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SystemとRecommendに関するrAdioのブックマーク (4)

  • 最強の可視化問題

    ゲーマーの間では「最強」は可視化されるようになりました。便利で有用な面が大きいですが、これによる目立たない弊害がわずかにあります。一度文章にまとめたいと思いました。 「最強の可視化」は、対戦ゲーム(特に esports と呼ばれて扱われるようなタイトル)の最上位層・強弱の差が可視化したという意味です。 調べれば筆者と同様の論調は見つかりますが、「今後どうすべきか」提案で筆者の意見を出せればと思い記しました。今日はだいぶ曖昧なお話しなので、少しテキトーな口調に出来ればと思います。 背景:最強の可視化とは 以前、インターネットはなく、もしくは影響が少なかったため、人々は好きなことをしていました。一方で、良質な情報や上達するための正しい方法を手に入れるのは非常に難しいものでした。筆者も間違ったセレビィ入手裏技に踊らされ(註1)、暗黒王デスフェニックスを軸にしたデッキ(註2)の構築に独りで必死にな

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    rAdio 2021/05/07
    cf.) https://b.hatena.ne.jp/entry/509444 / cf.) http://web.archive.org/web/20050804024740/http://artifact-jp.com/mt/archives/200507/networkworldranking.html / id:FTTH 2005年には、「世界統一ランキング」とか「知識の高速道路」の話題が出ていました。
  • IPv6がなぜいまだに普及していないのか|Rui Ueyama

    現在のインターネットの基をなしているIPv4というプロトコルには、広く知られた大きな欠点がある。パケットのアドレスフィールドの幅が32ビットなので、ネットワークに接続可能なホスト数の上限が2³²(約43億)になってしまっているのだ。その欠点を修正するために、1990年代後半にIPv6という新たなプロトコルが設計されたのだけど、いまだにインターネットではIPv6は少数派で、主流ではいまだにIPv4が使われている。 1990年代当時は、IPv6は規格を策定すれば比較的すぐに普及するはずで、それによってインターネットが抱えているアドレス枯渇の問題が解決されるという雰囲気だったように思う。1998年にタイムトラベルして、20年たってもまだIPv4を置き換えることに成功していないと当時の人のIPv6推進者たちに教えたら、多分すごくびっくりされるだろう。一体どうしてこんなに普及が遅れてしまったのだろ

    IPv6がなぜいまだに普及していないのか|Rui Ueyama
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    rAdio 2019/11/04
    『部分的に改善していっても問題が緩和されず、全体が改善されるまで効果が見えないというソリューションは、全員の協力を得ることが難しく、巨大なマルチパーティーのシステムに対してデプロイするのは非常に大変』
  • ユニセクシャリスト宣言、または慈悲的差別への反対の言明 - KYの雑記ログ

    筆者はこの数年ジェンダー論を観察していて、その中に女性の味方のようでいて実は深刻な女性差別を内包している思想が存在し、それが表向き女性の味方のような面でいるために排除されず、男女平等社会を実現する運動を蝕んでいることに気が付きました。筆者は男女平等を目指す立場から、このような「隠れ男女差別」に明白に反対する立場を表明します。稿は、「表向き女性の味方のような隠れ男女差別」がどのようなものでどの程度有害かを指摘し、それを回避する方法について説明します。 「男は女を守るべし」という構図に潜む女性差別 1年ほど前、「女性医師の産休・育休を迷惑と思うべきではない、男性医師がカバーすれば良いのだから」という発言をSNS上で見かけました1。こういった「女性の育休を男性が体を張って守ろう」というのは一見すると女性を大切にしているように見えますが、その実、女性の抑圧につながっている面があり批判されることが

    ユニセクシャリスト宣言、または慈悲的差別への反対の言明 - KYの雑記ログ
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    rAdio 2018/12/06
    『男が産休を取らないのは抜け駆けであり、男が無茶な働き方に耐えるのはダンピング行為なのです。』…確かに、生活原資となる勤労所得のための生存活動に、レギュレーションでキャップを設けないのはおかしいよね。
  • なぜわれわれは「新しい能力」を強迫的に追い求めるのか? / 『暴走する能力主義』著者、中村高康氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-

    なぜわれわれは「新しい能力」を強迫的に追い求めるのか? 『暴走する能力主義』著者、中村高康氏インタビュー 情報 #メリトクラシー#新刊インタビュー 「現状の高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜は、知識の暗記・再生に偏りがち」であり、「真の「学力」が十分に育成・評価されていない」。こう言われると、素直にうなずいてしまう人は多いだろう。そして、グローバル化し激変する世界に適した「新しい能力」が必要だと説かれると、抜的な教育改革が必要だと思い込んでしまう。だが、こうした言説は現実を反映したものなのか? 『暴走する能力主義』著者、中村高康氏に話を伺った。 ――どのような経緯で書をお出しになったのでしょうか? わたしの専門は教育社会学という、教育を社会学的に研究する分野です。その分野のなかでも、とくにわたしが関心をもって研究してきたのが、「教育と選抜」というテーマでした。若い頃は、大学生の就職

    なぜわれわれは「新しい能力」を強迫的に追い求めるのか? / 『暴走する能力主義』著者、中村高康氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-
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    rAdio 2018/11/29
    『「身分」から「能力」へ、社会の支配的な基準が転換した』『「能力」という目に見えないものを測定しているために、その正当性がつねに疑問に付される』…再分配が「能力」に影響される「労働」依存という脆弱性。
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