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なにかに関するmotimoti3のブックマーク (2)

  • シモーヌ・ヴェイユ 『重力と恩寵: シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄』

    シモーヌ・ヴェイユが生前にノートに書きためていた文章を編集した。 編者であるギュスターヴ・ティボンが寄せているヴェイユの生涯に関する文章を読むと、ものすごいハチャメチャな人だったことがわかる。若くして先生の資格を取る才女、でありながら、左翼活動に激しく参加したり、病弱なのに労働者の気持ちがわかりたい! と言って自動車工場で働いて体を壊してみたり、正義に燃えてスペイン戦争に従軍しすぐに炊事場で大やけどを負って帰国したり、第二次世界大戦中は料が手にはいる環境でも制限がある人々と同じ量の事しか取らず、無理がたたって34歳で亡くなってしまう。 周りにいたら間違いなく「あの人、悪い人じゃ無いんだけれど、現実見えてないよね。ちょっと迷惑だよね……」と思うであろう。ヒドい言い草だけれども、超空回り人間だし、5kgのダンベルも持ち上げられないのに、ベンチプレス120kgに挑戦して大骨折……みたいな人

    シモーヌ・ヴェイユ 『重力と恩寵: シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄』
  • なにかとはなにか#2 - sekibang 1.0

    http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20071017/p1では「『何か』は、何かを言っているようで、実際には何も言っていない」ということを確認した。そして「何か」が背負わなければならないリスクについても説明したつもりである。しかし、我々は「何か」を感じてしまう(そしてそれをついつい『何か』という言葉でその感覚を指示してしまう)という現象に出会う――今回はどうしてそのように「何か」を感じてしまうのか、そしてどうして「何か」で表現してしまうのか、ついて考えてみたい。 まず、ひとつめの問題に設定した「どうしてそのように『何か』を感じてしまうのか」について。このような感覚の発生は、異なりが契機となっていることを指摘できるのではあるまいか。ゆえに、その「何か」はもともと存在していたものではない。都会で生活していた人が、東北の温泉地に旅行へ出かける。旅行者は、そこで行わ

    なにかとはなにか#2 - sekibang 1.0
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