復興支援ソング「花は咲く」 NHKでは、復興支援ソング「花は咲く」を2012年3月から放送しています。以来、さまざまなバージョンを制作。世代や国境を越えて多くの方々に歌い継がれています。作詞の岩井俊二さん、作曲の菅野よう子さんは、共に宮城県のご出身です。 作詞家・作曲家のご厚意により、著作権料がNHK厚生文化事業団を通じて被災地への義援金として届けられています。
心臓足首血管指数でモニターした動脈壁硬度の巨大地震による硬化(A Huge Earthquake Hardened Arterial Stiffness Monitored with Cardio-Ankle Vascular Index) Journal of Atherosclerosis and Thrombosis(1340-3478)20巻5号 Page503-511(2013.05) 2011年に発生した東日本大震災において、震源から300km離れた病院で巨大地震が心臓血管指数(CAVI)に及ぼした影響について調べた。健常者43名(男26名、女17名、平均33.4歳)を対象とした調査では、平均CAVIは地震翌日で7.3、地震7~14日後に6.8に減少し、地震30日後は7.0であった。血圧には30日間で変化は見られなかった。心血管危険因子を有する32名(男22名、女10名、平均6
-No.0236- ★2014年05月15日(木曜日) ★《3.11》フクシマから → 1162日 ★オリンピック東京まで → 2262日 *「初鰹」の頃だというのに…カツオが見えない。いつもなら喧しいくらいワイワイ魚屋の店先を賑わすのに、ことしはショボショボ。漁があっても、型が小さい。まだ幼稚園みたいなのばっかり。例によってこういうことになると、取り沙汰される理由のアレコレ。でもね、根本は「獲りすぎ」。ことに、根こそぎ資源を掻っ攫っていく強盗まがいの「巻き網漁」はイケマセン。いい加減にやめましょうや、ニッポンでも* ◆うしなわれた目標、かえらぬ命 「鵜住居」という地名には、記憶に刻まれるものがある。 ボクの場合、この地名に出逢うと、連想はさらにリアスの北の鵜の巣断崖(田野畑村)へと翔ぶ。 そこでは“鵜飼”の鵜(ウミウである)を捕まえる仕事が、いまも伝え続けられているのだが、ぼくの想いはさ
4月18 地震ごっこ、津波ごっこなどの子どもの遊びへの対応 その1 カテゴリ:子どものケア 先日の朝日新聞に、被災地から東京に来た8歳の女の子が洗濯槽に入っていて11歳のお兄ちゃんが「何をしているの?」と聞くと「津波を待っているの」と答え、お兄ちゃんが取り乱した。それを見て母親の代わりに子ども達を預かっていた女性も動揺したという話が載っていました。このように、被災地では子どもたちが、地震ごっこや、津波ごっこをしたり、人がたくさん死ぬ遊びをすることが報告されています。 トラウマ体験を表現する遊びの例・ お風呂や洗濯機などで津波が来ると言ったり津波のまねをする・ 津波に乗ってママに会いに行くと言いながら、津波ごっこをする・ 地震ごっこをする、サイレンのまねやものをゆすったりする・ 人が死んだり、殺したりすることを遊びの中でとりいれる・ 物を倒したり、壊したりする遊びをする・
父久志さんが自ら命を絶って3年。「何でおやじは関連死に該当しないのか」。和也さんのわだかまりはとけない 須賀川市の農家樽川和也さん(38)は東京電力福島第一原発事故発生直後の平成23年3月24日、共に農作物を育てていた父久志さん=当時(64)=を失った。自宅裏で自ら命を絶った。 政府が県に対し、キャベツなど結球野菜の出荷を制限した翌日だった。原発事故によって放射性物質が、県内に拡散し、先祖代々守ってきた大地を汚した。将来に絶望して自殺に追い込まれたと考えている。 遺書はなかった。 あの日、久志さんは夜が明け切らないうちに作業着に着替え、家を出たようだった。キャベツ畑を見て回ったのだろうか。生と死のはざまで揺れ動いたのだろうか。自宅裏で発見された久志さんの歩数計は700歩近くになっていた。 「出荷できずに廃棄処分するしかなくなったキャベツの写真でも撮っているのかと思った」 和也さんは畑が広が
東北大学災害科学国際研究所、東北大学附属図書館等が、「過去と現在の記憶・記録を未来へ伝えるために」をテーマとして、東日本大震災アーカイブシンポジウムを開催します。震災アーカイブプロジェクトの取り組みや課題を共有し、震災アーカイブをどのように活用していくか、どのように未来に伝えていくかについて議論を行うとのことです。プログラムには、阪神淡路大震災に関する取り組みと、東日本大震災に関する取り組みの紹介が予定されています。 開催日は2013年1月11日、場所は仙台国際センターとなっています。 「東日本大震災アーカイブシンポジウム」-過去と現在の記憶・記録を未来へ伝えるために-(みちのく震録伝東北大学アーカイブプロジェクト 2012/12/4掲載) http://shinrokuden.irides.tohoku.ac.jp/symposium/sympo20130111
米国のハーバード大学がInternet Archiveや国立国会図書館(NDL)等の多数の機関と連携・協力して進めている「2011東日本大震災デジタルアーカイブ」のアルファ版が公開されています。 2011年東日本大震災デジタルアーカイブ http://jdarchive.org/ 参考: E1258 – 東日本大震災アーカイブ国際合同シンポジウム<報告> http://current.ndl.go.jp/e1258 国立国会図書館とハーバード大学、東日本大震災に関するデジタルアーカイブ共同事業に関する協定を締結 http://current.ndl.go.jp/node/19025 ハーバード大学、東日本大震災関連の各種情報をレイヤー表示できる日本地図を公開 http://current.ndl.go.jp/node/18901 saveMLAKプロジェクト、ハーバード大学「2011東日本
東日本大震災から3年を迎えた。日本が経験した未曾有の大災害の記録を収集保存し、未来へと伝えていく国立国会図書館の東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」。国立国会図書館が重点事項のひとつに掲げ、かつてない規模で官民の組織と連携を進める一大プロジェクトで、震災に関する資料約250万件がインターネット上で横断検索できる。しかし、年月が経つにつれ、震災の記録は散逸し、失われていくばかり。「今年こそ正念場」という大滝則忠館長と「ひなぎく」の責任者で電子情報流通課の大場利康課長にインタビュー、「ひなぎく」の挑戦を追った。 まず、「ひなぎく」のサイトを訪れてみよう。たとえば「奇跡の一本松」で検索してみると、瞬時に47枚の写真がヒットする。これらの写真は、河北新報の「震災アーカイブ」やYahoo!JAPANの「東日本大震災 写真保存プロジェクト」、東北大学の「みちのく震録伝」など、東日本大震災の資料を集めたさ
東日本大震災直後に入学し、復興の道のりとともに3年間を送った被災地の高校生に、ドイツのカメラメーカー「ライカ」の社主から最高級機が贈られた。「写真を続けたい」という熱意を後押しするプレゼントに、春から社会人になる高校生は「夢のよう」と喜んだ。 「このカメラでどんどん写真を撮ってください。楽しんで」。東京・銀座のライカ直営店で12日に行われた贈呈式で、アンドレアス・カウフマン社主から英語で励まされた宮城県白石市の女子高生(18)は「イエス、アイ、ウィル」とはにかみながら答えた。 カメラはレンズを合わせて約120万円もするモノクロ専用のMモノクロームだ。 女子高生は県立工業高写真部の一員として、被災地で「ファインダーを通して被災者と心を通わせよう」と写真を撮り続けてきた。 大震災では同校でも卒業したばかりの生徒が津波の犠牲になり、校舎に亀裂が入るなどの被害を受けた。 家庭の事情で大学の写真学科
今回はクレジットカード払いで寄付をすることが出来る、東日本大震災の義捐金を5つほどまとめてみました。 なかなか進まない復興支援を少しでも支えたいと思われる方は是非、これらの団体を通して寄付をしてみてください。銀行振込とは異なり、クレジットカード払いであればスムーズに寄付をすることが出来るはずですよ。 カード払いで寄付可能な団体まとめ: 日本赤十字社: 赤い羽根共同募金: シビックフォース: あしなが育英会: 楽天クラッチ募金: 東京には普通の日常が戻ってきていますね: 参考リンク: カード払いで寄付可能な団体まとめ: 日本赤十字社: 【日本赤十字社】寄付・献血・ボランティア ご存知、日本赤十字社のサイトです。 特に寄付する団体に対してこだわりがないのであれば、こちらに寄付するのが良いかもしれません。VISAカードやマスターカード等、各種クレジットカードが問題なく利用可能です。 赤い羽根共同
東京電力福島第一原子力発電所の敷地の外にある観測点で、事故直後の詳細な放射線量のデータが記録され、震災発生の翌日、1号機が水素爆発する1時間以上前から、数値が急上昇する様子を克明にとらえていたことが分かりました。 3年がたって初めて明らかになったデータで、専門家は「放射性物質放出の真相を検証するうえで、非常に重要だ」と話しています。 放射線量の詳細なデータが記録されていたのは、福島第一原発の周辺に設置された福島県が管理するモニタリングポストです。 その14か所で、事故後数日の20秒ごとの放射線量の値が記録されていたことが、NHKの取材で分かりました。 このうち、福島第一原発の北西5.6キロにある双葉町上羽鳥のモニタリングポストでは、震災発生の翌日(3月12日)の午後2時1 0分以降、放射線量が急上昇していました。 午後2時40分40秒には、1時間当たり4.6ミリシーベルトと、午後3時36分
東日本大震災の大津波で、児童と教職員84人が亡くなった宮城県石巻市立大川小学校の災害で、死亡・行方不明の児童23人の19家族が3月10日、石巻市と宮城県に対して、1人当たり1億円、計23億円の損害賠償を求めて仙台地方裁判所に提訴した。8人の父親が、代理人の弁護士らと共に仙台地裁を訪れ、訴状を提出した。
記録を残すとは、時に残酷なものである。 本書の表紙をめくると、そこには一枚の写真が掲載されている。カメラに向かって微笑む、福島民友新聞の6人の記者たち。撮影されたのは、2011年3月9日。後方には激震と津波によって後に消失してしまう「ろうそく岩」もそびえ立つ。そして6人の運命が、やがてジグソーパズルのようにバラバラに引き裂かれていくことを、彼らはまだ知らない。 記録を残すとは、時に希望を生み出す。 2011年3月12日の福島民友新聞の社説は、このような書き出しで始まる。 <私たち福島県民にとって、これまでに経験したことがない、想像を絶する揺れだった。> 一次資料もなく、被害状況も分からず、周囲が安否確認をしているさなかに書き出された文章は、助け合い、支え合うことへの呼びかけを目的とし、多くの被災者の元へと届けられた。 だが、このわずか3日ほどの間に、福島民友新聞の中では想像を絶するドラマが
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