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ブックマーク / inside-rivers.hatenadiary.org (3)

  • 「だめ連2.0」について考えてみた。 - 未来回路製作所 Hatena店

    90年代の「だめ連」からゼロ年代の「素人の乱」への流れ。 これは都市部におけるオルタナティブの抽象的なあり方から具体的なあり方へ流れともいえるものだと思います。 90年代に提示できなかったオルタナティブを提示することのできたゼロ年代。その意味で何も無かっただなんて囁かれる巷の評価とは違い、ゼロ年代は大きな変化があった時代だったといえるかもしれません。 けれども、僕の中にひとつの疑問が残ります。果たして90年代に提起された問題系は乗り越えられたのだろうかという疑問です。ここでいうと、問題系の中で90年代の「だめ連」が持っていた問題意識の中にゼロ年代の「素人の乱」が持っていないものがあるのではないか、と。例えば、「ココロ系」問題とか。 「だめ連」はだめをこじらせないために集まり交流し考え行動するムーブメントでした。けれども実際にはだめを開き直れる、つまり、だめでいいのだと考える人々の溜まり場と

    「だめ連2.0」について考えてみた。 - 未来回路製作所 Hatena店
    rAdio
    rAdio 2009/12/29
    空虚。この人、いつもこんなことしか言わない。
  • 「非モテ1.0」と「非モテ2.0」について - 未来回路製作所 Hatena店

    はてなダイアリーとかで「非モテ」について語るとそれまでの論争史を押さえていないと何もいえないような風潮もあるようですが、そのある意味、権威的かつエリート主義的な思考とは別に「非モテ」の回路を生産することも可能かと思われるので、ここに綴ってみよう。 ここでいう「非モテ」とはカテゴリーとしては一般的に使用されるように「ただ異性にもてない」、という話には留まらずいわゆる「草系男子」もその範疇に加えることもできる文化的な概念だ。いわゆる「リア充」的なモテ志向型のカルチャーではなくそのカウンターカルチャーとしての非モテカルチャー。それが現在、わかりやすい形で展開しているようにみえる。 その表象としてあげらるのはtwitterの中の「非モテ」クラスタである。そこでのコミュニケーションは、2ちゃんねる的なマッチョなコミュニケーション空間でもなく、ブログ(特にはてなダイアリー)に見られるような全人格的な

    「非モテ1.0」と「非モテ2.0」について - 未来回路製作所 Hatena店
    rAdio
    rAdio 2009/11/22
    なんだこりゃ?『はてなダイアリーとかで「非モテ」について語るとそれまでの論争史を押さえていないと何もいえないような風潮もあるようですが、そのある意味、権威的かつエリート主義的な思考』…印象操作じゃね?
  • 最近「非モテ」理論の構築を考えている。 - 未来回路製作所 Hatena店

    「リア充」的価値観に対するカウンターとしての「非モテ文化漫画、アニメ、ゲームライトノベルなどのコンテンツを愛すること。これらはモテない趣味であり、その趣味をカミングアウトすることにはすがすがしさを感じる。これは少し「ヤマンバギャル」の登場の時に感じたすがすがしさににているかもしれない。つまり、モテることよりもその趣味を愛していることの方が重要と宣言しているに等しい。 それでいて、「べ、べつに、モテたいなんて思ってないんだからね!」的な「ツンデレ」系の感覚の共有も「非モテ文化圏のアイデンティティの一部のような気がする。それは自己を距離を置いたところから眺めて、自らを笑うことのできる精神構造を有している。その意味でルサンチマンの思想とは差異線を引くことが可能なのではないだろうか。 Twitterにおける「非モテ」クラスターの存在。 「非モテ」を楽しむ人たちの存在。豊かな「非モテ」生活

    最近「非モテ」理論の構築を考えている。 - 未来回路製作所 Hatena店
    rAdio
    rAdio 2009/10/10
    「車輪の再発明」について考える。
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