
  • 小林エリコ『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』 - 紙屋研究所

    小説のようだった。 というのは、第一に、文章が面白かったからである。「文の芸」だ。次々にページを繰ってしまった。 第二に、エッセイとルポの中間という意味で。「中間だから小説」ってどうなの、と言われると困るけど、エッセイほど主観に任せていない、しかしルポほど突き放した客観視をしていない。そういういい意味での中途半端さが、ジャンルとして「小説」と区分させたくなった。 書の内容はサブタイトル「うつ病、生活保護。死ねなかった私が『再生』するまで。」ということに要約されている。 エロマンガの小出版社というブラック職場で心身を病み、自殺(未遂)に追い込まれ、精神障害の認定を受けて再出発したデイケアでまたもや破綻し、自殺(未遂)へと再度追い込まれる。生活保護を受けながら、NPOで「給与生活者」として「自立」をするまでが記されている。 最後に、自作のマンガがつけられており、エロマンガを編集する職場で自分

    小林エリコ『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』 - 紙屋研究所
  • たかぎ七彦『アンゴルモア 元寇合戦記』 - 紙屋研究所

    元寇づいていて申し訳ないが、元寇のマンガの話である。 作のメインタイトル『アンゴルモア』は、ノストラダムスの『予言書』に出てくる謎の言葉として有名で、ノストラダムスより300年前にヨーロッパを灰燼に帰したモンゴルの侵攻を表す言葉ではないかという説がある。いわば「この世の終わりほどの恐怖」としての「モンゴルの日侵攻」の意味を込めて、タイトルがつけられている。 元寇を描いたマンガというのは、学習マンガ以外にあまり知らない。それくらい珍しい。 しかし、描いているのは、その中でも文永合戦(文永の役)の緒戦にあたる対馬での戦闘である。 なんともマイナーな題材の選び方だ。 が、これは、「圧倒的不利な状況下での戦争」を描くために、作者・たかぎ七彦が選りに選ってつかみだした舞台だ。 元寇における対馬戦争にフォーカスし、流刑人として送られてきた元御家人・朽井迅三郎の活躍を描く。 http://comic

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  • 小林薫『娘が不登校になりました。 「うちの子は関係ない」と思ってた』 - 紙屋研究所

    時々学校に行きたがらないぼくの娘 うちの小4の娘は基的に元気に学校へ行っている。 「基的に」というのは、時々行きたがらなかったり(いわゆる「登校しぶり」)、ほぼ毎日のように微妙な遅刻をしたりするからだ(1時限目が始まる前の時間に登校する)。 3年生の1学期から2学期にかけてが、親としてはけっこう大変だった。 理由は今ひとつよくわからないんだけど、教師(担任)の粗暴さへの不満とか、宿題が面倒くさくてやっていないことへの不安とかを、渾然一体によく表明していた。 「もしもの日」 ぼくら夫婦は娘に二つ提案した。 一つは「もしもの日」をつくった。 これは吉野朔実のマンガ『ぼくだけが知っている』に由来する。 吉野朔実『ぼくだけが知っている』 - 紙屋研究所 小学4年生の主人公夏目礼智(らいち)と母親との間でだけ勝手に設けられた「月に1度だけ無条件に学校を休んでいい日」である(図、吉野『ぼくだけが知

    小林薫『娘が不登校になりました。 「うちの子は関係ない」と思ってた』 - 紙屋研究所
  • 岩竹美加子『PTAという国家装置』 - 紙屋研究所

    こんなに傲慢な任意団体があるだろうか? 最近、PTA問題を特集した読売新聞の記事「PTAは必要ですか」(2017年6月1日付)を読んだ。 3人の識者がコメントしているが、日PTA全国協議会・専務理事の高尾展明のそれをしみじみ読む。 交通事故や犯罪の発生など、子どもを取り巻く地域の問題がある。家庭もいろんな家庭があって、お互いに助け合っていく必要がある。そういう条件の中に我々はいる。PTAは任意だ、入退会は自由だと言う前に社会の状況をよく見ていただきたい。 「地域」という言葉とセットで「交通事故」「犯罪」「家庭の状況」という逆らいがたいテーマが押しつけられる。そして、この有無を言わせぬテーマと任意制が関連づけられるのである。 自由ですといったら、負担のないほうを人間は選んでしまう。その前に、子どもたちの環境がどうなっているのか考える必要がある。 ぼくの知り合いは地元で「子ども堂」の運営に

    岩竹美加子『PTAという国家装置』 - 紙屋研究所
  • 『史群アル仙のメンタルチップス 不安障害とADHDの歩き方』 - 紙屋研究所

    タイトルにある通り、不安障害、ADHDを抱えた作者の自伝であり、「メンタルチップス」、つまりメンタルの面でのちょっとした(自分流)対処法である。 うまく学校や社会になじめず、生活が破綻し、死ぬ直前まで追い詰められる様は『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の永田カビを思い出す。 ただ、永田カビの方を読んだときは永田の苦悩の天よりも、性が自分を解放するカギになっていて、「フーゾク」(この場合「レズ風俗」)がその解放の契機となる可能性について驚かされた。そしてそれは説得力があった。 史群アル仙(しむれ・あるせん)の書については、もっとまっすぐに、障害をもった自分がどう社会に「適応」するのか、という点が読む者に伝わってくる。 ぼくが興味を持ったのは、第29話「ADHD、働く」である。 ADHDと診断されても、「何か変わるワケではありません」(書p.129)。つまり、そのまま職場がその診断を

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  • 田宮昌子『「北支占領 その実相の断片 日中戦争従軍将兵の遺品と人生から』 - 紙屋研究所

    宮崎の「平和の塔」(その実態は「八紘一宇の塔」だけど)前の売店にふらりと立ち寄った時、まったく偶然に手に取った。 「戦況や戦闘ではなく、一見『平穏な日常』と化してさえいた占領の諸側面」を描き、「対象となってこなかった諸側面」を描いているということに興味があったので購入して読んだ。遺品を残したのは、「とりたてて好戦的でも反戦的でもない平凡な個人」(いずれも書p.22)であるという。したがって、 戦争の大義や従軍への彼らの姿勢と意識は「時代の趨勢」の側に居た大多数の国民や、戦争の遂行にあたった大多数の将兵の意識に繋がるだろう。(書p.22) このは、「北支」すなわち中国北部(華北)を占領した日軍に将兵として参加した3人の日人の資料・遺品から占領の日常・実態を読み解こうというものだ。「北支」に派遣された独立混成第四旅団に参加した田宮圭川、山泉、田村泰次郎の3人である。 このの読みど

    田宮昌子『「北支占領 その実相の断片 日中戦争従軍将兵の遺品と人生から』 - 紙屋研究所
  • 伊勢田哲治・なつたか『マンガで学ぶ動物倫理 わたしたちは動物とどうつきあえばよいのか』 - 紙屋研究所

    日経新聞によれば、イタリアの法律では、 生きたエビを氷の上に載せておくのは虐待に当たり、禁錮刑や5000ユーロ(約67万円)から3万ユーロ(約400万円)の罪になる。 http://www.nikkei.com/article/DGKKZO95101870U5A211C1NZ1P00/ という。 動物の命を奪っていいのか。あるいは、どういうふうになら奪っていいのか。あるいは、そんな問い自体が無意味なのか。 小4の娘といっしょに劇を見に行ったのだが、「命」を考えるというその劇の中で「『いただきます』と言ってべよう、命をいただくのだから」的なセリフが出てきた。 親子で見たその劇の、教条ともいうべき薄っぺらさが気になった。 「いただきます」と「感謝」さえすれば、命を奪っていいのだろうか。 ペットや実験動物の虐待には反対するが、害獣は殺していいのだろうか。 外来生物は生態系を壊すというが、その生

    伊勢田哲治・なつたか『マンガで学ぶ動物倫理 わたしたちは動物とどうつきあえばよいのか』 - 紙屋研究所
  • 空襲のない日常――『この世界の片隅に』と朝鮮半島の危機 - 紙屋研究所

    米朝間の戦争を強く危惧する。 いろんなことはこの間あるけども、これほど重大な政治問題はない。 北朝鮮への事実上の出撃拠点となる在日米軍の基地があり、アメリカとの軍事同盟国ともいうべき日が、ミサイル、テロ、大量破壊兵器の標的となることを恐れる。 大げさだとか、そんな段階じゃないだろとか、いろいろ言われようとも、ぼくはそう叫ばざるを得ない。 自分を含めた日に住む人間が死ぬかもしれない、ということで、ぼくの危惧が高まっていることは明らかだ。シリアで毒ガスやミサイルによって人が死んできたことも確かに重大だったが、今ぼくの中で「やばい」という感情が高まっているのは、「日に住む人間の犠牲」の可能性が高まっているからだということは率直に認めなければならない。 北朝鮮を攻撃すればソウルで死者100万人以上 | BUSINESS INSIDER JAPAN 主権者である日国民、その一人として、何をし

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    mokkei1978
    mokkei1978 2017/04/18
    日米安保のリスクが増大。
  • 【書評】 大塚玲子『PTAがやっぱりコワい人のための本』 【子育て】 - 紙屋研究所

    もしPTAをしなくていい権利をお金で買えたら - Togetterまとめ 「PTAは任意団体なんだから退会すればいいのに…」とならずに、こういう問いが成り立ってしまうのは、このまとめの中の終わりの方のツイートにあるように、同調圧力がこわいからという1点につきるだろう。 うちの地域の子ども会は加入率が25%ほどに落ち込み、夏休みのラジオ体操の保護者当番が続けられなくなり、なんとPTAにこの当番の話が回ってきた(この体操に出てハンコを押す)。子ども会を回している親たちにかわり、夏休みのラジオ体操当番をPTAの会員が全員輪番で出席してやれ、というのである。*1 地域の子ども会はもはや任意加入という意識が強く浸透していて、どんどん入らなくなっているからだ。 知らない人のためいっておくが、子ども会とPTAは全く別組織である。子ども会は地域の任意団体であり、PTAは学校を単位とした任意団体である。前者

    【書評】 大塚玲子『PTAがやっぱりコワい人のための本』 【子育て】 - 紙屋研究所
  • 古処誠二『線』 - 紙屋研究所

    引き続き、『この世界の片隅に』から関心を広げて、戦争小説を読んでいる。先に古処誠二『死んでも負けない』を挙げたが、同じ古処の『線』を読む。 アジア・太平洋戦争における南方戦線、開戦当初の時期での、現在のパプア・ニューギニアでの旧日軍によるポートモレスビー攻略を描いた小説である。 ◯話の短編がまとめられたオムニバス形式で、主人公がすべて違う。そして、掲載の順番と戦争の時系列がだいたい一致している。 飢餓とマラリアのイメージ 作を読んで戦争(ポートモレスビー攻略戦)の印象は、補給と輸送が困難を極め、ひたすらマラリアと戦傷に悩まされた戦争であったのだなあということである。最終話近くの状況、包囲された日軍のいた地域全体に処理されない死体、糞便、泥水が溢れ、その中を飢え・病気・負傷に苦しむ生者がいるという、まさに生き地獄のイメージが強く残った。 初めは死んだ兵を、穴を掘って埋めたが、やがてただ

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  • 新たな町内会本『どこまでやるか、町内会』を出します - 紙屋研究所

    新たに町内会のを出します。 『どこまでやるか、町内会』です。ポプラ新書からです。 前著『“町内会”は義務ですか?』が町内会をめぐる基問題(プラスぼくの体験)を書いたとすれば、今回は、それを出してから、町内会関係者や町内会に入らない人たちから聞いた悩みを受けて書いた、実践的なです。 ネットでPTAの話題があったとき、ぼくは「必要かどうか」と「任意か強制か」を区別して議論しろ、と書きました。当然町内会も同じことが言えます。 PTA問題は「必要か不要か」で論じるべきではない - 紙屋研究所 つまり、いくらPTA(や町内会)は「必要がある」と言っても、そして当にどんなに「必要」だったとしても、「任意加入だから私はやりません」と返せば終わりです。論理的・原理的にはこれで全て完了。 だけど、この(『どこまでやるか、町内会』)では、一見するとまったく逆のことを書いています。 要するに、「町内会

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  • 五十嵐健三『匿名の彼女たち』 - 紙屋研究所

    『匿名の彼女たち』は、正直に言えばわりと楽しみにしているマンガの一つである。 風俗が好きな33歳のさえない独身サラリーマン男性が、全国に出張するさいに、ほうぼうの風俗店に立ち寄り、そこであった出来事を淡々と、主人公の視点から言えばペーソスを交えて描いていく作品で、「全国風俗図鑑」の役目をはたしている。 まず、なぜ既婚男性であるぼくが、この作品を「楽しんで」いるのか、その側面を書いてみる。 作についてネットでいろいろ見たところ、レビューもいくつかあり、ぼくが考えていたことをすでに述べてくれているので、それを手がかりにしてみる。 知らない人のための最強風俗教「匿名の彼女たち・第2巻」 - 無駄話 そもそも風俗情報を知りたければ、風俗情報誌を読めばいいんです。そうではなく、風俗に興味はあるけどよく知らない人が“パッと見で風俗漫画だと分からない表紙”の漫画を買うことに意義があると思うのです。こ

    五十嵐健三『匿名の彼女たち』 - 紙屋研究所
  • 古処誠二『死んでも負けない』 - 紙屋研究所

    ビルマ従軍経験者はうわごとで誰に謝っているのか? 『この世界の片隅に』関連で文献をたどり、古処にたどり着いた(←イマココ)。 とんでもない小説である。 ビルマ戦線を生き延びた、粗暴きわまる祖父を、現代の高校生が観察する体裁をとるのだが、祖父が日射病(熱中症)に倒れてから繰り返す寝言(うわ言)、「申し訳ありません」「申し訳ない」は、一体誰へのものなのか、という謎解きをする小説である。一種のミステリーでもある。(ゆえに、ネタバレは、作の面白みを半減させる。この記事の次章に結末が示されるので、承知して読んでほしい。) ああ、これは自分の不注意で死なせてしまった部下とか戦友*1とか上官に対する贖罪の言葉であろう、と誰もが察する。「ありきたりな」戦争小説ならそうするであろう。 しかし、いかにもそれらしい結論になるだろうというフラグが小説の途中に何箇所も散りばめられるので、逆にぼくは「いや……これは

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  • 『戦下のレシピ』『昭和経済史』 - 紙屋研究所

    『この世界の片隅に』のアニメをきっかけに、戦時中の日常生活についての文献をいくつか読んだ・読み返した。 戦争になるとなぜ糧難が起きるのか――斎藤美奈子が示した2つの理由 斎藤美奈子『戦下のレシピ』(岩波現代文庫)、中村隆英『昭和経済史』(岩波書店)はその一つ(2つ?)。 『戦下のレシピ』の中に「なぜ戦争糧難を招くのか」という節がある(第5章)。 斎藤は「戦地に送るからべ物がない?」という仮説をまずは批判する。 総人口は変わらないので理屈に合わない、と。「まして旧日軍は、糧について甘く見ていた」(斎藤p.158)。 うむ、アジア・太平洋戦争の「戦死者」の半分が餓死、それ由来の病死だったことは有名だし、牟田口中将の「元来日人は草である、然るに南方の草木は全て即ち之料なのである」という小並感発想をもとにしたインパール作戦での失敗を見てもそれはよくわかる。 斎藤は、この仮説を批判

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  • 志村貴子『娘の家出』 - 紙屋研究所

    志村貴子『娘の家出』5巻を読む。 『娘の家出』は、家出をしたがる年頃の思春期の少女たち、およびそこからつながっている老若男女たちのオムニバスストーリーである。 Pちゃん 「Pちゃん」に目がいく。 「P」はネットゲームのハンドルネームである。小さなオフ会仲間をつくっているうちの一人の女性で、2児の母親である。 5巻でオフ会仲間の千秋こと「ロキ」に酒場で会うシーンに登場する「Pちゃん」の顔がとても素敵(志村同書5巻、集英社p.156、右図)。美人で知的。 だけどやわらかい感じがするのは、p.163で「ロキ」から惚れてしまったと告白されて、戸惑っている顔、そしてそのあとの柔軟なやり取りに、まいってしまうからだ。 困難とか戸惑うようなことに直面した時にする、人間的な反応だから、じゃないかな、と思う。 驚きすぎる、クールすぎる、という反応を、今ぼくは欲していないのだろう。 「そりゃ、母性的な包容力を

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  • おかざき真里・雨宮まみ『ずっと独身でいるつもり?』・白河桃子『格付けしあう女たち』 - 紙屋研究所

    白河桃子『格付けしあう女たち』は、女性たちがそれぞれに分断された社会の中でさらにカースト化し、分断し合う様をルポしている。そして、「なぜ女同士はつながれないか」という問いを立てている。 一見すると白河のルポは、分断を憂え、なんとかつながろうと努力しているように見える。 「鍵は多様性と未来思考」などの文言が踊る。 だが、ぼくは違和感を覚える。 白河は「多様性」を訴えながら、根底には専業主婦という生き方への批判が見え隠れするからである。 これからは専業主婦という選択はどんどん滅んでいくはずです。その選択を否定するわけではなく、もう無理なのですね。結婚を夫の単一インカムで維持していくのは。(白河p.70) すでに現在ですら、専業主婦は「裕福」と「貧乏」に二極化しています。そして今一番裕福なのは専業主婦世帯ではなく「共働き世帯」です。……専業主婦を否定するつもりはないのですが、今後、豊かで満足な子

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  • 武田一義・平塚柾緒『ペリリュー 楽園のゲルニカ』1巻 - 紙屋研究所

    太平洋戦争の激戦地・ペリリューの戦記。 『さよならタマちゃん』の武田一義が、一見のどかな絵柄で「楽園の地獄」を描く。 読んですぐに思ったことは、「これはタイムスリップものではないのか」ということだった。 というのは、当時の兵隊は「田丸くん」(主人公)、「小山くん」(その戦友)なんて呼びあわないだろう、と思ったからだった。そういう呼び方をした場合もあったのかもしれないが、そのあまりに非典型な呼び方をわざわざ採用し、しかも冒頭のタイトルのコマの中に この作品は史実を参考に再構成されたフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です と書くのである。 ところが末尾にはここで描かれた兵士の服装について、こんなふうに書かれている。 (武田・平塚柾緒『ペリリュー 楽園のゲルニカ』白泉社、kindle版211/212) メガネフレームも当時生産を統一されていた丸メガネではなく、読者が

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  • 池上彰・増田ユリヤ『徹底解説! アメリカ 波乱続きの大統領選挙』 - 紙屋研究所

    予備選挙の場合、過去に有権者登録をして投票したデータがインターネットに公開されていてダウンロードできるようになっている。名前、住所、電話番号はもちろんのこと、年齢や支持政党、過去にどの党に投票したかまでデータ化されているのだ。アメリカでは、投票データは公的な情報として扱われていて、選挙の際に活用できるという。日人から見れば、個人情報の扱いはいったいどうなっているのか、セキュリティはどうなっているのかと、驚かざるをえない。(池上彰・増田ユリヤ『徹底解説! アメリカ 波乱続きの大統領選挙』ポプラ新書、p.55-56、強調は引用者) マジですか。と目を疑った箇所。 アメリカの大統領選挙について書かれて、この8月5日に刊行された池上彰・増田ユリヤ『徹底解説! アメリカ 波乱続きの大統領選挙』の中で増田が書いたルポの一節である。 ウィキペディアには、予備選挙は秘密投票だとあるじゃん! うーむ、おそ

    池上彰・増田ユリヤ『徹底解説! アメリカ 波乱続きの大統領選挙』 - 紙屋研究所