勉強はきっとウチらに平等だ! 蚊帳りく 高校一年生のミーカは家庭の事情で塾へ行くことができなくなってしまう。 それでも志望校に合格するために、同じく塾に通っていないりっぴよに 自習の仕方を聞きに行くことに。志望校に向けて二人で勉強をすることになるが…!?
17歳で自ら命を絶った大森七海さんたちの写真や手記が展示されている(許可を得て撮影しています)=東京都日野市で2023年8月30日午前11時26分、内藤絵美撮影 自ら命を絶った子供の親たちが、在りし日の写真や手紙を各地で展示し、命の大切さを伝える活動を続けている。小中高生の自殺が過去最多を記録しており、夏休み明けの前後は特に増える傾向にある。展示に協力する母親の願いとは。 【写真】亡くなる前年、「母の日」にお母さんへ送った手紙 <お母さんへ。いつもありがとう。私を生んでくれてありがとう。育ててきてくれてありがとう> 青森県立高校2年の大森七海さん(当時17歳)は2014年7月4日、昼休み中に学校から姿を消し、同県八戸市の沖合で4日後に見つかった。前年の母の日に書いた手紙は、多摩平の森ふれあい館(東京都日野市)で8日まで開かれるパネル展で紹介されている。 展示は、いじめ自殺などで子供を亡くし
高校に入る前の段階で「やりたいこと」が見つかっている子はどれだけいるだろう。入学後に見つけたとしても、それを許さない周りの環境がある-。 【平均点の一覧】共通テスト、平均点7科目で最低 長崎県内の公立高を昨年卒業したサクラさん(仮名)は、3年の学級担任の進路指導にうんざりした。 志望先はファッション分野。父親が仕事で結婚式に携わることがあり、きらびやかな衣装に憧れた。担任に相談すると、「その分野に進んだ卒業生はいない」と教育学部を薦められた。 理由は、ファッション業界を希望しながら、家庭科教員になった知人がいたからだという。役に立つ助言は期待できないと考え、自分で服飾を学べる私立大を探した。 高校では3年の秋ごろに教科書の内容を終え、大学入学共通テスト対策にシフトした。サクラさんが狙っていたのは、高校での成績や活動、意欲で合否を決める総合型選抜。必須の面接とプレゼンテーションの準備を進める
一針一針、丁寧に縫ったその手ぬぐいには、優しい筆跡で「好きなように、好きなことに、大切につかって下さい」というメッセージが添えられていた。大貫隆志さん(一般社団法人ここから未来代表理事)の次男、陵平さんが学校の実習で作り、大貫さんに贈ったものだった。 2000年、当時中学2年生だった陵平さんは、学校で菓子を食べたことをきっかけに、約90分にわたり教師から叱責(しっせき)された後、命を絶った。 問題のある指導が原因で子どもが亡くなる「指導死」という言葉を大貫さんが考えた当初は、自分の命がある間にこの言葉を社会からなくしたいと思っていた。ところがその後も各地の学校で「指導死」が相次ぎ、大貫さんは第三者委員会としても多くの事案に関わってきた。その際に大切にしているのは、「なぜ亡くなったのか」と同時に、「どう生きてきた子どもなのか」ということだ。「生き方が表れていないと、死を照らし出せないんですよ
念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。 俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。 その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。 彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前
新型コロナウイルスにより、この4月の入学は本人、親御さん、先生にとってもとても複雑な気持ちで迎えられた方が多いのではないかと思います。 でも今日という晴れの日は一生に一度。 インターネットを通じてしらないおばさんである私からも祝辞を送りたいと思います。 入学おめでとう。今日入学式を迎えられた皆さん、おめでとうございます。 そしてここまで育ててきたご家族の皆さん、周りのサポートしてきたたくさんの大人の皆さんにとっても素晴らしい日を迎えられたことを 心よりお祝い申し上げます。 私はこの祝辞を読んでくださる皆さんにとっては「どこかの知らないおばさん」であるに違いありません。 皆さんより早くうまれ、早く学生生活を終えた、同じ人間であることくらいですが今日はどうしても祝辞を伝えたいと思います。 学校というのは本当に不思議なところで、通っているころは窮屈さを感じたり自分はこれで本当にいいのか?と学校の
スクールカースト外の女。 いじめられている訳でもなく、ただ「存在がないもの」として扱われる女。 いわゆる底辺カーストグループとも相容れず、修学旅行の班決めなどで「ガチの1人」で人数の足りない班に突っ込まれる女。 「仲の良い友達について書きなさい」系の課題を空欄で提出する女。 そんな女がクラスに1人はいなかっただろうか。 私はそんな女だった。 インターネットには「私はいじめられていた」「カースト底辺だった」といった女は多いが このタイプの女はインターネットでも息を潜めていることが多い。 いわゆる「Twitterで面白いこと書いてるオタク」グループとも「インスタでウェイウェイする」グループとも相容れず、ひっそりと壁打ちなどをしている。 それでも、この手の女は必ずいて、大抵はなんとか大人になって生きている。 そこで、なかなか表に出てこない「クラスに1人はいたあいつら」がどう大人になるのかの例示を
「好きなことで、生きていく」が徐々に浸透する時代に、最近SNSで注目されはじめた中学3年生がいる。ネットを通じて毎月10万円以上の収益を上げるキメラゴンさんだ。ブログ、ツイッター、note、YouTubeなどで発信し、あのネット有名人・イケダハヤトさんも太鼓判を押す。「学歴社会は終わり」「個人で稼ぐ力をつける」と時代を読む、彼の思考回路を探った。 ⇒【画像】中学生にして月収6桁を稼ぐブロガー 取材当日。中学生であるため、取材は学校の放課後もしくは休日になると想定していたが、キメラゴンさんは平日の14時を希望した。 ――平日のお昼ですが、学校はもうお休みなんですか。 高校の進路が、登校日数が関係ないN高という通信制の学校に決まったので、9月から学校には週一回くらいしか行っていないです。だから平日でも取材に来れるんです。それまでは普通に通っていましたよ。学校に行っていると長時間拘束されるので、
もう10年以上も前の話。 中学三年生の私には好きな人がいた。 発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。 なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。 サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。 怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。 残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。 特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。 その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。 夏休み後
──それは毎年、違う色をしていた。 ──10代前半、思春期の頃の夏休み。 中1の夏は何してたっけなぁ。やっぱり苦しいこともあって、じぶんを傷つけるような行為もしがちだったけど、図書館に通ってたくさんの本を読むのは楽しかった。児童書やライトノベルばかりだったけど。 家ではパソコンでテキストサイトを楽しんだり、小説やイラスト、詩、短い漫画を描いていたっけ。 中2の夏はアクティブだった。中1の秋から入った地域の合唱団の練習に通ったり、長崎市主催の平和研修で、沖縄にフィールドワークにも訪れた。その企画で出会った他校の女友達とは、大人になった今でもときどきSNSで交流がある。 この頃は学校での友達もようやくできて、自由研究として、一緒に石けん作りをしたっけ。 中3の夏。この頃は毎日塾通い。学校と塾、どちらも比重が大きかった。どちらも「自分の居場所」感があったような気もするけど、どこかやっぱり気を張っ
つい先週のことだ。妹をいじめていた主犯格がようやく自殺した。 苦節7年、長かった。 私と妹は一回り以上年が離れている。兄弟喧嘩が起こる年の差でもないので私は溺愛している。そんな妹が学内でレイプ未遂にあったのは中学の頃だ。 何とか最後の一線を超えられる前に助けが入ったようだが、そんなことは関係ない。快活だった見る影はなくなり、家族以外の異性は見ることどころか声が聞こえることさえ怖がるようになってしまった。きっかけは、他の女子が片思いしていた子が妹に告白したとかそんな話だった。それで嫌がらせが始まり、次第にクラス全体が悪ノリし、下半身しかない糞が調子に乗って犯そうとした。そんな次第だ。 許せなかった。そんな人未満共もそうだが、離れて住んでいるとはいえ2ヶ月近く気づいてやれなかった自分や同居していたはずの両親がだ。 正直な話、私自身もいじめられたことがある。帰国子女として小学5年のとき日本の公立
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