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思想に関するmotimoti3のブックマーク (3)

  • youtube にみる哲学者・思想家たち - G★RDIAS

    youtube には、哲学者・思想家の動画がアップされている。以下に検索リンクの表示を挙げておきます。 Martin Heidegger At His Freiburg House(ハイデガーの自宅映像) バートランド・ラッセル(1872-1970) http://www.youtube.com/results?search_query=Bertrand%20Russell&search=Search マルティン・ハイデガー(1889-1976) http://www.youtube.com/results?search_query=Heidegger&search=Search エーリッヒ・フロム(1900-1980) http://www.youtube.com/results?search_query=Erich+Fromm&search=Search ジャック・ラカン(1901-1

    youtube にみる哲学者・思想家たち - G★RDIAS
  • ニートホープ - 「これまで頭蓋をあけてみた人間にはみな脳があった。驚くべき偶然の一致ではないか」/私たちは何で考えているのか?―皮膚、指先

    ウィトゲンシュタイン全集9(大修舘書店)『確実性の問題』のところにこんな記述があるそうです。 これまで頭蓋をあけてみた人間にはみな脳があった。驚くべき偶然の一致ではないか ウィトゲンシュタイン全集 9 確実性の問題/断片 作者: ウィトゲンシュタイン,黒田亘,菅豊彦出版社/メーカー: 大修館書店発売日: 1975/01/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 3回この商品を含むブログ (7件) を見る ウィトゲンシュタインらしい生真面目さゆえのユーモアあふれる一文といえます。僕には脳還元主義への痛烈な皮肉のようにも読めました。 というのも、先日「手作りスキンケアから現代思想」まで語られるこちらのishさんのブログに次に紹介するエントリーがありまして、驚いたことに僕のブクマコメントを引用までしていただいたのです。以前ブクマでトラブルがあった身としては自分のコメントがいい方向に作用して

    ニートホープ - 「これまで頭蓋をあけてみた人間にはみな脳があった。驚くべき偶然の一致ではないか」/私たちは何で考えているのか?―皮膚、指先
  • 抽象化するということ - 勝虫日記

    さきに告白すると、抽象化するというのは、どういうことか、はっきりとは分からない。というより、分かるというレベルをちょっと高く置いておきたい。抽象化されたモノ、ふつうは、概念とか観念とか言ったりするけれども、その実体が何なのか*1。 我々は、指でも自分の名前は書けるし、足でも自分の名前は書ける。これの意味するところは何か、生理学的、科学的興味がわく。何らかの神経プロセスとして物理的にどう実現されているかと。おそらく、何らかの幾何学的なモノとして実現されているだろうが、まだまだ分からないところだ。 少なくとも、この例から、記号というのは、一つの行動として現れるというのは、たしかだ。感覚によって捨象されて、ひとつのモノとして表現される「自分の名前」がプロセスとして存在しているまでを「抽象」だというよりは、行動として表すということを抽象だと考えたい。先の例で言うと、「名前を書く」ということ。表すと

    抽象化するということ - 勝虫日記
    motimoti3
    motimoti3 2007/03/16
    『感覚で、捨象し、行動で、抽象する』
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