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1980に関するmotimoti3のブックマーク (2)

  • パリの忘れられたユートピア

    ジョゼフ(88)。2014年、ノワジー・ル・グランのレゼスパス・ダブラクサスにて。(PHOTOGRAPH BY LAURENT KRONENTAL) 独立から25年、岐路に立つタジキスタンをとらえた16点 感情が静かに伝わってくるサルの写真10点 戦後に相次いで建設され、今では批判の多いパリ郊外の集合住宅群。写真家ロラン・クロネンタール氏は、建物も住人たちも賞賛に値すると信じている。 1980年代に英BBCが制作・放送していたドキュメンタリー番組「ザ・ショック・オブ・ザ・ニュー」をまとめたに、こんな一節がある。1950代にパリ近郊で相次ぎ建設されたポストモダン住宅事業「グラン・アンサンブル」(大規模集合住宅群)を、美術評論家のロバート・ヒューズ氏が批判する。ヒューズ氏に言わせれば、これらの建築物が示すのは「都市の絶望という新たな景観──輝かしく、野蛮で、犯罪に悩まされ、自ら招いた破壊行為

    パリの忘れられたユートピア
    motimoti3
    motimoti3 2016/09/27
    人物の肖像と風景
  • ソビエト時代に食べられていた13種類のパン

    ロシアで70~80年代にべられていたパンを紹介します。 関連記事:ロシアべられている「ロシアパン」7種類を紹介します 以下翻訳です。 我々が覚えているパン Хлеб такой, каким мы его помним 70年代~80年代の子供たちはパンが大好きだった。 生活レベルが悪く、べるものなかったからそれで栄養を取ろうとしていたというわけではなく、一般的に好きだったのだ。 シンボルとして、なんというか、なにかとても大事で、不動で、素晴らしいものとして好きだった。 戦争映画を見ながら育てられた。 お爺さんから、「お母さんに草でパンを作ってもらってた」という話を聞かされたり、パンの耳を捨てたら、おばあさんに叱られたりした。 おばあさんは、テーブルの上で散らかっているパンくずを集めて口に送ってた。 パンを尊重していた。 学校の堂でパンで合戦したり、固いパンでサッカーしたりしたが

    ソビエト時代に食べられていた13種類のパン
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